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Episode 272 拠りどころは必要です。

私がASDの診断を受けたのが2014年のこと
そして精神障害者保健福祉手帳を取得したのは2017年のことでした。
ASDの自認から丸5年が過ぎようとして、そして未だに私を律するものは自分自身の自己肯定感だと思うのです。

ただ、ASDを自認する前後では、自己肯定感へのスタンスが違う気がするのです。

それはもうお話しした通りです。
私自身がASDであると自認する前は、良いも悪いも自分自身の思う「成功する方法」へ直進するのみの行動でした。
それが良い方向に出た典型的な例が、パートナーを得て家庭を築くことが出来たこと、そして順調に出世して安定した収入を得ることが出来たことです。
逆に悪い方向に出た例としては、家庭生活でパートナーとの意見のすり合わせが出来ずにパートナーをカサンドラ症候群に追い込んだこと、そして、仕事に行き詰まり二次障害を発症したことでしょう。

私の「真っ直ぐ」は、時に人を魅了し、時に人から疎ましがられる、時に芯が強く、時に融通が利かない厄介者でした。
その修正方法は常に "Reset" で、"Continue" ではなかったと思うのです。

ASDを自認した今、常に意識するのはミルフィーユ。
家庭はパートナーと積み上げていくもの…成功も失敗も共有するもの。
私の考え方とは違う考え方をする人がいる、世の中は私の思い通りになんかいかない。

私は私自身の自己肯定感を捨てていません。
心のよりどころは常に必要で、私を立ち上がらせる原動力は絶対に必要であると、二次障害を経験して「それは間違いない」と思うのです。

失敗は自己肯定感を傷つけるものではない。
たったこれだけのことを理解するのに、ものすごく膨大な時間と労力をかけた気がします。

ASD者の自己肯定感を考えた時に、私が危惧することは2つ。
ひとつは早いタイミングで発達障害を自認して、自己肯定感が育たないケース。
もうひとつは発達障害を自認できず、いつまでも自分の自己肯定感に真っ直ぐなケース。
ASDという同じ障害を抱えながら、現れる症状は多分全く違うと思います。
前者は、私が二次障害で凹んでいた時と同じように、全てがダメなように感じているのでしょうし、後者は私の結婚生活のように自分の物差しを振り回して暴れる感じなのでしょう。

私は発達障害を「早期に劣等感なく自認すること」が大事だと、このブログで何度もお話ししてきました。
それはつまり、こういうことだと思うのです。

人は失敗する。
失敗を糧にして生きていく。
それを理解することが大きな意味を持つと思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/6/13

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