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Episode 781 錆びて壊れてしまうのです。

最近 Xで興味深いポストを見掛けました…はるまき(@41harukaze) さんのポストです。

ハナシのベースになるのは、発達障害者の「擬態」についての表現です。
ですが…このnote記事では、はるまきさんがポストで語った本題を話題にしません。
興味のある方は下にある Xの埋め込みポストからジャンプしていただくとして…。

私はね、このポストのベースになった書籍を読んだ時も思ったのですが、「擬態」の表現方法に誰かが違和感を表明するまで、その違和感の存在に気がついていないのですよ。
はるまきさんのポストについても、そうです。
「擬態」という言葉について、その本来の意味とは違うニュアンスが付与されることを嫌う…というアクションを受けて初めて「そこに問題がある (と感じる人がいる)」と知るのです。

何が言いたいのか…と言うと、私は誰かの言葉に対して「自分の意見」との比較検討を能動的に発動できない…という発見があった、ということです。
つまり「誰かが異を唱えることで、そこに問題があるのだな…と気付き、ようやく比較検討のスイッチが入ることになる」ではないか…ということ。

ポスト中の誤字は、ご容赦いただきまして。
私はね、いわゆる「受動型AS"D"」と呼ばれるタイプの Autistic(自閉の民) なのだと自己理解しています。
受動型AS"D"の特徴については何度もnote記事しにしているので、詳しく知りたい方は過去記事を読んでいただきたいのですが、受動型の特徴を一言で言えば、Autism特性である「他者視点の欠如」故の社会的トラブルを避けるために、自分の意見を封印してあなたに迎合する…というライフハックの使い手だと言うことです。

Autistic が受動型であるためには、あなたの言葉や意見に引っ掛かってしまってはダメなのです。
だからね、畑に雨が降るように、言葉という雨は私の意思に触れることなく土の中に浸透してしまうのだと、私は思っています。
ただ…雨水は土を濡らすだけで消えてなくなったワケではなく、そこにあり続けるのです。

昨年(2023年)の秋のとあるスペースをキッカケに、「何を自分の納得 (腹落ち感) とするか」が Autistic 個人によって異なる…ということに気がつきました。

冒頭に掲げたはるまきさんの Xのポストに戻り、「こだわりが強い」とされる Autistic らしく「言葉に対しての忠実性」というこだわりの自覚を示したはるまきさんの不満は、擬態という言葉に付随するハズのない「負のニュアンス」が発端にあるのだと思います。
それは言葉の忠実性が自分の納得感と結びついているように、私には見えます。

一方の私は、言葉の忠実性へのこだわりが、あまりないのです。

私が言葉の厳密性にこだわらない理由は、引っ掛からずに受け入れる「受動」というライフハックを使う後遺症 (慣れ) なのだと思うのです。
いちいち言葉が気になって、それを我慢しながらスルーしていたら、相当なストレスになるでしょう。
だから、ライフハックを成立させるために、言葉を受けずに染み込ませてしまう必要があったのだろう…と。

あなたの言葉に迎合するためには、あなたの意見を考察せずに、「真/善」であると認定してしまう必要がある。

あなたの意見が「真/善」であれば、私はそれに迎合して安心して行動することができるワケです。

だからこそ…です。
あなたの言葉に対して自分の意見を言うとは、「あなたの言葉や意見」と「私の意見」を比較検討した結果を述べる…ということです。
「自らの意見を能動的に表現することをやめる」のが受動型ライフハックであるならば、このライフハックの使い手は、自らの能動性スイッチを、自らの手でONにすることに意味を感じていないワケです。
あるハズの機能であっても不要であれば使わないワケで、使わない期間が長くなるほどその機能は錆び付いて、機能自体が損なわれてしまう…。

「擬態」という言葉について、これほどまでに自らの意見を言える、はるまきさんが羨ましい…。
いや…この意見は、はるまきさんのポストの真意とは違う部分にあって、その怒りや悲しみについて羨ましいと言っているワケではなくて、私が手放してしまった「人間が持つ機能」を使えることに対しての嫉妬と後悔でしかないのですけれど。

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