博士後期課程へ進学しなかった理由
私は俗に言う真面目系クズという人種で、さぼりたいがさぼったらさぼったで後からの自己嫌悪感がしんどくなる面倒な人間だ。
努力する人が好きで、あんなふうに努力できる人になりたい、ひたむきに打ち込んでみたいと思うものの飽き性で続かない。ひたむきになれるほど好きなものが見つからない。
いっそ猫のように何もせず睡眠と遊びに全振りする人間になれればいいのだが、中途半端に努力する人が好きだからそんな自分は好きになれない。休みの日にただただ寝て過ごしたり、一日仕事しても、特に実のある内容が出来ないともやもやしてくる。
全体的に中途半端なのだ。さぼらない理由も、何かを努力する理由も受け身だ。
しかし、恥ずかしいことに私は大学へ行くまではそれなりに自分のことを努力家だと思っていた。穴があったら入りたい。
自分が努力ではなく努力もどきをしていることに気付いたのは、大学院生の頃だ。そしてそれは私が大学院博士課程へ進むことを諦めたきっかけでもある。
自戒もかねて記録しておく。
大学院生活
私は大学院生時代、物理学の研究室に所属していた。
研究態度だけ言えば、私は特段不真面目な学生ではなかった。
大体週6日10:00-22:00研究室に行き、研究テーマに沿って問題点を見つけ、実験し、データをとり、解析し、分析する。
チームミーティングでは二週間に一回程度成果を報告し、年に二回くらいは学会で発表をした。
そのうちいくつかでは賞をもらった。自分では割とまじめな院生だと思っていたし、学会で数回会うだけの他大学の先生たちからは、「Hotaruさんは、博士行くんでしょ?」と言われていた。
ただ、直属の指導教官の助教授(Aさんとします。)からは博士に行けとも行くなとも言われていなかった。
M1の夏ごろ、他大学と共同の研究会の打ち上げの飲み会ででいつものように他大学の先生から「Hotaruさんは博士に行くの?」と聞かれ、こう答えた。
「今の研究内容で博士をとれる自信がないですね…。」
私の研究分野はかなりマイナーな上、元となる理論もマイナーなものだった。発展性があるとは言えないし、今の内容を進めて行って研究成果として物理として新しい知見が得られるかも自信がない。
その時、黙って飲んでいたAさんが突然答えた。
「研究内容に自信がないのか、自分が博士とるだけのことが出来る自信がないのかははっきりさせたほうが良い。」
多分、一番近くで見ていたAさんは気づいていたのだろう。私がしているのが努力ではなく努力もどきであることを。
私の努力もどき
私のしていた、そして表面的に外部の人たちに認められていた努力っぽい上記の内容は、本当に研究を進めるためのものだったのだろうか。その先の物理を見据えてそこへ向かうための遠い遠い道のりを少しずつでも進んでいたのだろうか。
恥ずかしながら答えはNoだ。私はその道のりのあまりの遠さにゴールを見ることを拒否し、手っ取り早く評価されそうな内容に手を出していたにすぎない。
近い研究テーマの論文を読んで近い研究内容を把握しても、自分の研究にどう生かすか、そのために何を今しなくてはいけないかは考えていなかった。
学会で発表し、人脈をひろげてもその人たちと交流して研究を進めることはなかった。
得られたデータから見つかる問題点を場当たり的に解決していっても、大きな視点でどの様に研究を進めるべきかについて思考していなかった。
修士の間はそれで評価されても、こんな努力もどきで博士がとれるわけがなかった。
Aさんは常に学生に対して生徒と先生、という関係ではなく対等な研究者として接してくれていた。その為、穴の開いた柄杓で水を汲むような、めっきで外面だけ綺麗に見せているような研究をしていても、それが努力でないことに私が自分で気づくのを待ってくれていた。
Aさんは、本当の努力が出来る人だった。
Aさんの努力
Aさんは修士課程の頃外部から今の研究室へ進学した。当時博士の学生が一人でやっていた研究に参加し、その博士の学生が卒業してからは一人でその研究を進めていた。
