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映画館における嗅覚

映画館の匂いについて。


久しぶりに映画館に行った。
普段あまり映画を見ないので、映画館に行くのも1年振りくらいになるだろうか。

地元は自力で行ける範囲に映画館が無く、両親もあまり映画を劇場で見る人ではなかったこともあり、元々映画館に行く習慣が無かった。

そういうこともあって、映画館の映写室に入る瞬間、
独特の高揚感を伴う緊張感を感じる。

これから映画を見るに相応しい、
悪くない緊張感だ。


しかしこの日は。

映写室に入った瞬間も何も感じなかった。


なんだろう、、、
何も感じない、、、

何かが足りない。

もしかして知らないうちに、
僕は大人になってしまったのか。
もはや映画にも興味を持てないような、
つまらない大人に成り下がってしまったのか。



ふと鼻が痒くなって、

マスクを外したその瞬間。



匂いが、


映画館の匂いが、


映画館に来たという実感が。


独特の高揚感と緊張感が。



これだ。

匂いが足りなかったのだ。


始めに感じた違和感は、
マスクによって阻害された嗅覚だった。
最近、外出時には常にマスクを着けているので全く気付かなかったが、
嗅覚から得られる情報量というのは意外と多いことに気づかされる。

視覚や聴覚と比較すると嗅覚の印象は弱い。
しかし、処理の慣れの問題もあるだろうが、
視覚、聴覚と比べるとより感覚的でごまかしの利かない感覚であると思う。


嗅覚というのは人間の五感の中で唯一、大脳辺緑系という大脳の最深部に位置する、主に感情を司る部分で知覚されるのだという。実際に辺縁系は情動的な出来事に関連した記憶形成に寄与する偏桃体や記憶・空間学習能力に寄与する海馬などを主要機関として含んでいる。

つまり、実際に他と比べて感情に直結した感覚なのである。

嗅覚と味覚の感覚に関する研究はChemical Sence 「化学感覚」という用語で総称されるらしい。精神分析的な研究にとどまらず、食に結び付いた社会科学、生理学といった幅広い分野から研究されている。この用語の存在もまた、嗅覚(と味覚)が人間の心という自然科学だけでは説明できない事象と密接にかかわっていることを裏付けている。

ある匂いを嗅ぐことによって、遠い日の思い出が想起されるなんてことは誰にでもよくある事らしい。この現象をフランスの小説「失われた時を求めて」の作者の名を取って、ブルースト効果というらしい。金木犀の香りを嗅ぐと秋が来たなと思うのもこの効果だろう。ちなみに年配の方は金木犀の香りを嗅ぐとトイレを想起する人が多いらしい。ちなみに小説の該当部分は「マドレーヌを紅茶に浸した時」の匂いで少女時代を思い出したというもの。流石おフランス、お洒落だ。

古来日本においても、古今和歌集に匂いと記憶を結びつける歌がある。

色よりもかこそあはれとおもほゆれ
たが袖ふれしやどの梅ぞも

すぐれた色より香りこそ趣深い
この宿の梅はいったい誰の移り香なのだろう。

読人不知

視覚よりも匂いの方が色っぽいという。宿に泊まって、その部屋に残った梅の香りで、前に泊まった客、或いはお手伝いさんはどんな素敵な人だろうと想像する歌だろうか。確かに、女性の匂いというのは視覚以上に想像を膨らませる。特に顔写真がなかった時代、匂いは現代以上に重要なファクターだったに違いない。どうでもいいがしゅごキャラのあむちゃんも匂いフェチだった。それにしても、部屋に入って匂いを嗅いでいるだけの情景を、これだけ情感たっぷりに歌い上げるとは。並外れたセンスである。


そういえば勘がいい人のことを「嗅覚が鋭い」などと言ったりするが、言いえて妙だ。

嘘の匂いがする、などと聞くと、なんとなく、相手の仕草といった視覚、話し方といった聴覚による推測を思い浮かべる。しかし本当は、本当に、微かな「嘘の匂い」をかぎ分けているのではないか、なんて考えてみるのも面白い。それは嘘の匂い、つまり、嘘を表す化学物質を体が放出しているということ。嘘を表す物質とはどんな物性を有しているのだろうか。



さて、話がそれたが今回見てきた映画は、

「ガールズ&パンツァー最終章」


亜熱帯の密林を駆け回るカメラワーク。

砲撃、エンジンの唸り、金属が擦れ合うときの摩擦音。

視覚と聴覚が満たされるこの高揚感。。。

ヒャッホォウ!!最高だぜぇえええ!!!!!



・・・

やはり影の薄い嗅覚であった。

映画を見た感想だからね。

仕方ないね。

でも。見る前の高揚感はお前のおかげだ。

これからも励めよ。




終わり。

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