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身体、楽器、空間、時間の関係性を音で探る「独奏」の試み——松丸契、インタビュー

 自身のリーダー・カルテットやblank manifestoのほか、SMTKやm°feなど複数のバンド/プロジェクトで活躍する気鋭のサックス奏者・松丸契が、2020年からソロ・インプロヴィゼーションのライヴ・シリーズに取り組んでいる。シリーズの名称はそのものずばり「独奏」だ。毎回約90分間、休憩を挟まずサックス一本を手にアコースティックな響きだけを用いて演奏を行っており、静謐でサイン波のようなロングトーンから苛烈でノイジーなフリークトーンまで自在に操りつつ、何らかのモチーフとなるフレーズを即興的に繰り返すことでじっくりとそして有機的に変形/変奏していく音楽内容は、ストイックでありながら他に代え難いダイナミックな体験を聴き手にもたらす。同時にこうしたサックスが発するフレーズの妙味にとどまらず、音が空間内を飛び交い、壁面や天井、時には会場に設置されたピアノやドラムセット、あるいは客席の椅子、観客が手に持つドリンクのグラスにまで共振することによって、そのときその場にしか発生し得ないサイトスペシフィックな音響現象を創出したり、さらには90分間という長丁場の演奏をつねに緊張の糸を張り巡らせながら完遂することによって、聴き手の内面をある種の変性意識状態へと導いたりと、「独奏」の射程は通常のいわゆる音楽的な要素を大きく超え出たところに達していると言ってもいい。

 むろんフリー・フォームの無伴奏サックス・ソロと言えば、アンソニー・ブラクストンやエヴァン・パーカーをはじめ阿部薫、姜泰煥、ジョン・ブッチャー等々、数多くのサックス奏者が挑んできたテーマでもある。「無伴奏サックス・ソロ」という切り口で考えるならば、たしかに松丸契の独奏シリーズもこうした系譜に連なる試みの一つとして捉えることができるのかもしれない。だがそれはあくまでも表面的な分類に過ぎず、他のさまざまなサックス奏者たちとコンセプトを共有しているわけではない——これはおそらく「無伴奏サックス・ソロ」の系譜に位置づけられたあらゆる即興演奏家にも言えることではあるだろう。では松丸はどのような構想のもとに独奏シリーズを継続しているのだろうか。本人に話を訊く過程で浮かび上がってきたのは、いわゆる前衛/実験を標榜する先端的な音楽というよりも、音楽と呼ばれる手前にあるような固有の空間/時間に根差した響きの探索と、そこから生まれる受け手に対して開かれた表現のありようだった。(取材・文=細田成嗣、写真=齊藤聡)

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独奏のプロジェクトを開始した経緯

—— 独奏シリーズはいつから始めましたか?

松丸契(以下、松丸) 2020年1月に国立No Trunksでやったのが最初です。そのときは45分のセットだったんですけど、やってみたら倍の時間は演奏できると思って、それで2ヶ月後の3月に下北沢No Room For Squaresで初めて90分のセットに挑戦しました。途中で休憩を挟まないワンセット90分のライヴです。その後は2021年8月までは月に1回ぐらいのペースで続けてきて、下北沢No Room For Squaresでライヴをやることが多かったですが、できるだけ色々なスペースでも演奏していこうと思っています。

—— 当初は「Internal Kaleidoscope」と題してイベントを開催していましたよね。

松丸 「Internal Kaleidoscope」は実際に演奏する前に思いついたタイトルで、まだ独奏が自分にとってどういう影響があるのか理解していない段階でつけたんです。けれどタイトルがコンセプトをうまく表現できていないのと同時に、この演奏のコンセプトにタイトルをつけることで聴き手に無駄な意味合いを感じさせてしまうと思って、使うのを止めました。独りで演奏するということをフラットに捉えた「独奏」が一番しっくりきたので、今はそれを使っています。「ソロ」とか「solo」もあまり使いたくなくて、やはり日本語のコンテキストだと他の意味合いが多少生じてしまうのが理由です。

—— なぜ即興演奏のソロ・ライヴを始めたのでしょうか?

松丸 僕は「自分が今住んでいる東京という土地で、ここにいる人たちとともに音楽を発展させていきたい」とつねづね思っているんですが、独奏シリーズにはその縮小版のような意味合いがあるんです。バンドやグループとは別に、最もミニマムな形態のソロで、僕にとって音楽活動そのものに通底する大きなテーマと合わせ鏡になるような試みをやりたい。そう思って、会場の空間を最大限に利用して、その場所でしか出せない音、そこでしか作れない音楽にフォーカスを当てていく、というコンセプトのもとに独奏シリーズを 始めました。

—— たしかに、独奏シリーズはサイトスペシフィックな音楽であることが一つの大きな特徴ですよね。

松丸 はい。なのでできるだけ色々な場所でやってみようと思っています。空間とサックスさえあればどこでもできるので、野外でもやろうと思えばできるんです。必ずしもPAに繋げる必要がないですし、場合によってはステージを用意しなくてもよくて。

—— 最初は45分の演奏で、その次は90分に拡大したとのことですが、1時間半という長時間の演奏を実際にやってみた感触はいかがでしたか?

