死ぬほど好き、は疲れるという話
今となっては過去の話で、思い出だけども、めちゃくちゃ好きになり情緒不安定というか四六時中その人の事しか考えないような、そんな片思いをしていたときがあった。
相手は会社の同僚で、まずその環境がよろしくないんだけれども、それはもうがんばった。
全く関係性がなかったところから連絡先を聞き出し、LINEを送り、デートを取り付け、食事に行き、休日遊ぶところまでこぎ着けた。
今思うと、あの行動力はどこから来ていたんだろう。
とはいえ、そういうやり取りに長けている友だちの助言があったことが大きいけども。
彼は、私が持っていないものをすべて持っている人だった。
明るく、周りから慕われ信頼されていて、笑顔がとても素敵。
物腰が柔らかいところも好きだった。
休みの日に出かけていって一緒に映画を観たりイベントに参加する分には、うまくいっていたと思う。
問題は、私が彼を好き過ぎたところだ。
久しぶりにできた好きな人、ということもあって私は必死だった。
相手は別に私のことを好きでもなんでもなく、うまくいけば付き合うこともあるかな?くらいのテンションだったと思う。
でも私はその間に、距離が縮まるごとに好きのレベルが上がっていってしまって、いつしか彼にも同じだけの好意を求めるようになってしまっていた。
案の定、彼とはすれ違いが発生し、私の転職タイミングも重なったこともあって、その後疎遠になった。
今は私も結婚してしまって、会うことはない。
「あの人の事好きだったなあ」と思うことはあれど、今更付き合いたいとは思わない。
あの時は、いわゆる「恋に恋をして」しまっていたのだろうか。
改めて考えてみると、趣味も違えば性格も違い、価値観も違った。
「好き」という気持ちだけで付き合っていたとしても、うまくいかなかったはずだ。
夫と彼の違いは、五分五分で生きていこうと思えるところだろうか。
夫とは、趣味も価値観も似ていて、身長まで似ていた。
一緒にいるのが苦でなく、結婚した今も週末二人で出かけることが楽しみだ。
友人のようでもあり、恋人でもある。
夫に抱く「好き」は、シンプルな「愛」だけではない気がする。
きっとそれは夫の方も同じで、二人で五分五分だから良いバランスを保てている。
どちらかが偏った愛情を持っていれば、いつか崩れてしまう日が来るだろう。
(実際同じだけの愛情を求めてしまっていたし)
無償の愛なんて持てる余裕もないし、やっぱり私は同じ分だけ愛情を返してくれる人がよかった。
たまに、あの時の私は周りが見えてなかったよなあ、とぼんやり思う。
いい思い出だったのか?
まあ、
急に仕事帰りごはんに行くことになったとき、慌ててファンデーションを同僚に貸してもらいに走ったのは、いい思い出だったかな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?