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あの人は、私のせいで首を吊ったかもしれない

どうも。夜になると、ふともう二度と会わないであろう人を思い出すことが多い私です。

今日はなんだかまじめな話になります。

私は以前、介護の仕事についていたことがあります。高齢者を対象とした施設で数年働き、そこで幾人もの最期を見届けてきました。

どんな人にも終わりというものは絶対にやってくるわけですから、死というものは必ずしも悲しいものではない。そう頭で思っていても、やはり昨日まで生きていた人が今日この世からいなくなってしまうという出来事は、私の理性なんか余裕で超越して、圧倒的な現実としてその意味を問うてくるのでした。

介護の仕事から離れてしばらく経ちますが、なんとなくあの職場で見送ってきた人たちのことを思い出してしまい、心にぽっかり穴が開いたような寂しさがこみ上げてきて眠れない、という夜が時折あります。

そういう時分には、自分自身の最期なんかを想像して、果たして人間の生きている意味とはなんなのか、というありきたりな哲学に取り組み、結局答えが見つからないどころか迷宮にはまり込んでさらに眠れなくなることもしばしばあります。

皆さんにも、誰かの死について考える夜がありますか?

頑固で嫌われ者なおじいさん

私が介護職として二つ目の職場に入職したとき、温和そうな入居者たちの中でポツン、と一人離れた席に座っているおじいさんがいました。

彼はいかにも気難しそうな顔で、こちらが挨拶をしても軽く会釈をするだけで言葉を返してはくれませんでした。

心なしか、ほかの入居者たちも彼からは距離を置いているように見えました。

私は上司に彼がどんな人物なのか尋ねました。すると、「あの人はわがままだから気を付けた方がいいよ」「ちょっと面倒な人なんだよね・・・」とスタッフからの評判はかなり悪いようでした。

実際、おむつ交換や入浴の際に自分の気に入らないことがあれば「バカ野郎!」「こんなこともできんのか!」とすごい剣幕で怒る場面がしばしばありました。

彼はその施設の中で独りぼっちでした。周囲の誰一人として信用せず、心を開いて談笑することもない。余命いくばくかの人生を、そうやって過ごしていくのかと思うと胸が苦しくなりました。

私には彼の境遇が他人事には思えませんでした。

私自身、周囲の人とコミュニケーションをとるのがかなり苦手で、孤立しがちな傾向にありました。なんとなく、同じような立場にある人なのかな、と親近感を抱くようになっていきました。

コミュ障、孤独な老人に認められる

それからというもの、私は彼に心を開いてもらえるよう、誠心誠意努力しました。

オムツ交換の際には、彼が痛がる体位やタイミングをなるべく把握し、最も負担のない方法で手早く対応する。車椅子からベッドへ移乗する際には、力任せではなく彼のゆっくりとした動作に合わせて丁寧に行う(彼は体重が重いために移乗が難しく、皆力任せになっていた)、などの介護士としては当たり前のことをより意識するようにしました。

それから一週間が過ぎたころ、彼がはじめて自分から私に話しかけてくれました。

話の内容はこの施設に対する不満でしたが、私はそれを否定せずに聞き入れ、なるべく寄り添うように接しました。すると、彼は嬉しそうに笑い、自分の身の上話をしてくれました。

昔はガキ大将気質でよくケンカをしていたこと。

女性によくモテてたくさん交際をしたこと。

太鼓が好きで自分の教室を開いていたこと(彼いわく、新聞にも載るほどだったらしい)。

家族のことが大好きだということ。

これまで不愛想だった彼の中に秘められていた思い出の数々は、彼にとってとても大切な宝物のようでした。思い出話をするときの彼の顔は、だれよりも優しい表情をしていました。

そんなこんなで、私たちは少しずつ心を通わせていき、ついには私だけ「○○坊」とあだ名で呼んでくれるようになりました。

私がオムツ交換や入浴の担当になると、彼は笑顔で「うれしいなー。今日は良い日だなー」と言ってくれました。

コミュ障で同世代からは1ミリも必要とされない存在であった私にとっては、その言葉が大きな救いとなっていました。

仲良くなるにつれて、彼は私に対しかなりプライベートなお願いをしてくるようになり、職務の範疇を超えることもありましたが、私は嫌な気持ちひとつせず、応えられるものについてはなるべく対応するようにしていました。

二人の間に生じた亀裂

ある日、彼が体調を崩し、一日中ベッド上で安静にしていたことがありました。私は心配になり部屋を訪れると、彼は嬉しそうに微笑みました。

顔色がそこまで悪くなかったため、私は少しホッとして彼のもとへ近寄りました。そして、その冷たい手を握って、「早く元気になってくださいね」と言葉をかけました。

すると、突然彼は大きな声で泣き出してしまいました。どうしたのかと尋ねると、「寂しい、寂しいよ。不安だよ」と私の手をぎゅっと握り返してきました。

私は改めて彼の境遇について思いを巡らせました。彼はその頑固な性格から、入居者からもスタッフからも敬遠され、いつも一人ぼっちでした。

今回のような病気で床に伏しているときでさえ、業務以外で見舞いに来るスタッフは私だけでした。

さらに、彼は家族からも見放されていました。この施設に入所してから数年経ちますが、ただの一度も面会に来たことはないのだそうです。原因は分かりません。ただ、彼は家族のことを深く愛しているのに、家族のほうは一度も面会にこないという事実だけが、私の胸を締め付けました。

