ヒッチハイク

僕が旅人になるまで

第1章

旅行と旅というのは似て非なる言葉である。

旅行というのが「プラン」というレールの上を走る列車のようなものであるとすれば、旅は「偶然をデザイン」する営みである。

新しい出会い、新しい食事、見たことのない風景、そのような”想定外”の出来事の連続が”旅”というものだ。

そして、同時にそのような思い出は、強く脳裏に焼きつく。

いいことも悪いことも、忘れたくても忘れられない。

そのような「想定外を引き起こす」=「偶然を意図的に引き起こす」ためのきっかけとしての旅が僕は好きだ。

SNSが普及し、情報が溢れるようになった。生活が便利になる一方で、たくさんの不特定多数の人間が「意見」という名の凶器を振りかざし、威圧・威嚇を重ねるようになった。

ただそのような時代だからこそ「ストーリー」は力を持ち、人生に彩りを与えるのである。

そのようなストーリーの力を信じて、以下に人生で初めての旅である「仙台ヒッチハイク旅行」についてつらつらと書き連ねていきたいと思う。


第2章

2017年3月3日。埼玉県大宮駅に”僕”の姿はあった。


色白な肌に少し伸ばした濃いヒゲが旅人感を醸し出す。中学生の頃の美術の時間に使ったスケッチブックを片手にリュック一つを背負っている。

「ついにこの日がきた」

大きく息を吐き出す。不安を期待が渦巻く中、彼の到着を待つ。

今後についての思考を巡らす。どこで、どんな風にヒッチハイクを行うか、頭の中でイメージを膨らます。同時にどうしてヒッチハイクをしようと思ったのかを改めて思い出す。

未来と過去とが綱引きをしている。どちらか一方に肩入れするわけではなく、自然に身を任せる。過去が少しひっぱているようだ。

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「何か変わったことをやりたい」

そう思い始めた大学1年生の終わり頃。当時の僕は、日常とはかけ離れた”非日常”な体験を渇望していた。

学生団体の仕事をこなし、ボランティアで中学生相手に学習支援を行い、当時いた彼女とデートを繰り返す・・・

そのようなある種一つの枠組みと言える「日常」をただただ繰り返す。悪いわけでない。これはこれで今の僕を創っている。
ただこの時期の僕は「日常」に起こる偶然を超えた「何か」を求めていたのである。

ただしばらく行動には移せなかった。時間がなかったわけではない。むしろ有り余っていた。だからそんな言い訳はしない。

「多分今はその時期じゃない。今は待つしかないのだ。物事には然るべき”時期”というのが存在する」

その時期は今すぐにくるかもしれないし、ひょっとしたら来ないかもしれない。

「やりたくなったらやる」

それ以上でもそれ以下でもない。

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「おっす」

思索にふけっていた俺の前にふと現れる1人の男。身長は少し僕より低い。
黒を基調としたコーディネートにアクセントとしての白のインナー。そしてそれをシャツの下から少し出す。
いつみても彼はオシャレだ。独特のセンスをもつ。

「有吉ヒッチハイクみたいな格好じゃねーか」
「逆にそっちはヒッチハイクするような格好には見えないよ」

独特な笑いのセンスも彼は併せて持ち合わせている。彼のツッコミのセンスに気付いた頃から、いつしか僕は彼のファンになっていた。

彼とはまだ出会って1年経っていない。大学の中国語の授業が同じという一種、運命のようなそうではないような神のいたずらに引き寄せられた2人だ。

それから磁石のN極とS極のようについては離れないような関係になるまでにそれほど時間は要さなかった。

話も笑いのツボも合う。そして同時に彼も”渇望”を抱えていた。

だから彼と「春休みやりたいこと」に「ヒッチハイク」というアイディアをひねり出した時、にっこりと微笑みながら2人は真白なスケッチブックを眺める時のような目つきで互いの顔を眺めたものだ。

そこからは話が早かった。互いに空いている日程を確認し、1泊2日ではあるが、当時の大学生2人にとっては、とてつもない大冒険のような「ヒッチハイク」のデザインを始めた。


予定のネジは緩める。何があってもいいようにバッファーを2日ほどとる。
変な目標は立てない。これは旅である。何かに縛られながら自分を規定するのもいいが、流れに身を任せるという経験を求めていたのである。