当時実験に使っていた材料は企業が生産を中止しておりほとんど手に入らなかった。
研究室の他のメンバーからも教授からも「お前の研究は将来性がないからやめておけ」と何度も言われたらしい。文字通り朝から深夜まで研究室にいた。
企業が作ってくれないなら自分で作るしかないと、装置を立ち上げた。自分の専門外の化学の内容も勉強し、ツテのない化学系の学会にも参加し、協力できる人を探した。私の実績稼ぎの学会発表とは本気度が違う。
だが、博士課程途中、Aさんは自分のやっていることがゴールに近づいているのか、どこを向いて進んでいるのか分からなくなって研究室に行けなくなった。
大きな研究グループに所属している他のメンバーに会いたくなくて、でも研究は続けたくて、
深夜に研究室へ行き実験して、人が来る時間帯は家でデータを解析していた。博士号をとれるかのプレッシャーで食べても食べなくても毎日吐いていたらしい。
今私が実験で使っているような材料が安定して作れるようになったのは、Aさんがその研究を始めてから10年以上たった頃だった。今の材料でもやりたい物理の内容に対してはまだまだ改善しなければいけないが。
そういう内容のことを一緒に出張へ行ったときや飲み会の席などでぽつぽつ話してくれた。
元々自分の話をする人ではなかったので、こちらから聞いたり、相談すれば少し話してくれるという感じだったけれど、それだけでもアカデミックに対する覚悟や、努力のすごさが分かった。
そして、いままで自分が努力していると思ってやっていたことが本当に恥ずかしくなった。
私の努力
結局、私が本当に胸を張って努力したと言えるのは修士論文の公聴会前の一カ月くらいかもしれない。
修論を提出するかしないかくらいの時期に急に新しい解析手法を思いつき、文字通り寝る間も惜しんで毎日モンスターを飲みまくって解析し、解釈し、結果を出した。もともとの研究目的とは全く違う内容だったが、自分の研究で新しいことが分かるのがすごく楽しかった。
公聴会の前日の夜に研究室にいる人間で食堂に夜ご飯を食べに行った際、Aさんに
「もともとの予定からめっちゃ離れてしまいましたが大丈夫でしょうか…。」と相談したら、
「カミオカンデだって元々はニュートリノ見つける為のものじゃなかったでしょ。初めてのことをするのが研究なんだから、予定通り進めばそんなのは研究じゃない。自分(Aさんは二人称で自分っていう人でした。)のしたことは自分の頭で考えて進めた研究だ。」
と言ってくれた。そういえば学会で賞をとっても国際会議で発表しても特に褒められたことがなかったが、この時初めてAさんに褒められた気がする。
結局、公聴会で話した内容はひとまずの結果で審査員の先生方へ提出した修論から半分以上変わっており、最終版では8割修正した。
事前に渡した修論とほとんど違う内容の公聴会は審査員の先生からは酷評されるかと思っていたが、思いの外高い評価をつけて下さり、私は奨学金の免除を受けられた。
修論発表後の研究会のバンケットで、酔った勢いでAさんに
「研究っぽいものを最後に出来たのも奨学金免除してもらえたのもAさんのおかげです。Aさんは本当に良い指導教官でした。ありがとうございました。」
と冗談っぽく言ったら、恥ずかしそうに
「今更気付いた?」
と返された。
おわりに
博士後期課程に進まなかったことを全く後悔していないかといえば嘘になる。むしろ未練タラタラだ。やっぱり研究は楽しかったし。
でも、こんな意識の人間がアカデミックに進むのはおこがましいのは分かっている。公聴会直前の努力をAさんのように10年以上続けられる自信もない。
Aさんがアカデミックに向き合うような、努力を努力と思わないような、純度の高い気持ちを向けられるようなものを、私も見つけたい。
その為には、自分が何が好きで、何をして生きたいのか、考え続けないといけないんだと思う。
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