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やりたいことってなに

まず私は現在、大学1年生だ。この4か月大学生活を過ごしてきて思ったことがあったので書こうと思う。
まずは私自身の経歴について。
あくまでこれは自分が自分のことについて振り返るために書くので、めちゃくちゃ長いし、読みずらいと思う。
けど、もし共感してくれる部分があればうれしい。


小学生から何もかも普通の人生

私は小学生の時から今までの人生で何も性格が変わっていないなと最近はよく思う。

私は自分自身を表現するのが苦手で、いつも同級生の会話を外から眺めているような、そんな小学生だった。友達はいたが、毎年、学年が変わるにつれて、一緒にいる友達も変わり、数年もたてば、どうやって話していたっけ、となってしまいどんどん疎遠になってしまっていた。今でも連絡を取りたいなと思う小学生の時の同級生はいるが、実際、自分から遊びに誘わないと遊べないような、向こうから遊びに誘ってくれるような友達はいないようなそんな気がする。

私は小学生の時、あるスポーツの習い事をしており、そのコーチに言われたことが衝撃で今でも鮮明に覚えている。
私がいつものように友人の会話を外から眺めていた時、
「そういうやつだよな、お前って。」
別にコーチは私を馬鹿にするために行ったわけではない。コーチは私のことをよく理解してくれていたからこそ、そんな言葉をかけてくれたと思う。しかし、当時、12歳だった私にはとても衝撃が強く、
「そっか、私ってこういう性格なんだ。」
と自分の性格を理解した瞬間だった。

権力を持った子におびえながら過ごす中学時代

中学生にもなると「あの子はかわいい」「あの子はコミュニケーション能力が高い」など、学年の中で一目置かれるような子が現れてくる。もちろん自分から声をかけることなど到底できないような自分はいわゆる「スクールカースト」の下のほうにいた。
中学時代も別に友達がいなかったわけではないが、多くもなく、自分と同じような性格の友達と三年間過ごした。

部活は自分自身は全くといっていいほど強くはなかったが、部活の仲間は県大会で優勝するようなそんな強いチームに入っていた。運動部というのは部活内の仲間同士の衝突がつきもので、実力が強いともなると、より仲間内での悪口の言い合いが激しく、私はいつもおびえながら、その子たちの機嫌を損ねないように話していた。
今思うと、しょうもないなと思えるのだが、当時は何とか悪口を言われないように必死に話を合わせたり、思ってもないことを口に出してしまっていたりしていたと思う。

高校受験は、幼馴染と同じところに行きたくないという理由だけで地元からは少し遠い高校を選んだ。その子とは小さなころからよく遊んでいて、習い事も同じだった。しかし、お互い、学年が上がるにつれて、これまた疎遠になってしまっていた。今までは運動神経や、友人関係、習い事など私とだいたい同じレベルだったのに、どんどん友人もかわって、幼馴染はいわゆるスクールカーストの上位にいた。当時の私はそのことを認めたくなくて、せめて学力だけは幼馴染に勝ちたい、そんな思いで家族や親せきの意見を振り切って少し遠い進学校に進学した。

今思うと楽しかったんだなと感じる高校生

高校ではそんなスクールカーストにとらわれたくないという思いが強く、また同じ中学校の子も少なかったので、自分のしたいことをのびのびできていたなと思う。

部活は週一のゆるい文化部。友達とずっとしゃべって部活が終わる。帰り道、夕日を見ながら友達と帰る。
クラスでは相変わらず友達は多くはなかったが、それなりに気が合う友達もでき、休日は遊びにも行った。

3年になるといよいよ大学受験。高校は進学校、というか自称進学校だったため、「とにかく国公立大学に行け」というような教育方針だった。当時の私はそのことを疑うことなく、先生に従い「もちろん、国公立大学っしょ」と思いながら、志望校を関西の中でも上位に来るような難関校に設定した。先生は私の成績を知っていたため「頑張ればいけるよ」などと背中を押してくれていた。私も先生が期待してくれていたことは知っていたので頑張ろうと思って勉強を頑張った。
思えば3年生の一年間は本当に勉強しかしていなかったと思う。土日は学校に行って自主学習。夏休みは講義を受けて復習して。秋は模試をひたすら受けて。正月休みだってなかった。能登半島地震が起きた時も私は家で一人勉強をしていた。
そんなこんなで迎えた共通テスト。最初の教科は公民。しかし、終わった瞬間、たぶん志望校に届かないなと思った。実際に自己採点をしたら案の定、目標点より100点以上下だった。そこで急遽、志望校を変更し、第5志望くらいの関東のほうの国公立大学に出願した。それも全く予想していなかった学部。しかし当時の私は、
「国公立大学にいけるなら、もうどうでもいいや」
と思ってしまっていた。こんなに勉強したのに無理なんだなって。その時、初めて、河合塾や、ベネッセに送る判定模試で自分の本当に行きたかった第一志望の大学を書かなかった。先生にも
「どうした?」
と点数が引くかったことに対して言われるほど点数はよくなかった。そんなこと言われてもっていう感じなのに。
そんなこんなで本来の受験生は共通テストが終わった2月から本気で二次試験に向けて勉強するのに私は何も勉強しなかった。しなかったというより、もうこれ以上できなかった。もう限界だった。初めて親の前でもう無理と泣いた。学校もいけなくなって、ちょこちょこさぼるようになった。あと一か月で卒業なのに。
今思うと、メンタルが終わっていた。こんなにやったのに全然できなかったことにショックを受け、何もしたくなかった。なので、過去問も1,2年くらいしかやっていない。しかも、復習とかもきちんとやっていないと思う。というか、もう何か年やったかも忘れるくらいにやっていない。
なのに、結果は合格。正直受かっていても受かっていなくてもどっちでもよかった。合格したのを見たときは
「受かっちゃった」
だった。一生懸命勉強していたという大学の友達には申し訳ないが。