自分がこの施設で働いている間は必ずそばに寄り添ってあげよう。私はそう固く誓いました。

それからしばらくは二人の良好な関係が続きました。

入居者やスタッフと揉めた際には私が仲裁に入ってなだめたり、一人退屈そうにしているときには話し相手になったり・・・・。そんな毎日を送っていたら、いつしか私は「彼の担当」という雰囲気ができあがり、彼関連のトラブルがあれば全て私が対応するようになりました。

私は嬉しい反面、ある不安を抱いてもいました。それは、私一人だけで彼の対応がきちんとできるのか、というものでした。

前述したように、彼は他の方と比べわがままな性格です。そのため、彼の要求のために自分の仕事を中断して30分以上対応するということも日常茶飯事でした。

前までは、ほかのスタッフも対応してくれていたのでそこまで仕事に支障をきたすほどではありませんでした。しかし、徐々に私一人の負担が大きくなるにつれ、彼の要求がおっくうになる場面が出てくるようになりました。

そんな毎日が続いたある日、私と彼の間に亀裂が入る出来事が起こりました。

それは、私が不安に思っていたことが的中する形となりました。

そのころ、スタッフが一気に二人辞めてしまい、慢性的な人手不足となっていました。通常の基本的な業務ですら定時内で終わるかわからない状況でした。

そんな私たちの事情など彼は知るはずもなく、いつも通り私に小間使いのような要求をしてきました。

その日、私は仕事がかなり押していて気が立っていました。「今はちょっと難しいので後でもいいですか?」と私が言うと、彼は「いや、今がいい。今頼むよ」と答えました。

私はわがままな彼に少しカチンときて、「なら今日はそのお願いは聞けません。もともと私の仕事じゃありませんから」とそっけなく返してしまいました。

すると、彼は顔を真っ赤にして「お前も、あいつらとおんなじなんだな!」と怒鳴りました。

私はショックでした。これまで、寂しい思いをしている彼のために、できるだけ寄り添ってきたつもりでした。それでも、たった一度要求にこたえなかっただけで、それを無かったことにされたように感じたのです。

私の中で何かがプツンと音を立てて切れました。全身の力が抜けました。私は力なく「そうですか」とだけ言い、その場を後にしました。

それから、私は少しずつ彼を避けるようになっていきました。故意にそうしたわけではなく、なんとなくそうなっていったのです。

彼は私の様子が気になるようでしたが、自分からはとくにそのことについて触れてきませんでした。どことなく、彼も元気がなくなってしまったような感じがしました。

自殺未遂の連絡、そして死

それから3日後の深夜。彼は突然肺炎を患い、救急病院へと搬送されました。私はその翌日の出勤でそのことを知りました。

私は彼のことが心配でした。前に体調を崩したとき、彼は不安で泣き出しました。今回はもっと辛い病気です。なんでこんなときに寄り添ってあげられなかったんだ、と自分にいら立ちを覚えました。

そして、搬送先の病院から耳を疑う情報が届いてきました。なんと彼は夜中にナースコールのヒモで首を吊り、自殺を図っていたというのです。

「生きていてもしょうがない」

そう言っていたそうです。人伝えに聞いたことなので、それが本当なのかどうかはわかりません。しかし、私は前に手を握ったときに涙を流した彼の姿を思い出していました。

そして、その数日後。彼がこの世から去ったと告げられました。死因までは詳しく教えてもらえませんでした。

先輩のスタッフは、「もともとギリギリの状態だったから」とだけ言いました。”ギリギリ”というのが、病気のことを指しているのか、精神的なことを指しているのかはわかりませんでした。

訃報を聞いた私は、彼の部屋を訪れベッドの上に座り込みました。私の頭の中を、いろいろな思い出が駆け巡りました。

最初は彼に心を開いてもらえなかったこと。その後打ち解けてとびっきりの笑顔を見せてくれるようになったこと。家族のことを嬉しそうに話していたこと。最後に距離を置くようになったこと・・・。

私はなんだか悔しくてこぶしを強く握りしめました。もし私が彼を避けずに寄り添い続けていたら、違った結末があっただろうか。

何度も何度も自問自答を繰り返しました。しかし、すでに起こってしまったことは取り返しがつきません。

これまでの人生、人間関係でたくさんつまづいてきた私のことを必要としてくれた彼。そんな彼を、私は最期に見放してしまった

そんな後悔が、数年たった今でも色あせることなく私の中で渦巻いています。

人に寄り添い続けるということはとても難しい。時には反目しあって傷つけてしまうこともある。でも、相手を傷つけてしまったその日が、最後の思い出になってしまうかもしれない。

ありきたりですが、私はそんなことに気づかされました。

大切な人はいつまでもそばにいるわけじゃない。だからこそ大切にしよう。

二度と同じ失敗を繰り返さないように、私はそう誓いたいと思います。


大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。