場所は仙台。遠くも近くもない絶妙な距離。泊まる場所は当日考えよう。次は大宮駅で!
そうして別れた時の2人は共に少年の目をしていた。

「ペン忘れたの?」

僕が彼にそう語りかけると彼はコピー用紙のような白い歯を見せながら

「わりぃ」

とバツの悪そうな表情を浮かべた。彼のそのような屈託のない表情を見ていると”怒り”という感情がそもそも存在していなかったのではないかと錯覚する。


高島屋を目指しマッキーペンを購入する。周りの人の視線を感じる。


それもそうだ。大きなスケッチブックを手に持って歩いているような人は”画家”か”ヒッチハイカー”のいずれかである。そして僕はベレー帽を被っていない。


お腹が空いた。
腹が減っては戦ができない。先人の知恵に授かる。マックにいく。ハンバーガーを頬張りながらざっくりとした予定を立てる。

現在時刻は11時。仙台には最悪夜中に着けばいい。まずは一般道から大宮の近くにある岩槻インターチェンジを目指す。

岩槻で高速に乗ることができれば仙台まで東北道で1本だ。

ただ一般道からのヒッチハイクは非常にレベルが高いということを彼らは知っていた。
だが2人は不安の色を顔には出さない。

「強い人間なんてどこにもいやしない。強いふりのできる人間がいるだけである」

2人はわかっていたのだ。だから相手を不安にさせることはあえて言わないのだ。そうして人は強いふりをする”強い人間”を演じる。

マックをでて、コンビニの方へ歩く。
なぜコンビニでヒッチハイクをするのか。それは

・駐車するために車は徐行するため、スケッチブックの行き先の”認知”が容易である。
・道路上では、停まる場所がないためコンビニは乗降がスムーズ
・乗せてくれる車が見つからない場合は、運転手に声を直接かけられる。

という3つの要素が大きく関係する。慶應生という肩書きだけじゃない。これから何が起こるかわからない茨の道をこれまで培った”論理”という武器を使って切り開いていく。

だが、人間にはどうやら”やりたいこと”と”プライド”の「中間点」のようなものがあるらしい。全ての物体に重心があるように。

声がかけられないのだ。
それがある種の恥ずかしさからくるのは明らかである。

スケッチブックは掲げられても、どうしても声がかけられない。

「この車が全て岩槻インターにいくとは限らない」

このような論理が行動する行く手を阻む。そのような僕の心の奥底の混沌を彼は見透かしていたのかもしれない。そして、彼はその音を自分で確かめるかのようにゆっくりとした口調ではっきりと語る。

「一般論をいくら並べても俺たちはどこにもいけない」

ハッとした。はっきりと自覚する。旅と言いつつも心の奥底では予定調和を考えていたのだ。スマートにやりすぎた。人はそう簡単に変わらない。

一方で、意識一つで僕たちは”旅人”になれることも同時に痛感したのである。


「もっと貪欲に一生懸命でいようか!」

そう僕は言い放つと2時間ほどいたコンビニを離れる決断を下した。そして、岩槻インターチェンジの方へ歩き始めた。歩けば最悪2、3時間で到着する距離であったのだ。

だがヒッチハイクを諦めたわけではない。スケッチブックを常に車道に向けながら歩いたのである。恥はもうとっくのとうに置いてきた。


完璧なヒッチハイクなど存在しない。完璧なヒッチハイカーが存在しないように。

うまくいくときもあればそうでないときもある。大事なのは今ある状況をどのように自分の中で咀嚼し、再編成するかである。

「乗ってくかい?」

そうおばさんの声が車から聞こえてくるのに5分もかからなかった。

おばさんの手招きにで白いワンボックスカーに乗り込む。押し寄せるエアコンの冷気が火照った体の自律神経を整える。

「一般道で拾ったのは初めてよ」

そう笑うおばさんの顔のほうれい線にシワが寄るのをフロントミラーで横目で見ながら行き先とこれまでの経緯を話す。

ラジオからはMr.Childrenの音楽が流れている。だが、車を拾えたという興奮状態でそのピッチは普段の2倍ぐらいで僕の鼓膜を刺激する。

おばさんは仕事で移動中らしい。ちょうど岩槻インターの方まで向かうときに、僕たちを見かけたらしい。そしておばさんはいつもより早く前いた場所を出発したそうだ。

もしも僕たちがコンビニを移動していなかったら・・・
もしおばさんがいつもと同じだったとしたら・・・

僕たちは巡り会えなかったのかもしれない。
その”偶然”と”偶然”の交錯に運命なるものを感じざるにはいられない。

それからは、お互い言葉のキャッチボールを始める。最初は近い距離でゆっくり投げているが慣れてくるとお互いの距離を少しづつ離しながら、気持ちよく投げ込む。

おばさんの子供が働き始めた話や、旦那さんもヒッチハイクの子を乗っけたという話、そして僕たちの馴れ初めをおもしろおかしく話す。

気付いたときには岩槻インターの近くまで来ていた。楽しい時間は時間の経過を忘れさせる。ヒッチハイクは人との距離を詰めることの楽しさや入学直後の懐かしさを思い出させる。


