ヒッチハイク

僕が大人になるまで Vol.3

だが、次の車が捕まるまでに10分もかからなかったのだ。

「もしよかったら仙台まで乗っていかない?」
そう青年がいうと自分の車を指差した。

「仙台までですか!本当ですか?」

彼は興奮口調で声を張り上げる。


「仙台までですか??」
と僕は掘り出し物の価値を確かめるかのように、彼の言葉をそのまま繰り返す。


「眠くなっちゃうからね」


そう彼は一言いうと車に向かって歩き出した。


車内はそれまでの2台の車と比べて静かな雰囲気のまま進んだ。
黒い縁のメガネをかけて、髪は短髪。フロントミラー越しに僕たちの方をみる彼の目線は会話の糸口を探しているように思えた。

「何されている方なんですか?」

彼が切り出していく。僕と彼は自分をコミュニケーション上手だとおもう。人はそうは思わないかもしれないが僕たちはコミュニケーション上手だと思えばそれはコミュニケーション上手なのだ。


だが僕らはとても不完全な存在である。凹凸型の個性がお互いの長所を伸ばし、短所を潰す。そのような人々の組み合わせが無限通りにあるから人生に彩りが生まれるのだ。

何から何まで要領よくうまくやることなんて不可能だ。会話が上手な人には上手な人のスタイルがあり、不得意な人には不得意な人のスタイルがあるべきなのだ。

だから僕と彼と質問ぜめにする。

「彼女っているんですか?」
「前に付き合ってたんだけど別れちゃった。」

「何かあったんですか?」
「大学の時に付き合っていた彼女がいたんだけどね。大学卒業する前に別れちゃったんだ」
「ちなみにどうしてか聞いていいですか?」

そこまで話が進んだのは初めてだった。

「いいよ」


そう青年はいうと、元カノとの思い出を語り始めた。
青年は盛岡出身であり、大学時代に元カノと出会ったこと。だが、当分のあいだ彼氏になれる見込みはなかった。かといって彼女を諦めるだけの確たる理由も青年にはなかったのである。

そして食事何度か重ねていくうちに彼女が青年の魅力に気付いていく。そして、青年からの勇気ある告白、初めてのセックスの思い出、その後どういうところに遊びに行ったのか・・・

楽しい思い出が青年の中で矢継ぎ早に出てくる。さっきまでの沈黙が嘘かのように言葉と言葉が連鎖してリズムを刻む。

だが、話が大学4年生の最後の年越しに差し掛かった時であった。

「だが幸せは長くは続かなかった」

そう彼は切り出した。場に緊張が走る。息を飲んで次の言葉をまつ。

「何かを既に持つものは、それがいつかなくなるんじゃないかと怯え、何も持っていない奴はこのまま何も持つことがないのではと心配するんだ。僕のようにね」

働く場所が青年と彼女で別々になってしまう。そのことに関して彼女から相談されたとのことだ。だが、彼は別れることを選択した。

「別れたくなかったですよね・・・?」
「別れたくはなかったさ」

陽が完全に落ち、夜が訪れる。街灯の陽の光がミラーに照らされて、青年の顔が映った時その顔は赤ちゃんがお母さんの胸の上で安らかに眠るような穏やかな表情そのものだった。

「僕は働き始めて数年は、しばらく盛岡・仙台を離れられないんだ。彼女は東京に行ってしまうからね。仕方ないんだ」
「そうなんですね」
「仕事になったらなったで元カノのことが忘れられなくてね。今でも次の恋愛に進めないんだ。」

そして、青年はこれまでの自分の恋愛観の全てを今日あったばかりの僕たちにぶつける。

「大学時代の彼女と社会人になるまで続けられるかそうでないかでその後の人生は大きく道を別にする。」

ネットでみるどんな恋愛テクニックよりも勉強になる。価値観がリライトされる。僕の新たな血となり、肉となり、青年の人生が染み込んでいく。

「君たちはまだ若いんだから、恋をして、失敗してその度に泣いて次に進めばいいんじゃないかね」
「次の1歩踏み出してみません?きっといい人見つかりますよ。だってお兄さんすごいいい人ですもん」
「そうかな」

過去に抱えた恋愛というしがらみのなかで、社会人になって何ヶ月ものあいだ青年は新しい一歩を踏み出せずにいた。


だが青年もまた僕たちとの出会いを通して、その一歩を踏み出そうとしていた。
ちょっとした偶然が運命の歯車を大きく動かす。

ふと窓を開ける。冷たい風がほおに当たる。
冬は東京から仙台にお引越しをしたようだ。

そうして、理性ではわかっていた仙台への到着に感覚が追いつく。

それと同時にお別れの時間が近づいていた。
僕は「さよなら」という言葉が嫌いだ。

意識して人前では話さないようにしている。さよならというともう2度と会えないことを意味するからだ。だから僕は「また会いましょう」と青年と握手をする。


青年とはいずれまたどこかで逢いたい。その時は、お互いの辿ってきた道を再度紡ぐとしよう。


仙台という地に到着した時、僕は「旅人」になれた気がした。

それは同時にちょっぴり大人になれた瞬間だっだ。


終わりに

このヒッチハイクという旅を通して、少しの短い時間であっても人の考え方に触れることで自分を見直すことができた。そして少なからず自分も人に影響を与えられることも自覚した。そうして、自分の振る舞いを見直す一つのきっかけとなったのは事実である。

そして、何より人の温かさを直に受けることができた。
心が折れそうな時にも乗せてくれたおばさんや青年、若夫婦と感謝を伝えても伝えきれない人がこの旅には登場した。そして、彼(名前非公開)にも一緒に旅を盛り上げてくれたメンバーとして改めてお礼を言いたい。

”感謝”がこの旅のキーワードの一つであり、今のこの日常においてもこの気持ちは今も忘れずに思い続けている。

これからは、ヒッチハイクのような”感性”が磨かれる経験をたくさんしていきたいと思う。

どんなこともそうであるが、結局自分の中の血となり肉となる知識というのは、自分の体を動かし自分の時間やお金を払って得るものだ。

本から得たできあいの知識でなく、感情の揺れ動きとともに記憶される経験は、今もその時の情景をまじまじと眼前に浮かび上がらせる。

だから「ヒッチハイク」という旅は素晴らしい。

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