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混ざる

理解するとは何か。それは知識が自分に混ざることである。知識を入れて、自分の中の何かと混ざった時に、その知識は本当の意味で自分のものとなる気がする。

自分のもののになる度合いとしては、自分の核に近い部分と結合したとき、つまり自分の感情が知識と混ざったときにその理解は最大となる。

一夜漬けで覚えた英単語は多分何も覚えていない。
しかし、外人に急にキレられて英語で罵倒された時の言葉なんてのは忘れられないだろう。それはその時の言葉が、驚きや恐怖、戸惑いといった感情という核の最深部と結合するから、自分と混ざって血肉となる。

一方で高校のテストの前に覚えた年号とか公式なんてのはほとんど何も覚えていない。これは初めから覚えることを目的として、感情もなく無機質に無理やり取り込んだ知識なので、テストが終わった瞬間に自分から零れ落ちてしまったのである。外人の罵詈雑言とは違って混ざらなかったのだ。本当の意味で自分のものになっていなかったのである。

こうしてみると、なにか「心」に引っかかった知識だけが自分と混ざって取り込まれる。心と知識が混ざること、これこそが知性の本質だと説く。



。。。

誰が説いたのかって?
私さ。


498文字

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