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『ハナミズキの輝く朝』(『続々・ありふれた恋の話』)

※R18 性的描写あります
BLに興味のない方、18歳未満の方は閲覧されないようお願いします




 薄目を開けると、見慣れない天井が見えた。
 俺が寝返りを打つと、いつでも俺をやるせなくさせる、俺が一番好きな良く知った香りに包まれた。
 枕から、大地の匂いがする。
 そこではっきりと目が覚めて、俺はベッドの上に起きあがった。身体には何も着けていない。股関節回りや四肢に軋むようなだるさと、体の最も隠されている場所に若干の熱を感じる。最近とんとご無沙汰だった、馴染みのある感覚だ。
 全ての記憶がどっと甦る。
 ――あ、昨日。
 大量の艶めかしい映像の断片や、吐息や肌の感触、強すぎる歓喜の全てが脳裏に展開され、俺は気恥ずかしさと幸福に溺れそうになる。
 これは大地のベッドだ。昨日の夜、同窓会の後に俺はこの部屋に泊まり、そして――。
 俺は髪に指を差し込んで、くしゃくしゃになるまで掻き混ぜた。
 ――やっちゃったよ。大地と。
 それも、思いがけないほど長く激しいセックスだった。
 俺が逞しくしていた妄想など子供だましだと思えるほど、大地は獰猛で貪欲だったのだ。
 男と寝るのは初めての大地に、満足なテクニックなどあるはずはなかった。だが、あいつの有り余る情熱と体力、そして生来の勘の良さと覚えの速さによって、俺の生半可なテクニックは簡単に圧倒されてしまった。俺がリードして大地は寝てればいいようにしてやるつもりだったのに、そんな決意なんかあっと言う間になし崩しになされた。
 あいつはすぐに俺の悦ぶ場所を探しだして、根気良く、情熱的でいて優しい愛撫で、俺の心と体を跡形もなくなるまで蕩かした。
 結局いいだけ啼かされた身体は、どちらのものとも知れない体液でドロドロになっている。俺はすぐにでも眠り込んでしまいそうな程疲れ果てた身体を浴室に引きずっていき、何とか体を流した。
 頼んで中出しして貰ったから、中も洗ったけど、本当は流してしまうのが惜しかった。
 生でやらせるのは初めてだ。病気が怖かったし、事後に残った相手の残滓はただの汚れに過ぎなかったから、そんなものを身体で受け止める気は毛頭なかった。一度顔射好きな奴と当たったことがあったが、その時は屈辱しか感じなかった。フェラもゴム越しでしかしないと決めていた。
 だが、大地のそれは、初めてあいつが俺に付けてくれたマークみたいなもので、流してしまうのが本当に惜しかったのだ。俺は秘所を洗いながら、ああ、俺は大地にだったら何でも許してしまうなあと思った。ぶっかけ萌えがあるんだったら好きな場所にかけて欲しいし、あいつのザーメンだったら喜んで飲む。俺はあいつのことが死ぬほど好きなんだなあと思い知るのは、こういう時だ。
 ベッドに戻ったとき、シーツは大地によって既に替えられていて、あいつは悔しいことに俺よりずっと元気だった。そして、世にも幸福そうな顔をしている。
 大地と寝てどうだったかって? 決まってるだろう、そりゃ、嬉しかったよ。嬉しいなんてもんじゃなかった。
 大地はこっち側の奴じゃないし、一生告げることも叶わない片恋だと諦めていたから、想いが通じたときは天にも昇る心地だった。だが、そこから新たな煩悶が始まったのだ。
 あいつに男が抱けるのか、俺には分からなかった。多分、あいつにも分かっていなかっただろう。優しい抱擁やキスと、裸を晒しての生々しい行為との間には、長い距離がある。これがお互いに同じ性的指向の持ち主だったら、目をつぶってでも飛び越えられる、小さな水たまり程度の距離だ。だが、大地と俺にとっては天の川ほどにも遠い距離に思えた。
