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Episode 566 ザックリ掴んで考えます。

私は小さいころから地図を見るのが大好きで、地図から景色を合成することができる…という特技があることを、以前記事にしたことがあります。

それで「前回の記事のハナシ」なのですよ。
「地図だったら任せてくれ!」と思ったのは、地図を見て目的地に辿り着けなかったことがない私の自信の現れだったのです。
その結果については、前回の記事を読んでいただくにしてですね…。

前回の記事を書いていて、ふと思うことがあったのですよね。
それは得意を伸ばした結果として「同時処理タイプの俯瞰型地図読み」を習得したのではなくて、苦手をカバーした結果としてそれを習得できたのではないか…ということ。

私の「地図読み」で登場するランドマークは、登場する順序を気にしていない気がします。
目的地までの方角でザックリ進み、ランドマークを確認することでその方角が正しいことを確認する…だから、ひとつふたつランドマークが発見できなくてもあまり気にしていないように思います。

これは前回の記事からの引用なのですが、私の作動記憶が弱いことは、WAISの結果で分かっているのです。
だから「順を追うことへの苦手」を回避する手段として、全体像が分かる地図を念頭に置いて、細かいことを省略して進路を決める方法を選んだのではないか…と思うのです。

「ギフテッド」とは、IQ130以上の飛びぬけた才能を持つ人を指す言葉ですが、これには全ての分野で等しく才能を発揮する「英才型」と、特定の分野に限りとびぬけた才能を発揮する「2E型」がある…というのが一般的です。
発達障害のようにできることとてきないことに凸凹があるタイプは「2E型」に分類されることが多いのですが、この「2E型」の成立についての仮説を、私は考えたことがあるのです。

私の思う発達障害に絡む「ギフテッド(2E)」像とは、先天的な突出した才能がある人…と言うよりは、発達障害があることで発生する凹部分をカバーするために、結果的に使える凸部分を強力に鍛え上げることになっただろう…と、いうこと。

つまり、苦手な部分を「使えない」と無意識に切り捨てて、比較優位である分野に集中することで社会で生活できるように進化した…ということ。
結果的に得意分野が「ギフテッド」の定義であるIQ130に到達しなくても、苦手があるが故に得意を伸ばす原動力になる可能性は大きいのではないか…と思うのです。

私は文字や言葉の苦手があって、それ故に読書などは得意ではありませんでした
それ故に、物語を読むような習慣が私には無くて、順を追って読み進めていくような作業に触れることが少なかったように思います。
絵本なども「画だけ」を見て、文字を摘まむことでザックリと内容を把握していた気がするのですよ。
「拘りが強い」とされるASDだからと言って、全てにおいて拘りが強いワケではないのですよね…苦手だったり興味の無い分野についてに拘りが…あるワケないですよね。

読書が苦手な私にとって、本の挿絵は「物語の重要な手掛かり」だったのだと思うのです。
挿絵が描かれる部分は物語の重要なポイントであることが多くて、挿絵の部分の文章を中心に拾い集めると、物語の骨の部分を繋ぎ合わせることができると、経験から理解していたように思います。

WAISの「絵画配列」や「組合わせ」はIQを構成する群指数には反映しませんが、同時処理を構成する要素として重要な位置付けにあるように思います。
全体の情報をザックリと取り入れて、組み合わせて配列し直す…というのは、得意を使って苦手を回避する手段、つまり作動記憶の弱さをカバーする方法だったように思うのです。

そう考えると、地図に限らず「あらゆる場面」でザックリと情報を掴んで、必要な部分だけを確認し直す手段を使っているように思います。
「出くわした目の前の状況」が「絵画配列」のどの位置にあたるのかを判断する…つまり、タイムライン上のイベントの位置を推測することで順を追うことを回避していた…ではないかということです。

地図読みの研究で思うことは、意外にもあちらこちらに繋がっている「情報処理のクセ」の影を見ることにあったように思うのです。
どうりで推理小説の伏線回収なんかが苦手なワケです。
そう言えば、犯人の完全犯罪と思われる現場を先に見せてから、葉巻を咥えてヨレヨレのコート姿で登場する、倒叙物と呼ばれる形式で描かれる「刑事コロンボ」の方が得意だった…と、思い当たったりするのです。

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