同じ時間でも”車が捕まらない5分”と”おばさんと楽しく話をした5分”は同じ位相にはないのだ。

きちんとおばさんにお礼を伝えたのち、車を降りる。


岩槻インターチェンジ近くのオートバックスでひとまず休憩をとることにした。
ヒッチハイクでここまで来れたことへの興奮が抑えきれずにいた。

2人で顔を見合わせては表情をくしゃくしゃにして手を取り合って喜ぶ。同時に自分たちはもう後戻りできないところまで来たことを自覚する。

「そろそろ行こうか」

コーヒーを飲み干した僕はそう言って「仙台方面」と書かれたスケッチブックを持って立ち上がる。彼もおうといって立ち上がる。その声に緊張が伝わる。足取りが早くなる。

高速道路の手前の信号のさらに手前に立つことにした。
悪い予感というのは、良い予感よりずっと高い確率で的中するものだ。

車が捕まらないのだ。

僕らもうすうす気付いているのだ。
平日の午後の時間帯、インターチェンジから入る車も少ないのだ。

時間が刻々とすぎていく。傾いた陽の光がはやとの顔を反射する。
2時間という時の流れを実感する。

だがさっきまでの僕とは違った。先ほどのコンビニにおける彼の発言である確信があったのだ。

深刻になることは、必ずしも最善解にはなり得ないのだ。

だから、もっとどうすればドライバーに認知・乗せてもらえるのかを思考錯誤する。
心はガラスではない。ガラスは割れてしまったり、壊れることがあるかもしれないが、心は折れないのだ。

だから辛い時でも笑顔で彼に微笑む。そして彼もわかっているのだ。だから最後まで折れなかった。

「蓮田SAまで乗っていくかい?」

またしても仕事帰りの女性であった。お母さんのような優しさで包み込んでくれた。
だから僕たちも全力で場を楽しませる。そのようなギブアンドテイクの関係で世界は今日も進んでいる。

お礼を告げた時には時刻は5時30分をすぎていた。ここからが本当の勝負であると思った。

だが、次の車が捕まるまでに10分もかからなかったのだ。

「もしよかったら仙台まで乗っていかない?」
そう青年がいうと自分の車を指差した。

「仙台までですか!本当ですか?」

彼は興奮口調で声を張り上げる。


「仙台までですか??」
と僕は掘り出し物の価値を確かめるかのように、彼の言葉をそのまま繰り返す。

「眠くなっちゃうからね」

そう彼は一言いうと車に向かって歩き出した。


車内はそれまでの2台の車と比べて静かな雰囲気のまま進んだ。
黒い縁のメガネをかけて、髪は短髪。フロントミラー越しに僕たちの方をみる彼の目線は会話の糸口を探しているように思えた。

「何されている方なんですか?」

彼が切り出していく。僕と彼は自分をコミュニケーション上手だとおもう。人はそうは思わないかもしれないが僕たちはコミュニケーション上手だと思えばそれはコミュニケーション上手なのだ。


だが僕らはとても不完全な存在である。凹凸型の個性がお互いの長所を伸ばし、短所を潰す。そのような人々の組み合わせが無限通りにあるから人生に彩りが生まれるのだ。

何から何まで要領よくうまくやることなんて不可能だ。会話が上手な人には上手な人のスタイルがあり、不得意な人には不得意な人のスタイルがあるべきなのだ。

だから僕と彼と質問ぜめにする。

「彼女っているんですか?」
「前に付き合ってたんだけど別れちゃった。」

「何かあったんですか?」
「大学の時に付き合っていた彼女がいたんだけどね。大学卒業する前に別れちゃったんだ」
「ちなみにどうしてか聞いていいですか?」

そこまで話が進んだのは初めてだった。

「いいよ」


そう青年はいうと、元カノとの思い出を語り始めた。
青年は盛岡出身であり、大学時代に元カノと出会ったこと。だが、当分のあいだ彼氏になれる見込みはなかった。かといって彼女を諦めるだけの確たる理由も青年にはなかったのである。