 大地の方にその気がないなら、俺はそういうこと無しでもいいって思ってた。当然、触れたいし触れて欲しい気持ちはあったけど、それでぎくしゃくするぐらいだったら、全然我慢できると思っていた。でも、大地がそれなりに女と付き合ってきた過去を見てきただけに、そういうこと抜きのつきあいに、大地の方がいつまで飽きずにいてくれるのか、それが不安だった。
 あいつの態度は微妙で、その気がありそうに感じられる素振りもあるのに、一線を越えて来ようとはしない。怖じ気づいているとも、もっと穿った見方をすれば、しなければならないからしようとしてるけど、身体が付いてこないという風にも見えた。
 物欲しそうにしてあいつを追い詰めるのは嫌だったから、俺は素知らぬ顔でいた。けれども、今夜こそはと身体の方も万端整えて、おろしたての下着なんか付けたりして出かけたデートの帰りに、あっさりと別れてしまって帰ってきた夜は、一人になったマンションの部屋で何度泣きたい気持ちになったか分からない。
 だから、あいつが俺を全身で求めてくれて、欲しくてたまらないという風に触れてくれて、ことが終わった後も子供みたいなキラキラした目で俺を見て、嬉しそうな様子でいてくれることが、嬉しくないはずがない。
 今なら死んでもいい、と思った。
 本当に好きになった奴と寝るのは昨夜が初めてだったから、心と体両方で感じるセックスがここまで深い悦びをくれるものだということも、俺は知らなかったんだ。
 鼻腔をくすぐる香ばしいコーヒーの香りが辺りに漂っている。大地に呼ばれるまで、シーツに潜り込んで寝たふりをしていようか。
 俺は迷ったあげく、枕に顔を埋めてコーヒーの香りでかき消されてしまった大地の匂いをもう一度補給すると、ベッドから下りた。
 ベッドの脇に畳まれている服を発見し、
 ――脱ぎ散らしたものをいつの間に畳んでくれたんだろう。下着まで畳んでくれたんだ……。
面はゆさを感じながら服を手早く身につけて、キッチンへと向かう。
 キッチンで振り向いた大地は、 晴れやかな笑顔を見せた。
「起きたか。今コーヒーはいったことろだ」
「お前ってやっぱりまめなタイプだったんだな」
 マグカップを受け取りながら、思わず言うと、
「そうかな。そうだな。お前には、何かいろいろしてやりたくなるな」
 と返してきた。
 タラシっぽいこと言いやがる、と半目になって大地を見ると、大地はもう俺に背中を向けて、朝食の用意をするべくキッチンに向かっていた。
 ベーコンの焦げる香ばしい香り、じゅっと卵が爆ぜる音。まだ身体にけだるさが残っている俺から見れば恨めしいほどその動きは軽快で淀みがない。
 ふと、大地が鼻歌を歌っていることに気がつく。なんだこいつ、……浮かれてるんじゃないか。
 聞き覚えのあるメロディだ。それが何の唄だか分かった途端、何を考えるより早くカッと耳が火照るのを感じた。
 分かってるのか。無意識なのか。べただ。べたべただ。恥ずかしい奴……。
「どうした? 顔赤いぞ?」
 やっぱり無意識だったらしい、あからさまに嬉しそうな顔をした大地が正視できずに、俺は黙ってコーヒーを飲んだ。
 酸味と苦みだけでなく、舌に仄かな甘さを感じたのは、俺もまた浮かれてしまっているからだろうか。
 目を閉じて馥郁と漂うコーヒーの芳香を吸い込みながら、俺は乾いた夏草の上に寝ころんだときのようなお前の肌の香りを思い出す。このムズムズと落ち着かない面はゆさが、幸福というものなのだろうか。
 大地の作ってくれたベーコンエッグとトーストを食べていると、尻ポケットで携帯が振動した。メールの送り主の名前を見て、俺は眉を寄せた。
 さり気なく窓辺に立ち、フラップを開く。メールは昨夜ばったり会ったシゲルからだ。
『昨日の彼がタイチ、当たりだろ?』
