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Episode 137 制度だけではダメなのです。

次女は小学校に上手く馴染めないからと言って、友達がいないわけではありませんでした。
誰とでも上手くやれるタイプではありませんし、大人数が苦手なのは次女が発達障害として持つ特性として持って生まれたものだったのでしょうが、だからと言って全てのコミュニケーションが苦手というわけではないわけでして、話の合う子とは上手くやれていたのです。

学校を休んだその日の放課後に友達が遊びに来るとか…。
学校を休む「普通」の理由はケガとか病気とかでも、次女の場合はそうではないワケですから。

要するに「集団」という苦手を取り除いてあげれば、それとなく上手くやれるのです。
小学校側もその辺りは理解してくれたようで、学校に登校した日も無理矢理に教室に押し込むようなことはしませんでした。
職員室の片隅に「基地」を作ってもらい、そこで過ごすようなこともあったようです。

学校で発達障害児をどう指導していくのかという点で、特別支援学級だの通級指導教室だのという言うことが言われるようになってきました。
制度として通級指導教室とか特別支援学級とかは確かに素晴らしいと思います。
ただそれは、その制度が「あるのかないのか」という点においての話です。
その中身については、実際に私や子どもたちの経験があるワケではないので詳しくはわかりません。
ですが、私は制度があることで線が引かれることに違和感を感じるのです。

次女が通っていた小学校は、琵琶湖岸の小さな公立小学校でした。
全校で200人程度の小学校に支援級があるワケもなく、支援級に進級をすると言うことは越境すると言うことだったわけです。
そもそも、その当時の次女が明確に発達障害の診断を受けていたわけではなく、支援級に入る手続きの段階で躓くわけですよ。

今でこそ発達障害の概念自体は社会に広く認知されるようになってきました。
でも、それはあくまでも外枠の概念、特徴的な症状として外側に現われる現象面の問題だけで、内側の思考についての認識が広く知られてきたわけではありません。

次女の通った小学校は、自然と差し伸べるべき支援に取り組んでくれたのだと思います。
集団が苦手、それなら教室じゃなくて自分の「基地」で勉強しようか。
色んな先生が空いた時間で次女の勉強を見てくださいました。
公立の小学校に居ながら、フリースクールのような指導を受けていたのだろうと思います。
小さな小学校だったからこそ目が行き届いたのかもしれません。

学校教育に支援級があるのは良いことだとは思います。
ただ、そこにある「線」が気になる。
同じことが障害者雇用の問題でも起こっているのだろうと思います。
障害者雇用の「枠」ってなんだ?

今の障害者福祉を取り巻く環境について、私は「申請して得られる障害者としての待遇」というイメージを持っています。
つまり、気が付いて、申請しないとその待遇は得られないワケです。
しかも、そこには手帳取得という「一線を越えて障害者になる」手続きが必要なのです。

はたしてこれで良いのか?
そもそも発達障害は「スペクトラム」であると医学的には舵が切られているワケで、白から黒へ変わるグレーゾーンのどこかで線を引く意味が分からない。

次女の小学校時代を振り返って、通級教室じゃない通級指導をしてくれた学校の対応に感謝です。
それ故に、制度が出来ることで制度に縛られる世の中に、苦い思いを感じるのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/1/29

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