やっぱ違うな

いけそうな国公立大学。しかもよく調べていないため、どのような学部かもよくわからない。
「とりあえず、何とかなるか。みんな大学いってるし。」
とかほんとにあいまいな気持ちで大学に入学した。
しかも県外の大学なので一人暮らし。私は、高校の時から、一人暮らしにあこがれがあったのでめちゃくちゃ楽しみだった。

仲のいい友達はできた。しかし、高校までとは違う性格の友達。そうなってくると、話は簡単だ。自分から話を振ることがなくなる。小学生の時と同じ、友人の会話を眺める日々。この時、改めて思った。
「本当に自分は何も変わらないな。」
と。
しかし、問題はそれだけでなかった。テストだ。今までは学年の中でも割と上位の成績だった私だったが、大学に入って初めて、追試というものを経験し、成績もほんとによくなかった。よく巷の大学生が言う
「単位落とす」
が現実になりそうなくらいにやばかった。勉強をしていないわけではない。それなりに友達と一緒に勉強したり、過去問ももらっていた。なのにできない。こんなこと初めてでどうしたらいいか全くわからなかった。
「頑張って勉強していた去年は一体何だったんだろう。」
「なんで大学に来たのだろう」
めちゃくちゃ泣いた。

一筋の光

そんな日々が続き、近くに親もいないため、相談もできない。そんな悩みを相談をできるような友達など大学にはいない。大学の友人は私がテストで追試を受けていること自体は知っていたが、
「頑張れ」
しか声はかけてくれず、私が真剣に悩んでいることは知らなかった。まあ、私が真剣に相談すればきっと真剣に話を聞いてくれるような子たちではあったが、でも私は相談できなかった。みんながこんな話を聞いてどう思うか怖かった。

なので、このことを小学からの友達に相談した。彼女とは保育園のころから親を通じて知っていたが、高校に入るまではそこまで仲良くなかった。しかし、高校の帰り道が一緒になったり、クラスが同じになったりしたため、徐々に仲良くなり、お互い、ほかの友人には言えないような悩みや、気持ちを話せるような関係になっていた。彼女も今の自分と同じように高校でのつらい経験から、ボランティア活動をしたり、自分でプロジェクトを立ち上げたりしていた。
その子なら、今の自分の悩みを真剣に聞いてくれ、なんかアドバイスをくれるのではないかと考え、さっそく
「話したいことあるんだけど」
といったら
「電話する?」
と言ってくれ、今の自分の状況をすべて話した。正直めっちゃすっきりした。うれしかった。こんな本当の自分の気持ちを話せるような友人は大学にはいなかったから。
そこで、彼女がやっている地元のプロジェクトに参加してみるのはどうかと誘ってくれた。内容は、今の自分と向き合い、自分がやりたいことは一体何かということについて地元でキャリア教育をしている大人と一緒に考えるというものだった。私はとにかく今のつまらなく、つらい状況から抜け出すことができるならと思い、
「やる!」
と返事し、地元に帰った。幸い、私の地元と大学は割と近く2時間で帰れる距離だった。

価値観が変わる出来事

そこからこのプロジェクトに参加し、いろいろな人の話を聞いた。有名大学に入ったが、就活はせずに自分でプロジェクトを立ち上げたり、自分でNPO法人を立ち上げたり、一般社団法人を立ち上げたり、など本当に様々な人がいた。
私は、今まで有名大学に行って、有名企業に就職し、それなりにいい給料をもらい、結婚し、出産し、といういわゆる一般ルートが正しく、それが一番幸せな道だと考えて疑わなかった。しかし、世界にはこんなにいろいろな手段があり、いろいろな生き方があると気付き、一気に自分の中の今までの考え方がいかに狭く、限定的だったと思った。
そこからもっと自分の価値観を広げるためにいろいろな人の話を聞きたいと思った。そして自分の中のネクストアクションがなんとなく決まった。

まとめ

このように今までの自分に振り返ってきたが、大学に入ってからは自分の能力に失望し、初めての挫折とプロジェクトに参加したことによる将来のことにワクワクを覚えたようなそんな期間だった。
高校という限られた空間、大学といういい意味でも悪い意味でも同じ考え方を持った人がが集まるところ。そんな狭い世界で自分のやりたいことなど、そう簡単に見つからない。もっといろんな人と触れて自分のことを考えてほしい。
これが今の自分に対する気持ちと、大学で私と同じように悩んでいる人に向けてのアドバイスだ。

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