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2011.3.9

2011年3月9日。
東日本大震災の二日前。
三陸沖でマグニチュード7.3の地震が起きた。
大船渡で津波55cmを観測。
横浜でもそこそこ揺れた。

これは後から知ったことだが、この地震のあと、震源域でM5以上の地震が頻発していた。
ただ、海底下での地震のため陸地ではほとんど震度は3以下で目立ったものではなかった。
しかし、地震そのものは非常に数多く発生していた。
プレートの境界近くでM5以上の地震が頻発。

普段から地震に注視ている人、研究者、気象庁などは、これは数日中に大地震発生の可能性があると予測していたのではないだろうか?

私自身が、この頻発する地震とそれがプレート境界付近で起きていることを知っていたら、きっとヤバいかもしれないと思ったと思う。

でも、私自身が知る限りでは、そういうことをメディアが報じていたと言う記憶がない。
おそらく、今後も余震に注意してくださいくらいのことは言っていただろうが。

もし、気象庁などが大地震の可能性を予測し注意を促していたら…。
大地震が三陸沖で発生した場合、とてつもない大津波が起きる可能性があると伝えていたら…。
犠牲者は大幅に減ったのではないか?

いまさら言っても仕方のないことだが。

2011年3月11日。
震災時は会社にいた。
やはり揺れが大きいと冷静さを欠いた。
電気ストーブも消さずに、さらに建物から外へ出る際、上に注意も配らず飛び出した。
揺れがやんで部屋に戻ると、ストーブの上に雑誌が被さっていた。
ストーブは倒れればスイッチオフになるが、倒れていなかった。
もう少しで火を出すところだった…。

私自身は揺れの大きさで、どこかで尋常ならない大地震が発生していると思った。
緩やかで大きな揺れは生まれて初めて経験するものだった。
ただ、普段から内陸で生活しているので、その地震で大津波が起きると言う考えには至らなかった。

震災では主に大津波により多くの人命が失われ、大きな被害が出た。
三陸沿岸の鉄道も大打撃を受けた。

大槌駅舎、その周囲の民家は跡形もなく流された。

被災前の山田線大槌駅 2009年3月

織笠駅も路盤が流された。

被災前の山田線織笠駅ホーム 2009年3月

宮古駅の手前にある閉伊川橋梁も途中から流された。

被災前の山田線閉伊川橋梁 2009年3月

そして、福島の原発が前代未聞の大事故を起こした。
そして、今現在、事故は収束してはいない。

いま、原発を無理やり動かそうとしている日本。
それに従おうとしている国民。
震災も原発事故も喉元過ぎれば熱さを忘れたのか?
対岸の火事とでも思っているのだろうか?
残念なことだ。

2011年3月9日の地震は、東日本大震災の前震と考えられている。
その後の2日間で、これはヤバいと思った人は絶対いるはずだ。

※タイトル画像は2009年3月撮影の山田線大槌駅の駅名標。
 その背後には津波で流される前の民家が多く立ち並んでいる。
※山田線の釜石ー宮古間は、現在は三陸鉄道が運行しており、宮古ー盛岡間
 のみがJR山田線となっている。