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『二年遅れの時限爆弾』

※BL小説



 俺は姉貴が嫌いだ。

 そりゃ、見た目だけなら申し分なく美人で通るルックスだろう。それは認める。
 何しろミスキャンパスまで務めたんだからな。
 だけど、楚々としているのは外見だけ。実際の姉貴は負けず嫌いで気が強くて、暑い日に帰宅するとスカートでばさばさ扇いじゃったりするようながさつ極まりない女だ。
「自慢のお姉さんでしょ?」
 と言われるたびに、俺は引きつり笑いを浮かべるばかりだ。
 姉貴に幻想を抱いているみんなに、真の姿を見せてやりたい。

 だが、そんな見かけ倒しの奴でも、二年前まで俺は結構姉貴のことが気に入ってた。
 誰もが振り返るほどの外見を鼻に掛けないところも、活発でエネルギッシュで豪快なところも、そのくせ妙に涙もろいところも、分かりにくいけど美点じゃないかと思ってきた。
 出来のいい皮一枚よりも、中身の方が数倍いいんじゃないかと思っていたぐらい。

 そんな姉貴が嫌いになったのは、二年前の夏の終わり。ちょうどこんな風に、夕風が涼しくなる季節のことだった。



「姉貴があんなに無神経な女だとは思わなかった」
 俺は、苛立ちのあまりストローでクリームソーダをやたらに掻き混ぜた。あんまり掻き混ぜるから、グラスの中身は不透明なペパーミントグリーンになってしまった。
 いろいろ腹が立つことが多い姉だけれども、何に腹が立つって、こんなにいい男をはっきりした理由もなく振ってしまったその上に、自分の結婚披露宴に招待してしまうその神経が許せない。
「俊樹(としき)さんは腹が立たないの?」
 喫茶店のテーブルを挟んで俺の向かいに座った俊樹さんは、アイスコーヒーを一口飲んで、少しだけ困ったように微笑んだ。


            * * * * *


 姉貴と俊樹さんがつき合っていたのは大学時代。
 当時高校生だった俺は、家に遊びに来るようになった俊樹さんに懐いていた。ずっと欲しかった兄貴ができたようで嬉しくてたまらなくて、俊樹さんが来るたびにまつわりついていた。
 俊樹さんは、物静かで、博識で、いつでも優しい笑顔を浮かべている人だった。お邪魔でしかなかったはずの恋人の弟にも、お義理でなく接してくれた。
 二人のデートにくっついて、夏祭りや飯に連れて行って貰ったこともあるし、俊樹さんに期末テストの勉強を教えて貰ったこともある。

 俊樹さんだったらいいな、と俺は思うようになっていた。
 何だかんだ言っても一人っきりの姉貴だし、変な男とくっついて欲しくはない。このまま俊樹さんと姉貴がうまくいって、結婚したら、俺は俊樹さんの本当の弟になれる。そうなったらいいな、と漠然と願っていた。

 だが、俺の願いは叶わなかった。
 姉貴が大学を卒業した年の夏の終わりに、二人は突然別れてしまったのだ。
 わけが分からなかった。二人はうまくいっているように見えたし、最後のその日も穏やかで、二人とも笑顔で言葉を交わしていたのだから。
「じゃあ、元気でね、真湖(まこ)くん」
 帰りがけに見た俊樹さんの、後になって思えば染みこむように哀しげだった視線を、今でも覚えている。

 しばらくして、最近俊樹さんが来ないわけを姉に尋ねた時、あれが俊樹さんがうちに来る最後の日であったことを知って、俺は凄まじく焦った。
 姉貴に理由を問いただしても、
「わたしの方から別れてって言ったのよ。もう俊樹とは付き合えなくなったから」
 と言うばかりだった。何度どうしてと問いかけても、それ以上の理由を語ろうとしない。
 三年も付き合っていたのに。あんなに俊樹さんは姉貴に優しかったのに。最後の日の帰り際に、あんなに哀しい眼をしていた俊樹さんは、きっと姉貴のことがもの凄く好きだったのに……。
 俺は姉貴を恨んだ。唐突に俊樹さんと縁が切れてしまったことが悔しかった。
 きっと姉貴には、背が高くてハンサムだけれど飾り気のない俊樹さんの、本当の良さが見えていなかったんだ。
 その日からしばらく、俺は姉貴と口をきかなかった。



 懐かしい俊樹さんと二年ぶりに再会したのが、よりにもよって姉貴の披露宴だなんて。俺は姉貴の無神経さが恥ずかしくてならず、俊樹さんに申し訳なくて、顔向けできない気分だった。
 新婦の親族席にいる俺には俊樹さんと言葉を交わすチャンスがなくて、気がついた時には、俊樹さんの姿は会場から消えていた。
 披露宴が終わってからも、俺は俊樹さんのことばかり考えていた。
 どんな気持ちでいるんだろう。傷ついただろうか。まだ姉のことを好きでいるだろうか。
 またこのまま俊樹さんと疎遠になってしまうなんて耐えられない。

