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Episode 675 タイムリミットがあるのです。

カー・ナビゲーション・システム(カーナビ)は、(スマホの地図アプリなどのナビシステムを含み)日本国内で登録されている乗用車の約8割に搭載されているのだそうです。
ところが先日、「日本ではこれほど普及しているナビも、海外ではそれほど普及していないんだよね」というハナシを聞いて、私はとても驚いたのですよ。

実は私、カーナビを題材にしたハナシを以前にもしているのです。
その時のハナシは、紙の地図のように「北が上」ではなく、「進行方向を上」にする地図読みのカスタム方法がカーナビの普及に役立ったのではないか…という視点から、「合理的配慮」とは決して障害者に対して行われる特別な「何か」ではないのだろう…とということでした。

この「進行方向を上」にする地図の書き方は、駅前の案内板などにも見られます。
コレを「整置」と呼ぶのだそうです。

整置するとは、コンパスが指し示す磁北と、あらかじめ地図に書き込んだ磁北線を合わせるように地図自体を水平に回転させる事をいう。
この作業により、目の前の風景と地図に画かれている地形や構造物が一致するはずである。

好日山荘『山の辞典-整置』より

埋め込んだ読売新聞のweb記事によれば、行政による「案内誘導に関係するガイドライン」にも進行方向を上とする旨の基準がある地域も存在するのだそうです。
卵が先か鶏か先か…みたいなハナシになるのですが、カーナビが普及する前から駅前案内板の「進行方向が上」はあった様に思います。
そうやって整置された地図に慣れ親しんだ感覚が、「日本的な文化」としてあったのかも知れません。

それに輪をかけたのは、日本の地図精度高さでしょうね。
ナビゲーションに必要なGPSデータをひと言で言えば、緯度/経度というピンポイントの位置情報でしかないから、その位置情報を地図に落とし込まないとならないワケですよ。
建物や道路の正確な位置がわかっていないと、自分のGPS位置情報と地図情報のポイントが一致しないことになる…。
どんなに私のGPS位置情報が正確でも、地図がピンボケでは意味がないのですから、カーナビは針の穴を通すレベルの「信頼できる地図がある地域」だからこそ普及した技術なのだろうと思います。

そんな便利なカーナビですが、近場の買い物などでクルマを使う時に案内機能を毎回ONにするのか…と言えば、恐らくNOでしょうね。
カーナビの案内機能をONにするのは、恐らく目的地までの道順にあまり自信がない時です。
カーナビには「リルート」という機能があって、案内されたルートを外してしまっても、現在地から新たにルートを選び直してくれるワケです。
道を外れて迷子…にならない画期的な機能と言えば、その通りなのですけどね。

この「リルート」の機能、不案内な場所で迷子にならない様にするにはとっても心強いのですけどね、近場の熟知した地域ではウザいことになるケースもしばしば…。
ロングドライブで目的地を設定し、案内を開始…幹線道路に出るまでの町道を、いつものルートでコンビニに寄って…って場面で、カーナビさんは一生懸命に「そっちじゃない」ってリルートを繰り返し促すとか、結構あるあるのハナシなのだろうなぁ…とか思うのですよ。

「コレから楽しいドライブで!」って場面で「リルート!」「リルート!」って連呼されたら…五月蠅いよねぇ。

先日、私はその五月蠅い「リルート」に絡めてこんなツイートをしました。

このツイートは以下の様に続きます。

ナビならばひたすらリルートして情報の提供を続けるのですが、情報提供された方は「五月蝿え!」となるでしょうし、ナビ側が人間なら「もういいや…」ってなるでしょうね。
お互いのベースになる部分の共有がない、「見える範囲だけでの手探りの修正」の煩わしさは、モチベーションを削るワケでして。

カーナビの場合で言えば、目的地までの間に「コンビニに立ち寄る」という情報が登録されていないから、「道を外れたよ、違う方に行っちゃダメ!」になるワケですよね。
ここで「コンビニに寄って、お茶とかガムとか、ドライブのお供を買うから」とかの合意があれば、目くじら立てて「リルート!」とは言わなくなるハズです。
この「共有したい感覚」がないと、「何で道を外れるのか?」と「何でしつこく違うと言うのか?」は並行線のまま交わることはないのだろうと思います。

このカーナビの「リルート」の部分を、「カサンドラ」や「うつ」など「ASD×定型(典型)」間で精神的に疲弊してしまう感覚と照らし合わせた時、相手との意思(感覚)の共有ができるできないを問わず、相手(自分)を理解するまでにタイムリミットが存在するのだろうと感じるのです。

ASDは先天的な脳機能特性であるから、「他者視点を持つ」という定型(典型)者が幼い頃に会得する感覚を持ち得ない(または極めて弱い)ワケです。
これによって定型(典型)のあなたが期待するルートを外れ、想定外のルートを選ぶ可能性がある…。
その事実をね、理解する必要があるのだと思うのです…あなたも私も。

ただ、その事実の理解には「タイムリミット」が存在する…何度もリルートを促すことに疲れてしまったら、あなたはASDの私と一緒にいるモチベーションを保てないでしょうし、ASDの私もワケも分からずリルートを求められて苦しいでしょう。

私は、ASDを初めとする発達障害の診断は早ければ早いほど良い…という考えです。
その理由は、先ず己(あなた)を「知る」必要がある、それがリルートの疲弊を無くすことに繋がるのだと思うから。
ただ、医療モデルが優先される現状の社会では、診断されれば問題が解決されるとは考えにくいのも事実でしょうけど。

私のASDの特質を「健全に知る」ということに、タイムリミットが存在する…と私は思います。
タイムアップした後の特質理解は、時と場合によって憎悪と嫌悪を強めることになる…。
ここからの和解と共存がどれほど大変なことかは、想像に易いだろうと、私は思うのです。

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