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Episode 680 外から内は見えません。

我が家にはネコが2匹いましてね。

網戸越しの2匹

向かって右側の黒白さんは「チョビ」。
市の動物愛護センターで保護されていた女の子で、ウチに来て3年半が過ぎました。
向かって左側のキジ白さんは「アポロ」。
去年の初夏産まれ、もう直ぐ1歳になる男の子です。

慎重派のチョビさんと、怖いもの無しのアポロくん。
性別の違いもあるし、ネコにも性格があるのは知っていたのですが、「これほどまでに個体差があるとは思わなかった」とびっくりするほど行動パタンが違う2匹…私たち家族の日々の生活に変化を与え、笑顔と潤いの種を運んで来てくれる、それは愛おしく大切な家族なのです。

いま住む家に私たち家族が引越して来たのは11年前のこと。
私とパートナーと子どもたち3人で総勢5人いた家族も、流れる月日とともに子どもたちはそれぞれの人生を歩き始め、今この家に住むのは私とパートナーの2人になってしまいました。
それは決して悲しむことではなく、子どもたちのそれぞれの自立に向けた流れを後押しすることでなった結果であり、偶に戻ってきてくれる成人した子どもたちと酒を酌み交わすのは、それはそれで楽しいのです。
でも、子どもたちがいなくなった我が家には「賑やか」な感じはなく、そのちょっと静かな隙間にスッと入ってきてくれるネコさんたちの存在は、今の我が家にはなくてはならない存在になっているのです…何しろASDの私は「会話が苦手」ですからねぇ。

ウチの3人の子どもたち…と言っても、一番下の長男もこの3月に20歳になったので、もうお酒も飲める大人なのですが、この子どもたちもネコ好きで、家に帰ってくるとネコさんたちをかまってくれるのです。
尤も慎重派のチョビさんはなかなか警戒心が強くて、慣れてきた頃にはもう、子どもたちはそれぞれの生活の場に帰らないとならない…とかもあるのですけど。

そんなネコ好きの子どもたちの中で、長女に「猫アレルギー」があることが判明しましてね…。

猫アレルギー(英語: Cat allergy)とは、 人間が猫と接触することにより誘発されるアレルギー反応のことである。
症状としては、くしゃみや鼻水、咳、目のかゆみなどがある。
猫アレルギーを引き起こすアレルゲンの代表は、 猫の唾液や皮脂腺などに含まれる「Fel d1」というタンパク質である。

Wikipedia 「猫アレルギー」より

チョビさんが我が家にやってくる数年前まで、ウチには「ニャー」と言う名前の黒猫の女の子がいました。
「ニャー」という名前の適当さは、そもそもニャーさんが野良から住み着いたネコだからでして、便宜上、ニャーと呼んでいた呼び名がそのまま名前になったからです。

2回の引越しに付き合わせてしまったニャーさんは、16年もの長きにわたって我が家の家族でした。
その「ニャーさんの時代」に長女の猫アレルギーは発症していなかったし、ニャーさんも長女に懐いていたのです…でも、ここに来てアレルギー反応が出てしまったのは、残念ながら事実でして。

賃貸マンション暮らしでネコが飼えない、でもネコが大好きな長女…実家に帰ってのお楽しみだった「ネコ可愛がり」ができなくなったのはなかなかショックのようで、それどころか今後、引越してネコが飼えるような環境になったとしても、飼うことを諦めないとならないかもしれないワケで、好きなものを手元にちか寄せることに難があることの理不尽さは、何とも切ないことだろう…と、私は思うのですよ。

「好きなものを手元にちか寄せることに難がある」というあなたに同情する私…そう言えばASDって、あなたの気持ちに寄り添ってことが苦手なのではなかったっけ?
うん…確かにその通りなのですけどね、私にとって「好きなものを手元にちか寄せることに難がある」は「自分ごと」ですからね、この気持ちはわかるのですよ。

ASDの私は、あなたとの関係を考えながらの会話が得意ではありません。
だから一方的に「自分語り」をしてしまったり、あなたの興味のないことを一生懸命に説明してしまったり…そこには「あなたの視点から私の行動を考える」という視点切り替えの弱さがあって、そうなってしまう理由はわかっていても「やらかした!」を完全に抑え込むことが難しかったりするのです。
私的には一生懸命に会話しようとしているのですけど…ね。

結果として「あなたをイヤな気分にさせないように」とか、キャッチボールになる会話になるように意識することに疲れて…とか、集中力が続かなくなることもあって、ひとりの時間が必要になったりすることも多いのです。

その他にも、過集中によって周囲への気配りが疎かになるとかね。
「コイツ、ひとりが好きなんだろう?」…なんて思われるのは、誰かと一緒にいることが上手じゃないから、ひとりになってしまうことが多いだけで、私は人が嫌いでひとりになっているワケではないのですよ。

猫アレルギーの人は、そのアレルギーのストレスを避けるためにネコに近づかないなどの対策が必要になったりするワケです…それが例えネコ大好きな人であっても。
だからさ、ネコに近づかない人が必ずしも「ネコ嫌い」ではないワケだよね。

長女の猫アレルギー発症という残念な出来事に思う、外から見える「ネコに触れない=ネコ嫌い」とは限らないあたりに、ASD的な「人に触れない(ひとりている)=ヒト嫌い」とは限らないということがリンクするのです。

外から見える特徴だけでその人を評価するとは、こんな危険性があるのだということを、私は改めて思うのです。

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