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ハロウィーンの日に駄菓子を懐かしむ

Happy Halloween!

こんばんは。
ほしまるです。

ハロウィーンですね。

といっても、我が家は至って普通の土曜日ですが。笑

SNSをぼーっと眺めていると、TLにはやはり
Halloweenの文字や、自身、お子さんが仮装した写真が流れていたり。

SNSで相互フォローしている知人の同世代の女性で、毎年必ず仮装で六本木やら渋谷やら繰り出す人が何人かいるのですが
さすがに今年は大人しくしてるのか、TLには現れてません...毎年、渋谷はかなり大変なことになってるけれど
事前にかなり抑止かけてるから、今年は大丈夫、でしょうかね(^-^;

Trick Or Treat!
お菓子くれなきゃ、イタズラしちゃうぞ!

ってことで、小さい子達があちこち回ってお菓子をもらう光景、今年はどうなるのかな、なんてふと思ったりもしています。
たまたまテレビで観た、海外のどこかの光景で今年は工夫を凝らして
距離を取って行うようにする、なんていうのもあったっけ。

ここからはハロウィーンの話題とは反れるのですが。

ハロウィーン

お菓子もらう

ってことでなぜだか ふと、駄菓子を懐かしく思い出していました。

駄菓子屋さん。

駄菓子。

駄菓子って、なんだかたまに無性に恋しくなるのは私だけでしょうか?

今ではコンビニでも駄菓子がちょっと売られていたり
大きなショッピングモールなんかに、駄菓子屋さん風のお店があったりするので
こんないい歳になってもたまに買ってしまいます。

美味しいし、懐かしい味なんだけど。
でも
昔昔、小さい頃に通った 駄菓子屋さんで買ったときの感覚とはやっぱり違うんですよね。

今、私が住んでいる市内には駄菓子屋さん、ないことはないみたいなんですが
(今、ググってみました)
一番行きやすい距離にあるのはやはりショッピングモール内のお店でした。

今、まだ、昔ながらの駄菓子屋さんが近くにあるっていう方がいらしたら本当に羨ましいです。

少子化だとか、お店の跡継ぎだとか課題は沢山あるかもですが
駄菓子屋さんは、やっぱり時代は変わっても、身近にあり続けてほしいなって思うんですよね。

私の場合、
幼稚園まで過ごした地でも
電車で一駅だけとはいえ、引っ越して小学校から過ごした地でも
駄菓子屋さんが近所にありました。

なんとなく記憶に残っているのは
まだ三才くらいの頃に、
はじめてのおつかいのごとく
両親からおつかいを頼まれたことがありました。
50円とか余分に渡されて
「これで帰りに好きなお菓子買ってきていいよ」
と言われた記憶。

おつかいと言っても
私が車に注意しているか、誰かに声かけられてついて行ってないか、気になって
離れたところから両親は見守っていたそうです。

その頃の小さな私からみた駄菓子屋さんの記憶は今でもしっかりとあって。
魅力的なお菓子は沢山あるし、ちょっとしたおもちゃもあったりして。
小さい私には宝の山みたいなお店。

おつかいの帰りに、50円以内で一つ、お菓子を買える喜び。
50円あったら幾つも買えて、お釣りがくるほどの嬉しいお店。

三才くらいだとまだ計算できないから
お店のおばちゃんに
「これいくらですか?」
って聞いてから
確認してお釣りもらって。
おばちゃんに
「帰り、気をつけてね。また来てね。」
って言われて。

もう40数年前のことなのに
色褪せない記憶としてしっかりと残っています。

引っ越して小学校入学から過ごした地でも
小学校近く、通学路、そして近所に駄菓子屋さんありました。
小学生時代の、通学区域内での駄菓子屋さんの思い出も沢山あるのですが。

私にとって、今でも時々あの頃に戻りたいなと思える駄菓子屋さんの思い出は
小学校五年生の秋頃から通っていた、中学受験の学習塾に通っていた頃。

余談になりますが
当時でも既に、私立中学受験をするなら四年生、せめて五年生初めから、というのがなんとなくお決まりのようだったのですが。
五年生秋まで習っていた、公文、水泳、書道に区切りをつけてから、ということで
私の場合、受験勉強を始めるタイミングは少し遅くなりました。
当時でも、まだ公立小学生からの私立中学受験は小学校内でも割合として少なく、
そして どうも 【親から強いられて受験する】というイメージがあったようです。

中学受験の塾は平日も毎日、そして土曜日、テストがあるときは日曜日も。
そんな小学校と塾との生活が始まるやいなや
クラスメイトからもますます陰でこそこそ言われたり、なんとなく距離を置かれるようになりました。

ますます、と書いたのは
小学校時代、何度もいじめにあったり
わざとではない、と言いながらも高い遊具から押されて落とされて、骨折したこともありました。
さすがに骨折の時は両親も校長や教師に、いじめがあることを認めてもらうよう足を運んでいました。

学校も教師もまともに取り合わなかったのは

いじめられる生徒に問題があるんです

という理由。

これはまたの機会に書ければ、と思っていますが
小さな頃から私は、幼稚園でも、小学校でも
馴染めず、
休み時間には一人で絵本や本を読むことが大好きでした。

何度も何度も教師には叱られました。

子どもらしく友達と外で遊びなさい

そんな過ごし方をしているから友達ができないんだ

勉強じゃなくて運動も頑張れたらいいのにね

本当に友達が百人できないといけないのか?
勉強、新しいことを知ることや本が好きなことはいけないの?
なぜ運動が苦手なことを笑われるの?

