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Episode 576 2度目の更新で思うのです。

今から4年前…2017年に交付された私の精神障害者保健福祉手帳は、この11月に2回目の更新申請を経て「3期目」になりました。
ご存知の通り、精神障害者保健福祉手帳は2年毎に更新する必要があるのです。
私のような発達障害を理由として手帳交付を受けている人は、完治(又は寛解)する可能性がないにもかかわらず、2年毎に手帳更新申請の手続きを行う必要があるワケです。
それをどう評価するのか…は、イロイロと議論されるべき話なのでしょうが、それは一旦横に置いてですね、手帳を挟んで障害を持つ人と持たない人の世界の見え方の違いは、やはりあるのだろう…と私は感じるのです。
手帳更新の手続きは、定期的にその「壁」の存在を考えさせられる機会になっているのは間違いないのだろうと思うのです。

実は2年前…2019年にも手帳更新という「出来事」について感じることを、その時の気持ちとして記事にしています。

2年前に感じた気持ちと今の気持ちに「大きな差」はない…というのが、当時の記事を読み返しての感想です。
ただ、あの頃は自分のことだけで精一杯だった…と、文面から語りかけられている気がします。
先天的な特性を、社会の基準で「障害」とされるやるせなさ…とでも言いましょうか。

前回の手帳更新から今回の更新までの2年間で変わったのは、障害の受け入れ方なのだと思うのです。

2年前は「私の障害」は理解できていたけれど、障害者として線を引かれることに対する釈然としない気持ちに溢れていたように思います。
でもその後、私は「線は引かれるべきだ」と思うようになったのですよ。
一度「障害者」として線引きされることで標準的で一般的な人とは異質であると「納得」した上で、如何にその線を消して行くのかが大事だと思うのです。
そこには線引きがされないことで、どこからが障害か曖昧なまま「できるだろう」「できないだろう」の感覚が、社会一般のファジーな感覚でブレることで、障害当事者もそのパートナーも共に消耗する方が精神衛生的によろしくない…という考えがあります。
そうではなく「障害当事者であっても出来ることは沢山あるよ」を、あなたとの信頼関係の中で確認して、一度引いた線を消していけば良い…と考え方が変化したということです。

ただね、この考え方が通用するのは「信頼関係で結ばれたあなた」とだけでの間だと思うのですよ。
依然として社会一般の障害者に対する感覚は前回の手帳更新時と変わらないと感じます。
それは前回の記事でお話しした通り、多数派(マジョリティ)の有利な社会で…

『マイノリティの不自由がマジョリティの生活に支障をきたした時、その不具合を指して「障害」と呼ぶ…と言うことです。
つまりね、「マジョリティの生活する社会」という基準からこぼれ落ちた部分が「障害」になる』

…なのですよ。

最近になって私は、このマジョリティの理論から編み出される「障害」の認識が、障害当事者にも、その支援者やパートナーにも「重し」になっている気がするのです。

私は私自身が障害者手帳を取るときに、「障害者として線を引かれたい」と望みました。
それは幾度となく社会生活で躓き苦しむ中で、苦しさの理由を確定させたかった気持ちがそうさせたのだと思います。
そうして取得した障害者手帳とともに渡された自治体発行の「障がい者(児)福祉のしおり」には、手帳の種類や等級によって受けられる「サービス」が列記されていたのです。
私は「施し」が欲しくて手帳を取得したワケではないのですけど…。

障害者福祉に「出来ないをフォローする」を求めるのは当然だと思うのです。
ただ、その「フォロー」が「施し」と区別できていないのではないか…と、私は感じるのです。
社会福祉に「出来ないから助けてあげる」を感じてしまうのは、マジョリティという社会を構成する主体である自分たちの生活で「支障をきたす部分を代行する」感覚がそうさせるのではないか…と。

その結果、障害者の「出来ない部分」だけがクローズアップされ、「それが出来ないから○○障害だね」と判断され…本当はできる部分を見てもらえないことが多いように思います。
この判で押したかのような画一的な障害対応は、特に発達障害のような現れる現象が人それぞれの障害との相性が頗る悪いワケですよ。

障害者と診断されることは、障害者らしく振る舞うことを要求されることとイコールではないし、障害者手帳を取得することは、施しを受ける権利をもらうこととイコールではありません。
私は「障害者である私」を受け入れて、出来ないことは出来ないと言い、できることは自ら行動することを、この2年間で思うようになったのだと思います。
そこに行く着くまでに、2回の手帳更新を要しました。
その一方で、依然として社会一般の障害者に対する考え方は「障害があるからできない」を基本とする、旧態依然の保守的なものが多く存在すると思います。

今回の手帳更新で、私は自分と社会一般の考え方のギャップを見つめる機会を得ました。
次の更新…2年後に、私がどんなことを考えているのか、この記事がその時の「一里塚」になればと、今はそんなことを思うのです。

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