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Episode 3 どこかに線を引きたいのです。

精神障害者保健福祉手帳を取得した理由は好奇心でした。
世の中がどこから障害者としての線を引くのかを知りたかったからです。

私は1970年生まれの歳男、社会生活で幾度となく躓き、ASDと診断されたのが44歳の時でした。
裏を返せば、躓きながらも何とか社会生活を送って来られたということでもあります。
それから3年後、47歳にして手帳取得、正直なところを言えば「取れちゃった…」です。

AS系のASDが「〇か×か」「0か1か」というハッキリした評価・判断を好むというのはよく知られる特徴だと思います。
実際に私もそうです。

曖昧な表現は判断に困ります。
ASDと診断され、発達障害であることがハッキリした…のは良かったのですが、次の問題は「それが社会的にどんな評価なのか」ということでした。
ASDと診断されたことで「障害がある側」に置かれたことと、社会が「障害がある」と判断する手帳を持っていないことの不一致が、私自身を不安にさせたのです。
「白か黒か、ハッキリさせたい。僕は社会から見て障害者ですか?」
その思い…自分自身を客観的に見たいという「好奇心」が、手帳取得申請という形で実行に移されたということです。

結果は、障害がある側をイレギュラーな少数派と見るならば、「黒」でした。

これで晴れて医師の判断も「黒」、社会の判断も「黒」です。
だから私は「黒」かと言えば、そうでもないのです。
なぜならば、仕事上は一般雇用で、障害者枠ではないからです。

どうやら本当の「黒」になるのは難しいことのようだと判ってきたのは最近です。
線引きの問題を解決しても、また新たに線引きの問題が発生して、いつまでたっても真っ黒にも真っ白にもなりません。
私が住む世界は「永遠の灰色」で、私自身の感覚が原因なんだと判ってきました。

線を引きたいと思っていたのは、実は私の方でした。
その線を消して、混ぜて、美しい灰色にしたいと思っているのに、白黒つけたいなんて、おかしいですよね。

最近はそんなことを考えているのです。
なんか回りくどくて、笑っちゃいます。 

旧ブログ アーカイブ 2018/9/17

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