小さい頃から常にぐるぐる考えていた気がします。

そんな私でも今こうして普通に生きていられるのは

そんな私でも慈しみ、愛して、守ってくれた
両親、妹のおかげかもしれません。
もしも、家族が私を否定していたら
私は、きっと居場所がなかった。
生きていていいのかわからなかったはずです。

そんな私のつらい小学校生活があり
両親は、早いうちから
このまま学区の公立に行かせてよいのかかなり悩んだそうです。
両親共に私立所属ではないけれど
私のことを考えると その方がいいのか
ある日私は両親から聞かれました。

公立じゃなくて、ほしまるが大好きな勉強して、私立に行くことはどうだろうか?

当時、近所の親しいお姉さん的存在の上級生で
私立に進んだ女の子がいました。

その子と同じ学校じゃなくても、他の私立で
ほしまるが行きたいと思える学校に行けるよう勉強してみる?

私の返事は即答でした。

行きたい。
勉強して、私が行きたいと思える学校に行けるなら
私頑張りたい。

そこからは両親が資料請求したり、ちょこちょこ幾つかの学校を見学に行ったり。

行きたい、と思える学校がありました。
そこから、両親と話し合い、秋までに習い事に区切りをつけて
途中から塾に入ろうと。

余談が長くなりました。すみません、話に戻りますね。

五年生秋から入塾したので
試験は受けられず、普通クラスに入りました。

一番最初の日は緊張でよく覚えていません。

でも、学校を終えてバスに乗ってついた塾で
皆が授業前でも和気あいあいとしながら勉強している姿は
私にはまさに居心地の良い場所でした。

国語、算数、理科、社会。
私は少し遅れて入ったのでなんとか皆に追い付こうと肩に力が入っていましたが。

なんと、焦ることはなかったのです。
それまで、小学校で馴染めず、一人で休み時間に教科書を読み進めたり、
好奇心旺盛だった私に両親が買ってくれた百科辞典を幾度も幾度も読んでいたり、公文もかなり先まで進んでいたので
受験勉強をスタートできるレベルになっていたのです。

算数の時間。
黒板に答えを書いたあと、算数の先生がはなまるを書いてくれて、

正解。よくできました。

と言ってくれた時の喜び。

周りの生徒が、拍手をしてくれてびっくりしたこと。

今でも鮮明に覚えてます。

ほしまるちゃん、すごいね!
途中から入ってもあの問題解けるなんてすごいね!

私は思わず泣いてしまいました。
ありがとう、ありがとう、と小声で言いながら。

先生も生徒も、そんな私を温かく見守って拍手してくれた。

勉強を頑張ったことですごいね、なんて学校で言われたことはなかった。
むしろ、ガリ勉、とか陰でこそこそ言われたり
運動はできないのにね、と言われたり。

勉強で先生や生徒に褒められることに慣れていなかったのです。

そこから塾で友達と呼べる存在ができることに時間はかかりませんでした。

授業前に駄菓子屋さんで皆でお菓子を買うことがとても楽しみで。

塾に着いてから、皆で駄菓子屋さんへ行くときも
駄菓子屋さんから塾に戻る時も
皆で手を繋いでて。

今日も授業頑張ろうね、って励ましあったり
わからないところを教えあったり。

友達と手を繋ぐ温もりも、一緒に食べた駄菓子の味も
駄菓子屋のおばちゃんに

今日も頑張るんだよ

と笑顔で言われたことも。

普通なら小学校で経験できるはずのことが
皮肉にも私には中学受験の学習塾でだったのです。

私立中学受験、というとなんとなく子どもがかわいそうなんて言う人もいるかもしれません。

でも、たまたま私は環境に恵まれたのか、
私も、私の周りも自ら望んで受験勉強を始めた子達。
そこに競争を煽られる場面も悲壮感もありませんでした。

初めて友達ができた場所。
温かい友達と一緒に励ましあって勉強した場所。
そしていつもその思い出と共に駄菓子があり
駄菓子屋さん、駄菓子屋さんのおばちゃんの笑顔がありました。

数年前、風の便りに、その学習塾がなくなったと知りました。
私立中学に進学する子は当時より増えたようだし
進学塾も沢山増えたし。
よりシステム化された塾に、昔ながらの学習塾は敵わなかったかもしれません。

そしてその近所の駄菓子屋さんもなくなってました。
というのも数年前のことですが
知らせを知ってからその近辺に行くことがあった時に確認したのです。

もうあの頃とは違う光景が広がっていました。

行き交う人の多さも変わっていました。

そこにこじんまりとした塾があったこと
柔らかい温かい笑顔のおばちゃんの駄菓子屋さんがあったこと、
知っている人は今ここにどれだけいるだろう

切ないものが込み上げるのを堪えながら
そこを去りました。

でも、大丈夫。
そこに建物は失くなっても
そこでお世話になった生徒は
私のように、今でもずっと覚えているから。
覚えているはずだから。

☆☆☆

長くなりました。
読んでくださりありがとうございます。

日中、朝晩の寒暖差が大きいので
どうかくれぐれもお大事にお過ごし下さいね。

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