そして食事何度か重ねていくうちに彼女が青年の魅力に気付いていく。そして、青年からの勇気ある告白、初めてのセックスの思い出、その後どういうところに遊びに行ったのか・・・

楽しい思い出が青年の中で矢継ぎ早に出てくる。さっきまでの沈黙が嘘かのように言葉と言葉が連鎖してリズムを刻む。

だが、話が大学4年生の最後の年越しに差し掛かった時であった。

「だが幸せは長くは続かなかった」

そう彼は切り出した。場に緊張が走る。息を飲んで次の言葉をまつ。

「何かを既に持つものは、それがいつかなくなるんじゃないかと怯え、何も持っていない奴はこのまま何も持つことがないのではと心配するんだ。僕のようにね」

働く場所が青年と彼女で別々になってしまう。そのことに関して彼女から相談されたとのことだ。だが、彼は別れることを選択した。

「別れたくなかったですよね・・・?」
「別れたくはなかったさ」

陽が完全に落ち、夜が訪れる。街灯の陽の光がミラーに照らされて、青年の顔が映った時その顔は赤ちゃんがお母さんの胸の上で安らかに眠るような穏やかな表情そのものだった。

「僕は働き始めて数年は、しばらく盛岡・仙台を離れられないんだ。彼女は東京に行ってしまうからね。仕方ないんだ」
「そうなんですね」
「仕事になったらなったで元カノのことが忘れられなくてね。今でも次の恋愛に進めないんだ。」

そして、青年はこれまでの自分の恋愛観の全てを今日あったばかりの僕たちにぶつける。

「大学時代の彼女と社会人になるまで続けられるかそうでないかでその後の人生は大きく道を別にする。」

ネットでみるどんな恋愛テクニックよりも勉強になる。価値観がリライトされる。僕の新たな血となり、肉となり、青年の人生が染み込んでいく。

「君たちはまだ若いんだから、恋をして、失敗してその度に泣いて次に進めばいいんじゃないかね」
「次の1歩踏み出してみません?きっといい人見つかりますよ。だってお兄さんすごいいい人ですもん」
「そうかな」

過去に抱えた恋愛というしがらみのなかで、社会人になって何ヶ月ものあいだ青年は新しい一歩を踏み出せずにいた。


だが青年もまた僕たちとの出会いを通して、その一歩を踏み出そうとしていた。
ちょっとした偶然が運命の歯車を大きく動かす。

ふと窓を開ける。冷たい風がほおに当たる。
冬は東京から仙台にお引越しをしたようだ。

そうして、理性ではわかっていた仙台への到着に感覚が追いつく。

それと同時にお別れの時間が近づいていた。
僕は「さよなら」という言葉が嫌いだ。

意識して人前では話さないようにしている。さよならというともう2度と会えないことを意味するからだ。だから僕は「また会いましょう」と青年と握手をする。


青年とはいずれまたどこかで逢いたい。その時は、お互いの辿ってきた道を再度紡ぐとしよう。


仙台という地に到着した時、僕は「旅人」になれた気がした。


第3章

このヒッチハイクという旅を通して、少しの短い時間であっても人の考え方に触れることで自分を見直すことができた。そして少なからず自分も人に影響を与えられることも自覚した。そうして、自分の振る舞いを見直す一つのきっかけとなったのは事実である。

そして、何より人の温かさを直に受けることができた。
心が折れそうな時にも乗せてくれたおばさんや青年、若夫婦と感謝を伝えても伝えきれない人がこの旅には登場した。そして、彼(名前非公開)にも一緒に旅を盛り上げてくれたメンバーとして改めてお礼を言いたい。

”感謝”がこの旅のキーワードの一つであり、今のこの日常においてもこの気持ちは今も忘れずに思い続けている。

これからは、ヒッチハイクのような”感性”が磨かれる経験をたくさんしていきたいと思う。

どんなこともそうであるが、結局自分の中の血となり肉となる知識というのは、自分の体を動かし自分の時間やお金を払って得るものだ。

本から得たできあいの知識でなく、感情の揺れ動きとともに記憶される経験は、今もその時の情景をまじまじと眼前に浮かび上がらせる。

だから「ヒッチハイク」という旅は素晴らしいのだ。

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