見出し画像

Episode 66 サインはいくつもあるのです。

11月も半ば、気温もだいぶ下がってきました。
私の住む地域では最低気温がひと桁になり、そろそろスタッドレスタイヤへの交換を考えなければならない時期です。
日の出の時間も遅くなり、起きる時間はまだ真っ暗…朝が寒くてなかなか布団から出られない時期です。
まぁ、時間厳守派の私は、そこを捻じ曲げてまで布団にいる勇気はないんですけどね。

私は温かい布団から出られないのは良く分かるんですが、温かい布団に入るのが苦手です。
湯たんぽや電気毛布などであらかじめ暖められた布団は、誰かが使ったあとみたいに変なぬくもりがあって、これが気持ち悪くてダメなんです。
ヒンヤリするシーツの上に足を抱えて丸くなり、体温でジワジワと布団を温めるのが私流。
これって、たぶん触覚過敏が原因です。
その他に、電車のシートとかも誰かが立った直ぐ後には気持ちが悪くて座れなかったりします。

そんな理由で、私は小さい時からひとりで寝る子でした。
だっこをせがまず、ひとりでサッサと布団に行って勝手に寝てしまう…親にとってはとっても手が掛からない良い子だったんだと思います。

左利きの問題絡みで文字を覚えるのが早かった私は、学習面でも後れを取っている様に見えなかっただろうと思います。
実際のところは逐次読みの症状があり、文字を理解して発音することはできても意味の理解に難があって、文章を読むのが苦手でした。

学校のクラスでは月の住人、クラスメイトとの関わりは少なかったハズですが、担任の先生も含めてみんながズレに気が付く決定的な何かが起こる前にクラス替えで環境が変わるの繰り返しです。

新しい環境を積極的に利用しようとした私が、新しい環境に怖気づいてしまうことはなく、直ぐに新しい環境に馴染んだ…ように見えたと思います。

私が高校を卒業したのが1989年のこと、発達障害の存在自体が社会に認知されていなかった時代の話です。

就職してからイロイロあって、精神障害者保健福祉手帳を取得したのは去年のことです。
既に80歳近い両親は健在ですが、両親には手帳を取得したことを言ってませんし、両親は私を普通の人だと思っています。

発達障害を持っている人に共通なのは、困ってなければ手帳を取ってないだろうということです。
発達凸凹で突出した能力を社会的に認められ、収入もあって安定できていれば手帳は要りません。

あのころに比べて、良いも悪いも発達障害に対しての認知は上がってきています。
でも、今の環境で育ったとしても、私がASDであることを周囲の人が見抜けるかわかりません。
発達障害は人それぞれで「定型の何か」はありませんから、これが正解もありません。

こうやって後から振り返れば、発達障害のサインはいくつもあったと思います。
今苦しんでいる当事者は、なかなか冷静になれません。
紛れ込んで気が付かず、大人になって二次障害で苦しまないように、こんな風に見えている、こんな風に感じて考えているということを、今はちょっと落ち着いている私が冷静に発信していけたら良いなと思っています。

そんな風にこのブログを見てくれると嬉しいのです。

旧ブログ アーカイブ 2018/11/19

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?