ぶっ刺さる、ぶっ刺さる、山田の歌詞
山田亮一の歌詞の1フレーズを引用して
ただただ言いたいことを書き殴るだけ
安心やゆとりをMP3に変換してしまえば、いつでもどこでも肌身離さず持ち歩けるね。賢いわ。
2階建てのバスって乗ったことがないが、観光用だろうか。多分グリーン車みたいな感じ、ゆとりの象徴だろう。
最近、安心やゆとりを所有したくて仕方がない。
働くのも、女の子を捕まえるのも、遊ぶのも
全ては安心やゆとりを獲得するためだったのだと思うようになった。
女性を己の性欲の捌け口にしている畜生を私は嫌悪しているが、
私も女性を己の安心を得たいという欲を満たす捌け口にしているのではないか。
性欲か安心欲かという分岐はあれど、
我らの源流は同一、忌むべき畜生の血溜まりにある。
MP3は自らの醜き欲を満たすための快楽発生装置であって、
現実世界の富であり、愛であり、名声である。
これを上手にMP3に変換して自分の所有物にしてしまう人を成功者というのだろう。
2階建てのバスに乗るあの人とは、今のところ私の事ではなさそうだ。
人間って普通に生きてると慣性でずっとおんなじように生きれてしまう気がする。
これは惰性と言うべきだろうか。
狂うとはこれら慣性や惰性からの逸脱、或いはその過程である。
最近人から狂っていると時々言ってもらえる事がある。
私はただ慣性と惰性にだけ従ってきただけなのに。
突き詰めれば正気も狂気ってね。
ただただ遠い在りし日の追憶であることがこの二行だけで分かってしまう。
音は無くて映像と臨場感だけが想起されて、
まるで本当に自分の記憶のように流れ込んでくる。
今までの人生でステージに立ったことは一度も無いし、
自分の存在を腹の底から叫んだことも一度もないけど。
バンド組んでみたかったな、4ピースバンド。
3人組の最小最適解編成もいいけど、
そこに特に面白く無いしいなくても変わらないが、
いると心地いいクッションみたいな無駄な人を加えた4人組が一番心地いい。
麻雀もできるし。
大小の差はあれど、誰もが殺意を抱えながら生きているという幻想を私は未だに信じている。世間と殺意の折り合いがつく時がいつかは来るのだろうか。
そんな奴の事なんて誰も愛さないけどね。
一人暮らしって無敵だ。
いつでも思想犯でいられるし、革命犯でいられる。
自分を律する必要のない、自由でカオスなアナーキーな空間。
今はもう2LDKに住んでいるけど、
なぜか1Kの部屋の方がアナーキーで自由な雰囲気を感じるのだ。
このフレーズを聴くたびにそう思うし、
このフレーズを聴くたびにアナーキーってどういう意味だっけと辞書を引く。
切ない。
会話が途切れた瞬間に、とっくに縁が途切れていたんだと気づくこと。
時に数年来の縁でもそんな有様になっていたりするので切ない。2分というカップ麺も沸かせない刹那で何年にもわたって築き揚げてきた関係が崩れきっているのが判明してしまうという恐ろしさ。
私はいつも変わって無いねと言われる方だから、
きっと、変わったのはお前だ。
今でも空腹と精液と孤独が踊っている。
なんと僕らは既に27歳だけど。
空腹と精液と孤独から解放されたときに人間何が残るんだろう。
と考えてる時点で終わってるんだろうね。
普通はこれらが幸福と愛液と、、、
ん、、孤独の対義語ってなんだ?
これは哲学かもしれないので宿題にしておこう。
あと、別に空腹の対義語は幸福じゃ無い。
この2行だけで永遠に文章が書けてしまいそう。
これはまた今度にした方が良さそうだ。
トロフィーをくれよ。
死ぬ時くらいはいい人生だったって言わせてくれよ。
これいいよね。
君が死んだらトロフィーをあげよう。
だから俺が死んだらトロフィーをおくれ。
でもできるだけ長生きしたい。
ハヌマーン「幻によろしく」「アナーキーインザ1K」「17歳」「幸福のしっぽ」
アショカビハーラ「トロフィー」
以上。
終わり。
Thank you.
PS. えっっっ!!?山田サン音楽活動再開!?!?好きだぁあああ!ゲボゲボ
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