見出し画像

Episode 506 視点のズレに気づきません。

ここ数回のnote記事で、ASDの私を「千と千尋の神隠し」に登場する「カオナシ」に見立てて、ASDの社会的価値観に依存してしまう理由と、そこから発生する「飛ばし」「(正解)置き」という特徴的な行動についてお話ししてきました。

ここには特性上どうしても自己完結してしまう私が、何とかコミュニケーションを取ろうとする努力があるのです…定型のあなたには上手く伝わらないことが多いのですけど。

特に「(正解)置き」については、あなたのご機嫌を伺う「迎合」の側面が強く、私自身の気持ちよりもあなたの気持ちを優先させるから、あなたには私の気持ちが見えずに「胡散臭く媚びる」ように見えてしまうことが多いワケです。
本当のことを言えば、私は「あなたとの関係で自分の機嫌を取る」のではなく、「私自身だけで自分の機嫌を取る」ことが可能なのですよ…ASDの自己完結とは、「独り言ちる」ということに他ならないのですから。
だから、あとはあなたが「ご機嫌」でいられることで「円満」を確保したくなるワケです…あなたはそうではないのでしょうけど。

ところが…その一方で、「置き」に行った答えであなたのご機嫌に「迎合」しようとする行動とは真逆に見える、「あなたの気持ちなど関係ない」と言わんばかりに自分の関心ごとに引き摺り込もうとする、ASD的な「空気の読めなさ」があるのもまた事実なのです。

以前に書いたこの記事に、こんな一文があります。

ASDの子が空気を読まずにペラペラと得意な話をするって良く聞く話ですが、自分の興味のある分野をペラペラと喋り倒すのは、周囲と繋がりたい意識の表れなんだと思います。

この状況になっている場面は、ピンポイントで説明できますよ。
あなたが私の「興味・関心」のストライクゾーンに球を投げた…それ以外はあり得ませんから。

ただね、それは「あなたも私と同じように興味・関心を持っている」のではなくて、あなたは私の「それのどんなところに興味があるのか」を話題として聞いているのですよ。
私は私の関心事について、一生懸命に話すのです。
でも…残念なことに、それは私が興味あることについての「お互いの共通認識」を持とうとするあなたの「感覚」と、決定的に違うことに気が付きません。
なぜ気が付かないのか…何度も言いますが、それはASDの私が自分の考えだけで完結してしまうからですよ。
私は「お互いの視点のズレ」を理解できないまま、あなたに「あなたが私と同じ視点で興味・関心がある体で」熱弁を振るうのです。

あなたは私の「興味・関心」の具体的な成り立ちについて掘り下げようとしたのではなくて、「これが好きなんだよね!」という現状認識をするために球を投げたハズ…。
一方で私は、自分からは口に出さないココロの奥に秘めた「理解できるもの」に向けられた言葉に食い付くワケです。

つまりね、この時ASDの私には「あなたの関心事」と「私の関心事」という、話題にされている具体的な出来事しか見えていないのですよ。
あなたが話題にしているのは、具体的な関心事を挟んだあなたと私の関係性ですから、具体的な関心事の深さはあまり関係がないワケです。
「湖が青くてキレイだね」って、二人で景色を眺めるお互いの関係を確認しているのに、「この湖の水質は○○だから、こんなに水がキレイなんだよ!」って返されたらギョッとするでしょうね。
美味しいラーメンを食べながら「美味しいね」って言った答えが「魚介系のしょうゆスープが…」なんて解説は要らんのですよ。
でも、私はどんな風に水が青くて、どんな旨味が味を引き立てているのか…という、具体的な共通の認識に立ちたいワケですよ。

その逆が「(正解)置き」という行動になるワケです。
例えば…パートナーと一緒に服を買いに行ったとします。
パートナーはトップスはお気に入りのものを見つけたのですが、それに合わせるボトムが決まらない。
「ねぇ…このパンツとスカート、どっちが合うと思う?」
困りました…私にはレディース・ファッションの知識がありません。
悩んだ私は「どっちも似合うと思うよ」って言葉を「置いて」逃げるワケです。
素直に「良く分からないけど、私はスカート姿のあなたが好き」って、本当のことを言えば良いのに。
あなたが聞いているのは「私の好み」であって、あなたが選びたいものを言い当てて欲しいわけではないというのに。

この話の根の部分には、社会的常識や知識に裏付けられたASD的な自己完結思考があるワケです。
まず、「自分が持ち得る知識で自分自身が納得できるのか」がポイント。
自分のフィールドで理解できる…即ち自己完結で答えが出るのであれば、自分で自分の気持ちは治められるから、それを守った上であなたにご機嫌でいて欲しいワケ。

あなたが私のフィールドにストライクの言葉を投げてくれれば、私は安心して自分のフィールドで出した答えを話すのです…あなたにすれば、湖が青い理由みたいな「トンチンカン」な答えなのでしょうけどね。
正解を探して置きに行くのは、私の興味・関心のフィールドの外…野球のピッチングで言えば「ボール球」。
キャッチできないほどの暴投ではないから、キャッチしたものの…どんな風に投げ返したらよいのやら…。
自信がない、自分で答えを導き出せない…だから本心を隠して「無難に」捕りやすそうな球を投げる…それが胡散臭さ全開の「手榴弾」になるとも気付かずに。

ASD×定型のコミュニケーション齟齬とは、きっとこの自己完結の仕組みによる視点のズレなのではないか…と、私は思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?