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Episode 473 「投了する」ことが大事です。

今回は先ず、ASDの「自覚」について書かれた秀逸なnote記事の紹介から。

なぜASDの自覚が難しいのか…という、私が上手く書ききれなかった難しくも重要なポイントについて、こうも簡単に「バシッ!」と説明して表現された、Luさんの記事に脱帽!

そうなのです、その通りなのです。
ASDの自覚の難しさについては、気が付いた私のような当事者も、気が付いた当事者のパートナーさんも、気が付いて欲しい未自覚ASDのパートナーも、みんな分かっているのです。
昨日(2020/9/22)、実はダラダラとツイキャスでまめさん(@mo_zahrada)と対談しまして、その中でもその話題になったのです。

この話題はライブ録音の1:34:00付近から始まるのですが、この会話の中で語らえる要点は「上手くいかないことでの『詰み』を当事者が理解するか」…ということです。
つまり「投了」できるか…ということ。
社会生活を送る中で、家庭や仕事などの自分の生活を支える全てにおいて、「この先このままでは詰む」という状況を理解できるかということではないか…ということです。
自覚・自認できないのは、詰みの状態に陥っていない、または詰んでいることに気が付いていない…ということです。
因みに、これで「王手!」まで行ってしまったら…二次障害でしょうね。

残念ながら、「投了」を決めるのは当事者本人なのです。
指摘することや勧めることはできるのですが、納得して「投了」できない場合、すべてに「外モード・擬態」を適用しようと努力するとか、自己開示できないままに定型社会に合わせようと努力するなどの「消耗戦」を選択してしまう可能性があって、それは違う意味で危険なことなのです。

外モード・擬態は、ASD者が定型優位の社会で生きていくために自ら編み出した「技術」です。
だから、それを使うことにASD者の躊躇はありません。
それを使うことが定型社会で有利であるわけですから、ASDのパートナーであるあなたも「ラク」かもしれません…でもね。
この対応では「もぐら叩き」にしかならないことは、先に指摘した通りなのですよ。
その先に待ち構えているのは、消耗し切った私とあなた…。

如何に「詰み」の状態に気が付くのか…。
個人により環境も境遇も違うから、「これ!」という決まった答えが出ません。
Luさんが記事にした「自覚の難しさ」の背景には、こんなこともあるのではないか…と思うのです。

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