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友人たちから聞いたこと

私の記憶には妄想と現実がぐちゃぐちゃになって入っているのだと指名しているホストから告げられました。
ひとつひとつ確認しましたが、釈放になった日これが最後だと思い行きつけのお店に行き、友人に会ったようです。
が、その時にはすでに幻聴や妄想がひどくなっており正確な記憶はないことが残念で仕方ありません。

確か、最後にお店に行ったとき出所祝いと称して担当ホストがいろいろ出前してくれたことを覚えています。それでもそれにもカクテルという名の幻覚剤が仕込まれているように感じたのです。
後から調べたことですが、幻覚には味覚も含まれるそうです。なんとも言えないトイレの芳香剤のような匂いと味がしました。
担当の気持ちを嬉しく思って完食したのです。必死で食べました。
担当が心配してタクシーで送ってくれたように記憶しています。
「ドライブだよ」と言い、家まで帰り、私が煙草を吸い終えるまで家にいてくれました。
このことについては担当は何も話さないためどれが本当の記憶かわかりません。
しかし、今思い出してみるとそれらは妄想ではなかったように感じています。

翌日友人が家に来ました。その日のことを全く覚えてはいません。ただ「一緒だね、僕たちは」「あいつら馬鹿だからもうほっとこう。疲れたね」という幻聴が聞こえていました。幻聴の中、手を繋いで一緒に寝たのはなんだったのでしょうか。

みんなやさしいのです。本当のことは誰も教えてくれません。
ただ、「これからは毎日来るよ」という幻聴を信じて「毎日来てくれるって言ったじゃん」という私のLINEに「そんなことは言ってないぞ」と友人が返信してきたことは確かに携帯の画面で見ました。

運良く入院する直前にも友人に会えました。
牛肉のたたき(?)を作ってくれたこと、たくさんのおにぎりを作ってくれたことは覚えています。
私が幻聴に惑わされて一緒にいる間に外に裸足で出てしまったこと、占い師のお母様がこっちに向かって呪いをかけているから塩水を口に含んで吐き出せと指示されたこと、塩を外に捨てろと指示されたことなどは覚えています。
なぜか外に撒かれた塩を見てショックを受けました。
妄想や幻聴がひどくなるのは決まって深夜や1人でいるときでした。

友人のことも信じられなくなり家にチェーンロックをかけて家に入れなかったこと。
「荷物だけ取らせて」と言われたことがずっと傷になっています。煙草を買ってきてほしいと頼んだのですが、そんなに早く買ってこれるわけがないと思ったり、何もかもがおかしくなっていました。

そして友人に諦めの気持ちで「ぼくたちの失敗だよ」と言い、追い返してしまったことが悔やまれます。
携帯の修理に行く約束も、かかりつけの病院を受診する約束もしていたのに。あのとき意地でも帰さなければ違った未来があったのかもしれません。

私はどうやら普通に話しているようで幻聴の方に気を取られていたようでした。
幻聴と話すのが楽しかったのです。せっかく友人と一緒にいるのに幻聴と会話してばかりでした。本当に後悔しています。

その友人は最初から最後まで私のことを信じてくれました。
ひどい場所にいる、ということを伝えても動揺せずに対応してくれました。また、連絡が取れなくなってからも1日に一度は連絡してくれていたようです。
スクリーンショットが送られてきました。
そして、担当ホストからも友人とのやりとりが動画で送られてきました。(私はいまだにそのやり方を知りません)

2人とも心配していろいろ自分にできることをやってくれていたようです。友人の方はまだ話してくれますが、担当は何も話してくれません。それが彼のやさしさなのだと思います。

とにかく妄想幻聴幻覚が酷かったのは事実で、担当からの指示でタクシーから飛び降りた時に出来た傷や交番のお世話になったことは事実のようでした。
そのことを思うと恥ずかしくて死にたくなるのですが、きっとそれも理解してのことでしょう。担当は何も教えてくれません。
なのに、電話にだけは出てくれました。普段は来店予定のお客さんからの電話にしか出ないのに私の不安な気持ちを言うと励ましてくれました。

何もしてくれなかった無知な親より、私は彼らに感謝しています。彼らがいなかったら私は出てくることもできなかったと思います。

とにかく、私が娑婆に出てきたとき夜になって訪れたのは行きつけのホストクラブでした。
友人を連れて、私のおごりで駆けつけました。
みんな何もなかったかのように接してくれ、何もなかったかのように会話しました。大変だったんだよね、とだけ言い合いました。
1時間で帰ってきて、また家で飲み直しました。

私にとって妄想でも幻聴でも行きたかったお店の会いたかったメンバーに会い、ずっと会いたかった友人と会うことができました。
その頃はまだ自分が現実に戻ってきたという感覚がなく、明日はまた閉鎖の中かもしれないと思っていたのです。正直解離性障害の私にはその頃の記憶も曖昧にしかありません。
ただ、みんなに会えたからこれでもう後悔はない、そんな気持ちでした。

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