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徳川家康さま☘️をたどる#5☘️松平広忠さま最初の身内との敵対

この記事は有料ですが、しばらくは実質最後まで無料で読めます。
今とこ有料部分の文章は「ご覧いただきありがとうございました。」
のみですよ🤪✋

またこの記事と同じ内容を音声で聞けます。
スタエフ配信:徳川家康さま☘️をたどる#5
⬇️
https://stand.fm/episodes/63a02981425baf44c2ca7fd1

1 コンセプト

徳川家康さまはちょっと気の利く
フツーの人やってんやと仮定し
家康さまやその周囲の方々が
こんときはこー
こんときはあー思ったんちゃうやろか、と、
いちおー書物や文献も引きつつ
勝手に思いを巡らす
家康さまファンの思いを皆さまに届けます。

2 前回


前回は、家康さま、当時は竹千代君のセンセは
大原雪斎さまゆう今川家のNo.2や
また今川家がもし雪斎和尚さまも込みで存続なら
松平次郎三郎元信さん(家康さん)が
今川家No.2、軍師を継いでたんちゃうやろかゆう話をしました。

前回記事はコレですよ😀
⬇️

3 今回は家康さまのお父さまの松平広忠さん


さて今回はまた家康さんは名前ちょい出てくるだけです🙇‍♂️

今回は家康さんのお父様、
広忠さまについて2回に分けてお話をします
家康さまファンの私としましては
お祖父様の清康さん話して広忠さんの話せんわけにはいかん。

せやけど広忠さんのこと全部話したりいちいち文献をあげてたりしたらKindle本一冊くらいは書けるので細かいことはWikiでも見て🤣


おいしいエピソードあるんですわ。
広忠さん、2回も身内と敵対します。
1回目はほんまの悪もんと敵対➡️今回の記事内容です

2回目は
ほんまはええもんやってんけど
環境が変わったせいで敵対してしまった。
あー辛いそーいう感じの敵対です。
現代社会でもよーあるこじれですねぇ➡️次回の記事です。


出典的には純粋な一次史料とは言い切れない
大久保彦左衛門忠教(ただたか)さん著の三河物語ですが、
広忠さまの話は清康さまより年代が新しくやはり詳しいですね。

じいさん松平清康1511〜1535
おやっさん松平広忠1526〜1549
家康1543〜1616

こんな三代の生年没年だが
大久保彦左衛門さんは1560年〜1639年
そら広忠さんの情報のほうが詳しくなりまんなぁ


4 関連家系図


今回ひじょうにややこしいので家系図書いておきます💦

⚫︎関連家系図説明
信忠ー清康ー広忠ー家康
↓弟  ↓弟
信定 信孝

5 時代背景



さて清康さん2回目の配信でお話した通りできる方でした。
30歳まで生きていたら
清康さまの元に天下は収まったであろうに
と言われた方だが1535年24歳で亡くなる。

清康さん亡くなったあとも松平家はどーにか存続してました。
清康さんが殺害された守山崩れの10日後に
織田信秀さん攻めてくる
伊田合戦〜(愛知県岡崎市伊田)

多勢に無勢の松平家臣団は
清康さまに受けた恩を思い
なんとか松平家と土地を死守する。

そのころ後継ぎの長男広忠さん11〜12歳、
家臣団が力を併せて松平一族の「惣国」をまとめていたことでしょう。

6 悪もんその1 松平内膳信定さま登場


そんなとき1回目の同族内いざこざが起こります。

松平家悪もんその1登場
松平内膳信定さま生年不詳1490年代?〜1538年
清康さんの叔父さん(親父の弟)

元は家督を継いだ兄が暗愚だったが
信定さんは他家へ養子に出されていたため
家督を継げなかった経緯あり。
ちきしょう🤣

甥の清康さんが亡くなり
息子の広忠さん元服するも
若年をいいことに広忠さんを追い出す
松平家岡崎の城をのっとる

広忠さんは伊勢→三河茂呂城(豊橋)に避難

家臣団も広忠派と信定派に別れた
岡崎には広忠派だけれども
いつか広忠さんを岡崎に戻すという気持ちで
信定さんに従うフリをしてた人たちあり

・大久保忠俊(大久保彦左衛門の伯父さん)

この方、信定さんに起請文(ざっくり念書)書かせられる。
広忠さんに従わないという内容×7枚セット×3回
しかし広忠さん側につく
クーデタ的に広忠さんを岡崎に入場させる
⬇️
これを広忠さま岡崎入場という(1537年)

協力したのは広忠さんの叔父さん松平蔵人信孝さまで、
岡崎の留守を預かってた。
信定さんは上野(愛知県豊田にいた、なんでかは知らん)

信定さんヤバ 思って渋々従う
その後スグ亡くなり大きな問題にはならなかった
渋々従うを許してた広忠さんの器量が窺える

7 広忠さまの御人格

なお、広忠さんは三河物語で一切悪いことは書かれていない

●浪人中に人の辛さ、憂さを知る
●お慈悲、お情け、お哀れみをよく知る
●鷹狩(軍事演習を兼ねる)出たとき 家臣が田を耕していた
えらいとこ見られたと家臣が平身低頭していると
広忠さんがわいの器量がなくてすまん
恥と思うな、知行が増えることあれば十分に与えよう
今はほんまにすまん、とお謝りになった。



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