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煙草の吸殻の山を、掴んで食べたい


ある日のこと。とある友人のツイートが目に留まった。

「煙草の吸殻の山を見ると食べたくなる」


どう思っただろうか。
私は、割と共感した。
そしていいねした。

彼の真意は量りかねるが、私の考えを書こうと思う。

まず、一番初めに言っておきたいのは、我々は何も、吸い殻の山に食欲を感じているわけではないということだ。この場合の食べたいという欲求は、単純な食欲ではない。味に期待するわけでもなければ、腹の足しにするわけでもない。

それでは、煙草の吸殻の山を貪るという行為に何を期待するのか。それは、禁忌を犯す背徳が、精神に及ぼす作用の解明である。要は純粋な知的好奇心である。類型を挙げるならばカニバリズムに近いかもしれない。人肉を食すという背徳を味わいたいのと同様に、煙草の吸殻を食すという背徳を犯したい。人を食べたら狂気に犯され、決して食べる前の純潔には戻れないという。同じく、煙草の吸殻を食した人間は果たして正気でいられるだろうか。いられまい、と思うのである。

煙草の吸殻の山を、掴んで食べたい

これはある種のカニバリズム的欲求であり、人間の内なる狂気への憧憬である。正直、煙草の吸殻の山を見ると食べたくなる欲求は、ある。が、私はまだ人間でいたいので、それはもう少し先になるだろう。今後、もし世界あらゆる全てへの興味が醒めてしまったら、その時は、煙草の吸殻に人間性を犯させる、というのも一興かもしれない。



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