 シゲルは俺が関係したことのある男の中では大分ましな部類で、強引なところもなかったし、俺の好まない行為を強要することもなかった。だが、こういう風に俺の立ち入って欲しくない領域をひょいと覗き込むようなところがある。
 出会い系サイトで知り合い、お互いの求めるものが一致して会う算段になった時、待ち合わせ場所にいたシゲルを見て、正直俺は驚いた。そういう出会いを利用する必要なんかないだろう美男だったし、物腰も洗練されていたからだ。もっとも、職業は何だか今も知らない。朝ものんびりしていて出勤を焦る風がなかったから、普通の勤め人ではないらしいと推測できるだけだ。俺の方も勤め先なんか言いたくなかったし、相手のプロフィールにも関心がなかった。人肌が恋しい夜に身体を重ねるためだけの関係に、そんなものは必要なかったからだ。
 一度、俺は寝言で大地の名前を呼んでしまったらしい。あろうことか涙まで流したということで、それ以来、シゲルは面白いジョークであるように時折「タイチ」の名前を出し、俺を苛立たせていた。
 無視しようかとも思ったが、俺は思い直してメールを打った。
『もうあんたとは会わない。メールもしないでくれ』
 そのまま送信しようとして、それなりに世話になったわけだと思い、
『あんたも元気で』
 と書き足して、送信ボタンを押した。
 すぐにメールが返ってきた。
『タイチとうまくいったんだ? おめでとう』
 俺は、シゲルのアドレスを着信拒否にしてから、アドレス帳の「シゲル」を消した。続けて、身体の渇きを埋めるためだけの男達のアドレスを、全て消した。
 俺の背中側に大地が近づき、肩越しに通りを見下ろしてきた。
 顔が近い。まだこんな風に近づかれると、ドキドキする。
「通りのハナミズキ、見たか? こんな綺麗だったなんて、さっきまで気付かなかったんだ」
 見下ろすと、丁度大地が俺を抱きしめて口付けた辺りの歩道が見える。大地の言うとおりハナミズキが、桃色と白を交互に通りに差し伸べて今を盛りと咲き誇っている。
 他の部屋の住人からも見えたかも知れない。
 バカ。バカ大地。
 昨夜も勢いで友人に俺達が恋人だとかばらしてしまっていたし、そういうことをこいつはどう考えているんだろうか。
「一緒に見るともっと綺麗に見える気がするな……」
 また大地がタラシっぽいことを言ったけど、俺はもう茶化さなかった。俺にもこいつが甘ったるいことを言いたいわけではなく、気持ちが酷く素直になってしまっているだけなんだと分かっていたし、それより何より、俺の方も胸がいっぱいになってしまっていたからだ。
「いろんなところに一緒に行こう。夏休み、取るんだろう。休み合わせて、どっか行こう」
 お前が楽しい予定を立てる子供のように勢い込んで言ったので、俺は可笑しくなって笑った。
 大地は大真面目だ。
「このハナミズキだって、お前が一緒だと全然違って見えるんだ。きっと何を見ても、俺には新しく見えると思う。お前と見てない景色を、俺は全部お前と見たい。いろんなものを見て、いっぱい話をしよう」
 ずっと、ずっとお前を見つめていた。見つめてるだけだってよかった。
 でも、こんな朝を知ってしまったから。憧れ続けた男の、くっきりとした顔の輪郭が、朝の目映い空の中に浮かび上がっている。見つめているだけではなくて、その熱に触れ、胸に抱かれて眠る心地よさと、お前の肌の香りを思う存分吸い込んでまどろむ幸福を知ってしまったから。
 お前がさっき口ずさんでいたメロディを胸に抱く。朝の光の中で、俺は今ならどんな奇跡だって信じられると思った。
 ――俺の方がずっと、奇跡だって思ってるよ。
 今、お前が、俺達を見下ろしている抜けるような青い空より鮮やかな笑顔を浮かべて、俺に振り向いた。


<了>



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