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Episode 415 「察し」に種類があるのです。

「察するのが苦手」とされるASDの私ですが、どうしてもこの言葉に違和感があってですね…と言うのも、「察するのが苦手」は事実であっても、この一言だけで片付けるのはちょっと乱暴な気がするからなのです。
いつも登場していただいているまめ(@mo_zahrada)さんのツイートから。

このツイートには、定型社会が持っている「察する」についての核心部分が詰まっている様に私は思うのです。

このツイートの核心は「言意以外の情報を読み取って私の行動を起こせるのか」…という部分なのでしょうね。
少なくても私は、特定の条件が揃えば前半の「読み取って」の部分は出来ているのだと思います…なぜならば、この後に続くこのツイートの理解は出来るから。

私は少なくとも対面して「ロックオンした人」の様子は伺ってはいる…間違いなく。
それはいつもパートナーに「やたらと気を使っている」と指摘されることでやっと気が付くくらい普通にやっている行動なのです。
相手がどんなことを考えているのかを予測する…ということは、自分の行動を決めるための大きな手掛かりになっているのは間違いないハズで、それは定型でもASDでも一緒だと思うのです。
ただ…あなたと私が違うのは、私の察するは「あなたに上手く迎合できるように」編み出した自己防衛の手段であって「コミュニケーションツール」ではないという点ではないか…と思うのです。

例えば…「パートナーの体調が悪そうだ」とパートナーの表情から読み取れれば、なるべく静かに…と私は考えるでしょうね。
でも、そこにはASD的な「会話飛ばし」が隠されていて、パートナーから見ると「こんなに体調が悪いのに、放って置かれた」に繋がりかねない状況なのかも知れません。
私がパートナーの体調が悪そうだという「言意外の情報」を読み取って、「大丈夫か、なにかすることはあるか?」という「心配するそぶり」を見せられれば、恐らく「放って置かれた」にはつながらないのでしょう…。

要するに、私は「言意外の情報」を受け取ったことを示す「コミュニケーション表現」が出来ないということ…即ち、アイコンタクトができないペッパー君だと言うこと。
受け取った情報は、あなたの物理的で具体的な状態を見積もる判断材料でしかないということ。

あなたが「言意外」で示す「You know ?」は、感じ取っているけど、そこで感じ取った情報は自己完結する思考にロードされるのだろう…ということで、ここに「会話飛ばし」ならぬ「アイコンタクト飛ばし」が発生するのです。
その根っこにあるのは「You know ?」に対する「I know !」を、あなたは分かっていることとしてしまう思考の自己完結という共通の問題点です。

私が思うに、「言意外の情報」には決して数多くの情報は詰め込まれていないハズ。
精々「ありがとう」「ごめんない」「よろしく!」「疲れた…」くらいの簡単な単語情報が、2・3個含まれていれば多い方だと思います。
そこを読み取って「I know !」というアクションを起こすことが出来るのか…ってことです。

察することの美しさは否定しないし前提として自他に要求している人がいるのも知っているしできるようになるべく努力はする、しかし、「察する」やりとりにおいては断る・代替案を提案するなどの「交渉」が難しいという点だけは主張し続けるつもり。

ここで示される「交渉」とは、言葉を含めての折り返しのアクションである「I konw !」を表現することが難しいということを指摘しているのではないかと思うのです。

多分ですが…。
ASD的な察する能力がない…とは、気が付かない(ロックオンしていない)ケースと、気が付いていても感情の折り返しが上手く出来ない(I know ! を表現できない)ケースの二種類があるのだと私は思います。
私はこの私に内在する二種類の「察する能力がない」を、明確に区別する必要がある…と思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2020/3/16

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