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Episode 377 手帳の更新で考えます。

ご存知の方も多いかと思いますが、精神障害者保健福祉手帳は交付から2年間という有効期限があるのです。
これは精神疾患には完治(または寛解)するものがあるためで、身体障害などで障害者手帳が交付される場合とは条件が違うという事情があるのだということは私も理解できます…ただ、今ひとつ釈然としない部分があってですね。

私の手帳は2017年の11月付で交付されたので、今年は更新で手続きをしなければならないのです。
9月の定期診察で主治医に手帳更新の意思を伝え、10月の診察で診断書を受け取って市の指定機関に提出…作業的にはそれだけのことです。
市の窓口は如何にも「お役所仕事」な感じの事務手続きで書類をチェックして「はいOKです」って感じ。
審査自体は「精神保健福祉センター」という別機関で行われることもあり、申請を渋る自治体の窓口での「水際作戦」のようなものは存在しないのが私が受けた申請時の感覚…尤もこれが全ての自治体で同じとは限りませんが。
今月に入って市の障がい福祉課から継続申請承認の通知が届き、手帳を受け取って完了。
自ら望んで手帳を取得しているワケですから、更新申請が承認されて一安心のハズなのですが…。

私の手帳の申請理由に上げている「症状・疾患」は、ICD-10基準で言うところの「F84」に当たる「広範性発達障害」のみで、医師による「DSM-5基準の自閉スペクトラム症」というコメントがついているだけなのです。
つまり…以前患っていた「うつ」などの二次障害は手帳申請には関係なくて、二次障害を生む根本的な原因としての「発達障害」のみを手帳の申請理由にしているということです。
もちろん、具体的な経緯として二次障害の診断歴は記載されているワケなのですが、それはあくまでも「自閉スペクトラム症が発症の引き金になる二次障害がありました」という記載なのです。

私が初めて手帳を取得した2年前は、手帳を取得することに対して積極的でした…と言うのも、何度となく対人関係で躓いて心を病み、漸くたどり着いたASDという発達障害の診断で「ホッとした」ワケでして、上手くいかない理由があることを手帳の取得で確定したかったのです。
障害者として認定されること…それは、白か黒かハッキリしたいASD的な両極思考で納得できる安心感でもあったと思います。

それから2年が経ち、コツコツとブログという文字媒体を使って私自身の人生を振り返り、ASDという発達障害を持つ私と社会、家族との繋がりを見つめ直し、発達障害を「矯正」することなく社会に on することを目指すようになった今、ASDの私は障害者として認定されていることに複雑な気持ちを持つようになったのです。

社会で生活していく上で、何某の「困難」を抱え、支援を必要とする人がいます。
私は、この被支援者が障害者なのだろうと考えます。

2年前の私は、当にこの「障害者」だったのだろうと思います…でも、今はどうなのか?
ASDという先天的に定型者とは違う思考パタンを持ち、それに気がついて、定型者に同調しようとしてムリをして、上手くいかずに社会で孤立して苦しんだ…それが2年前までの私。

私の言う「社会に on する」とは、ムリに定型者が作り上げた社会に迎合せずに自分らしく生きることを意味します。
これは社会から遠ざかるという話ではありません…つまり私の感覚が定型者の感覚とは違うことをキチンと分かって社会生活を送るということです。
違うと認識しているだけで、違うことで落ち込んだりイライラすることはかなり減るのです。
もちろん、分かっていても残念に思うこともあるのですけど。

障害と認定されたASDの感覚を、マジョリティに迎合せずに素直に受け入れてから改めて手帳を見ると、私は支援が必要な「困難」を抱えているのか、不思議な気持ちになるのです。
確かに定型者と言うマジョリティの作り上げる社会に完全同調することはできません。
ただ、私なりに自分自身の性格との付き合い方を覚えつつある今、私自身の姿は「私が思う障害者像」とはどんどんかけ離れていくのです。

発達障害という脳機能特性を精神障害の枠組みでとらえることに一定の違和感を覚えつつ、更新手続きをしなければならない…。
このモヤモヤした釈然としない感覚を、どうにかしててマジョリティの皆さんにお伝えしたい。

手帳更新を経験して、発達障害という特性を改めて考えるのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/11/14

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