 二年前に一度だけ、俊樹さんに教えてもらった携帯番号に電話をしてみたことがある。
 別れた彼女の弟から連絡をもらっても迷惑なだけだとずっと我慢していたけど、どうしても我慢できなくて、震える指で押したナンバーは、知らない人の番号になっていた。
 俊樹さんは電話番号を変えていたのに、新しい番号を教えてはくれなかった。
 もう、俊樹さんは姉貴だけじゃなく俺にも関わりたくないんだ。俺は、俊樹さんの人生から完全に抹消されてしまったんだ。
 当時の俺にはもう、それ以上俊樹さんを探す勇気は、一滴も残っていなかった。

 あれから二年たって、俺も少しは大人になった。せめて同じ後悔を繰り返すことだけはしたくない。
 ここで縁が切れるなら、その前に一度だけでいい、言葉を交わしたい。そして、姉の非礼を詫びたい。
 俺は芳名録で連絡先を調べ、俊樹さんに電話をした。会いたいと言うと、俊樹さんは二年前と何一つ変わらない穏やかな口調で、この喫茶店を指定してきたのだった。


           * * * * *


「別れる原因を作ったのは、梨花(りか)じゃなくて俺なんだよ。俺が心変わりしたんだ」
 俊樹さんの穏やかな声に、視線を掬い上げられる。
 そんなの信じられない。俊樹さんは誠実を絵に描いたような男だ。きっと姉貴をかばっているんだ。
 まじまじと見つめると、俊樹さんがほんのりと笑った。
 二年ぶりに見る俊樹さんは、やっぱりとてもハンサムだった。はっきり言って、姉貴の旦那さんになった人より数段男前だ。独特のふわりとした微笑に、何だかドキドキしてしまう。

「梨花は、真湖くんが誰より大事だったんだ。俺の気持ちに気がついて、真湖くんから遠ざけたいと思ったんじゃないかな」
 俊樹さんの気持ち?
「それってどういうこと? 俊樹さんに他に好きな人ができたからって、何で俺まで俊樹さんと疎遠にならなきゃいけなかったんだよ?」

 俺は寂しかった。悩むたびに、辛くなるたびに、俊樹さんがいたらって何度も思った。俊樹さんさえいてくれたら、この二年はずっと耐えやすく、満ち足りていたに違いなかったのに。
 だから、俺は姉貴を恨んだんだ。俊樹さんの一番だったくせにそれをあっさりと惜しげもなく捨てて、俺から永遠に俊樹さんを取り上げてしまった姉貴を。

「俺が好きになったから。梨花よりも真湖くんのことを」
 あっさりとこともなげに、二人の間に落とされた言葉の爆弾。

 何を言われたのか、分からなかった。
 他に好きな人ができたって――俺?
 ちくたくちくたく。時限爆弾が時を刻んでいる。冗談なら、一刻も早くそう言ってよ。じゃないと、爆発しちゃうよ。

「だから、俺なんかのために、大事なお姉さんにそんなに腹を立てちゃいけないよ。100%俺が悪かったんだ。梨花が俺を呼んでくれたのも、その時のことをもう許すって意味だと思う。彼女が幸せになって本当によかった」
 そう言って、俊樹さんはレシートを取って立ち上がった。
「二年ぶりに顔が見られて嬉しかったよ。それじゃ」

 気がついたときには、俺は喫茶店の窓ぎわの席に、一人取り残されていた。
『俺が好きになったから。梨花よりも真湖くんのことを』
 どろどろに濁ったクリームソーダには、もう泡は立っていなかったけれど、俺の胸の中に小さな無数の気泡が生まれて、とめどなくせり上がってくる。

 何だよそれ。
 二年も音沙汰無しで、突然、昔好きだったとか言われて。
 頭が火の玉みたいにカッカと火照った。胸の中の気泡が後から後から立ちのぼり、ざわめきすぎて息がとまりそうだ。

 どっかーん。

 ほら見ろ。大爆発だ。
 言いたいことだけ言って、俺には何も言わせないで。
 そんなの絶対許さないから。
 二年も遅れて告白してきたあげくに、また全部終わったことみたいに俺を切り捨てるなんて。

 俊樹さんが姉貴と付き合っていた三年間。俺はいつでも、俊樹さんが来るのを待ちわびていた。
 二人がデートに出かけた後に、一人の部屋で膝を抱えて、何度涙を零したこことだろう。
 大学に受かったお祝いに二人だけで中華料理を食べに行った時、姉貴に悪いような気分に怯えながらも、どんなに俺はわくわくしていたことだろう。

 姉貴が俊樹さんを披露宴に招いたのは、俊樹さんの言う通り、きっと赦しを与えたってことだと思う。
 自分が傷つけられたことへの赦しと、……もしかしたら、俺が半年ぐらい前に二十歳になったことも関係あるのかも。めちゃくちゃ自分に都合よく解釈すれば、この機会に再会するチャンスを俺たちにくれたってことなのかも?

 俺が勢いよく立ち上がると、喫茶店の椅子ががたんと大きな音を立てた。
 俊樹さんの住所なら知ってる。自分が何を言うつもりか自分でも分からなかったけど、二年分の思いを、何としても俊樹さんに聞いて貰わなければ。だってもう、二年遅れの時限爆弾は爆発しちゃったんだから。

 猛烈に怒っているはずなのに、泡立つ胸は高鳴って、足は空を飛べそうに軽い。
 俺は弾むように駆けていく。
 ひょっとしたら新しく始まるかも知れない何かを目指して。

〔了〕

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