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Episode 603 進化が居場所を狭めます。

「マイルドヤンキー」という言葉がマーケティングアナリスト・原田曜平氏によって提唱されたのは2014年のことです。
その補足説明が不動産投資家の芝山元氏によって語られているのですが、

生まれ育った地元指向が非常に強い(パラサイト率も高い)
郊外や地方都市に在住(車社会)
内向的で、上昇指向が低い(非常に保守的)
低学歴で低収入
ITへの関心やスキルが低い
遠出を嫌い、生活も遊びも地元で済ませたい
近くにあって、なんでも揃うイオンSCは夢の国
小中学時代からの友人たちと「永遠に続く日常」を夢見る
できちゃった結婚比率も高く、子供にキラキラネームをつける傾向
喫煙率や飲酒率が高い

Wikipedia より

…などと紹介されています。
これが地方や地元志向とイコールで結ばれるハナシではないのですが、高校までの学力学歴との一定の因果関係はありそうだ…と私は思っているのです。

自慢じゃないですが、私は勉強は良くできた方でした。
決して地域トップではないけれど、その地域では名の通った高校に入学し、地方の「駅弁大学」とは言え、国立大学に現役合格しているのです。

私の通った高校は「進学校」でしたから、高校に入学した時から大学進学以外の進路を考えたことはありませんでした。
それは私が特別だったワケではなく、その学校の持つ雰囲気だったと思います。
私が大学に入学したのは1989年(平成元年)のこと…当時の大学進学率は24.7%だそうで、ほぼ全ての生徒が大学に進学する高校がある一方で、そうではない高校も多数存在したということです。
冒頭で紹介したマイルドヤンキーの提唱は2014年ですから、その当時20歳代中盤の若者層が高校を卒業したのは、凡そ2007年前後のことでしょうかね、大学進学率は48%前後、半数が大学に進学する中で、地元に残り就職することを選ぶ…ということです。

私はASDの二次障害でウツを発症し職場復帰する過程で、若手中心の力仕事部署に所属したことがあります。

日中、黙々と力仕事をした彼らは、定時で退勤して仲間と遊びに行くのですよ。
そこにはコミュニケーションを密にした「仲間」が存在するのです。

恐らくですが…。
私のように進学校に進んだ人間が「必死で勉強していた時間」を、仲間とのコミュニケーションに割いた人間が存在するのです。
そのコミュニケーションスキルこそが彼らの「最高の宝」であり、これを極めるために地元が大きな役割を持つのだ…と私は思うのです。

ところで…。
私はこのマイルドヤンキーとASD的なコミュニケーションスキルの弱さには相当の相性の悪さが存在すると思うのです。
だってそうでしょう、仲間で楽しく過ごすことに喜びを感じる、その為にコミュニケーションが存在するとすれば、仲間と仲良く過ごすことに苦手を感じるASDが上手にコミュニティの一員になれるとは思えませんから。
こう考えたときに、ASD的な「ムリ層」の成立の裏側が見えてくるのだと思うのです。
所属するコミュニティが、高度なコミュニケーションスキルを要求するとすれば、それは相当なストレスになるハズです。

その一方で、「ギリ層」の成立を経験したのが私です。
私は高校に入学した時に「中学時代よりもラク」と感じたのです。
それは、中学時代よりもコミュニケーションの量が減ったからだと思うのです。
コミュニケーションの量が減っても、コミュニティが成立していれば問題ないのですよね、少ないコミュニケーションで最低限のコミュニティを緩く維持することが可能だった環境が、ASDの私と相性が良かったワケですね。
この件は、Luさんもご自身の記事の中で言っておられたことです。

但し、これにも落とし穴があり、「ムリ層」の場合とは違うASD発見の先延ばしが起こりやすいのは事実だと思うのです。
案の定、就職してからコミュニケーションスキルの低さに悩むことになるのです。
一緒に仕事をする上司部下や同僚が、みんな私の望むコミュニケーションレベルであるワケが無いのですから。

発達障害があってもバリバリと仕事をこなす「バリ層」の人は、発達障害者であってもちょっと特殊なので割愛…。
その下のクラスとされる「ギリ層」「ムリ層」については、所属するコミュニティの質によってどの層に分類されるか決まり易いように感じます。
そこには日本的な教育体制で分割された「偏差値」などに代表される、所属するコミュニティによるコミュニケーション重視度の問題があるように感じます。

時代は進み、大学進学率が50%を超え、高校卒業後すぐに就職する人が20%を切る現在では、私が経験した「ギリ層」「ムリ層」の形成に絡む学力の問題がそのまま語られるワケはありません。
ただ、何でもかんでも「コミュニケーション能力」が求められる昨今の社会情勢において、ASDの居場所が狭められている理由の説明としては十分だと思うのです。

定型の皆さんが便利に使う「コミュニケーション」のレベルが上がることがASD的なコミュニケーションの未熟を炙り出す一因になっている可能性を、私は感じずにはいれれないのです。

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