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Episode 609 データ量が違うのです。

先日、Twitterの「スペース」機能を使って少しばかりお話しをする機会があったのですが、久しぶりに「あぁ、今日は『お客様』になってしまったなぁ…」と思ったのですよ。

会話の速度についていけない…というのは私にはよくあることなのです。
こんな時は、自然と発言量が減っていきます。

日常生活の全てに於いて私の「ゆっくりペース」の会話速度が通用するワケはなく、特に世間一般で言うところの普通に繰り広げられる日常会話に付いていけないことは、まぁ…良くあるハナシなのですよ。
そんな時は、周りの人の「会話のキャッチボール」を聞き流すことになることが多いのですけどね。
雑談程度のハナシなら、真剣に聞かなくても「ごめん、聞いてなかった」で逃げることも出来るワケで。

そうは言っても、発言にどうしても喰らえ付かないとならないことは、世の中あるのですよ。
例えば、会議に参加して「ボー…」っと半分流しながら聞いているワケにはいかないワケでして、何とか発言について行こうとした時に咄嗟にする行動は、いわゆる「聴き専」です。
「聞き流し」と同じように発言量が減るワケですが、その中身の性格は全く異なります。

ギターやピアノに触ったことがある方なら分かると思うのですが、「弾き語り」って、意外と難しいのですよ。
歌うということが楽器の演奏とリンクしていることは間違いないのですが、楽器の演奏と歌うことは全く違う行為…つまりふたつのことを同時にしているということなのでしょう。

「弾き語り」が出来るできないに関しては、歌の難しさや楽器演奏の難易度によって変わるのだと思うのです。
ほら、最近の歌って「早口言葉か?」って思うくらいに言葉が詰め込まれていたり、メロディラインが難解だったりするのも多いじゃないですか。
その歌を支える楽器の方も細かな技術が多用されていたりすれば、演奏の方に集中しても難しい曲などもあるのでしょう。
その両者の難易度の「和」が、私の対応できるレベルを超えると両方同時に…が出来なくなる、そんな感じでしょうか。

ずっと以前…今から3年半ほど前に、私の「会話の苦手さ」を道路工事の片側交互通行規制にたとえてお話ししたことがあります。
聴き取りるときに「映像化する」という私の理解の仕方にクセがあり、その映像化されることで理解整理されたイメージを言葉に変換する作業があって、思いを言葉にするのに時間が掛かるから「皆さんの会話のペース」についていけない…「聴きながら話すが難しい」と説明したのですが、どうもそれだけではないような気がしてきたのですよ。
もちろん「理解のクセ」や「脳内イメージの表現方法」は書いてある通りなのですけど、聞くと話すが常に片側交互通行なのか…と問えば、そうではないなぁ…と。

つまりね「会話のデータ量」が問題なのですよ。
あなたの発した言葉が私の脳内でイメージ化され理解、それから返したいイメージをロードして言葉にするという作業は、私であってもあなたであってもきっと一緒です。
問題はその作業の重さなのだろう…と。

「聞いて理解する(弾く)」「理解したことを言葉にして伝える(語り)」に使える私の能力を100とした時に、両方合わせて100以下であれば、聞くと話すの対面通行は可能なワケですね。
弾き語りの例であれば、簡単なモノなら同時にできるワケです。
これが100を超えると、どちらか(または両方)の作業量を削らなければならないワケです。
この場合、聞くというイン側(弾く)を削ると会話のネタにはならないワケですから、自ずと口数(語り)が減るのだろうと考えます。
今まではね、この合わせて100になる「聞いて理解する」「理解したことを言葉にして伝える」に使える能力の、個人差を考えていたのですよ。

私の100は、あなたの50かもしれない。
あなたの100は、私の200かもしれない。
だから私は会話が苦手なんだ…と。

それは間違いなく、あるのです。
でも、それだけではない気がしたのですよ。

前回のnote記事で「言語の得意さ」でアウトプットに掛かる労力が変わる点を指摘したのですが、どうやら…その前段階がありそう。
それが「会話のデータ量」という発想。

冒頭の「お客様」になってしまったスペースでの言葉が、今頃になって「クッキリ」とした画像イメージになって目の前に現れた感じがします。
8K映像のデータのような高解像度…とでも言いましょうかね。

デジタルカメラの「画素数」ってあるじゃないですか。
同じ被写体でも高画素なほどデータ容量は大きくなる。
「あなたが映っている」と分かる画像解像度で良いのか、A4サイズに引き延ばしてキレイにクッキリか、ポスターサイズでキレイでクッキリか。
同じものを写していても、そのデータ量は全く違うし、処理する作業量も違うワケですよ。

当然、その脳内画像を言葉に映してアウトプットする労力も変わってくるワケね。
あなたが必要とする言葉の解像度に合わせて発言をコントロールできれば良いのでしょうが、私のフルサイズの脳内イメージを言葉に置き換えるには、膨大な情報量を言葉に乗せる必要がでてくる…あなたには必要ないのでしょうけど。

逆もあります。
あなたの発した言葉がA4サイズの解像度であっても、私はポスターサイズの理解を脳内に展開しようとする場合がありそう…良く分からないから必死で言葉を拾って高解像度の画像を完成させようと努力する…みたいなヤツね。

「聞くのが苦手」の中身は、物理的に聞き取る能力とは別に、脳内に展開するデータの質と解像度の問題がありそうです。
そこに膨大な作業量を投入すれば、話すが疎かになるのは当然なのかもしれない…と。

もしかしたらあなたと私の「聞いて理解する(弾く)」「理解したことを言葉にして伝える(語り)」の能力は共に100なのかもしれない。
でも、そこに出し入れするデータ量が極端に違えば、作業のレスポンスに影響するハズ。

一週間も経ってから解像度を増す「理解」が、そんなことを感じさせる、会話の苦手に関しての新しい発見が私にはあったのです。

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