松丸 45分だと時計を確認していなくても「だいたい45分ぐらい経ったな」と感じると思うんです。けれど90分になると、おそらく人間の身体感覚では計れない時間感覚を経験することになる。感覚が相当鋭い人ならわかるかもしれないですけど、多くの人は「今何分経ったのだろう?」とわからない状態が続くことになると思うんです。それは面白いなと。なのでお客さんにはなるべく時計を見ずに聴いていただけると嬉しいですね。

会場に音響オブジェを設置する意味

—— そこは自分も面白いと感じました。同じ90分でも一般的な映画のように起承転結があれば「終わり」が予測できるかもしれませんが、即興演奏のライヴなので余計に時間感覚が宙吊りにされたような体験になります。

松丸 即興演奏のソロ・ライヴのワンセットとしては長いですよね。けれどそれぐらい長時間、お客さんに飽きさせない演奏をするという意味で、僕にとっては毎回チャレンジングな試みでもあります。ギミック的なものにも曲調にも頼らず90分間吹き続けること。ハーモニーの動きが明確にはなくて、しかも何かの文脈を彷彿させないような内容でやるということに、とてもやりがいを感じています。

—— 「何かの文脈を感じさせない」というのはやはり重視していますか?

松丸 しています。既存の文脈から離れるというのはとても大事なポイントです。もちろん必然的に何かの文脈に拠った演奏が出てきてしまったり、聴いている側が「○○っぽいな」と感じてしまったりすることはあると思いますが、そうなったらお終いだという気持ちで挑んでいます。どうしたら既存の文脈を思わせないような演奏ができるだろうかとつねに考えています。ただ、そのために特別な練習をしているわけではないです。むしろ独奏で演奏するための練習は一切していなくて、ウォームアップのときも単純に楽器を鳴らしているだけなんです。何も準備せずに、始まったら90分終わるまで吹き続けるという感覚でやっています。

—— とはいえ、会場にダンパーを解除した状態のピアノを設置したり、ドラムセットを解体して並べたり、事前にコンセプトに沿ったセッティングをしている場合もあります。

松丸 はい。あるんですけど、なぜそういったモノをセッティングしているかと言うと、実は音楽それ自体を面白くするためではないんですね。「空間の中でこういうふうに音が響いている」ということをお客さんにさまざまな方向から理解してもらおうと思って設置しているんですよ。

—— なるほど!

松丸 「こういうふうにサックスの音が空間内で作用しているんだな」という、音が鳴り響いて共振しているときの感覚がお客さんによりよく伝わればと思っていて。なので共鳴したピアノやドラムセットの音によってサックスのフレーズ自体が変化することはないんです。2021年8月7日に荻窪ベルベットサンでダンサーの荒悠平さんと独奏シリーズの一環として共演したんですけど、それもこのコンセプトの延長線上にありました。通常のデュオ・セッションのようにお互いに反応し合って一緒に音楽を作るのではなく、僕は僕であくまでも独奏をやりつつ、サックスの響きに共振する存在としてダンサーの動きを視覚的に提示できればと考えていて。

—— まるで空間内で音を展示するような、サウンド・インスタレーションにも近い発想だと思いました。ただし、ピアノやドラムセットの場合はあくまでも物理現象として共振するわけですが、ダンサーの場合はそこに人間の意志が介入します。そこら辺の違いはどのように捉えていますか?

松丸 もちろんダンサーは物理現象のように自動的に共振するわけではないですが、僕のコントロール外のところで音に反応するという意味ではピアノやドラムセットと同じなんですね。で、僕としては自分の外部にあるものがサックスの音にどのように反応するのかに興味があるんです。ただ、ダンサーの場合はお客さんが観たときに身体の動きに共感することがあったり、リスナーの立場で聴くこととの共通点を見出すことがあったりすると思うので、音に反応する身体の動きをお客さんがどのように消化するのかを探りたいと考えています。

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独奏シリーズが「実験音楽」ではない理由

—— ある種実験的な試みと言えばいいでしょうか。

松丸 うーん、いや、これは即興音楽全般に言えることなのかもしれないですけど、僕はあんまり独奏シリーズを実験としては捉えていないんです。クラシック音楽のようにダイナミクスからテンポまでしっかりと譜面に書かれているわけではないですが、ジャズにおけるアドリブであっても完全即興であっても、自分の中では客観的に見るように心がけているというか。時間の流れという面でも自分の意識を置き去りにして無意識に身を委ねるということはなくて、あくまでも時間の流れが把握できるように俯瞰しているというか。そういうふうに捉えられるように意識してやっているんです。

—— 「音響結果が予想できない行為」という意味での実験性についてはどうでしょうか?

松丸 同じように考えています。実験音楽と捉えるとあらかじめ結果が予想できない、つまり「失敗」の可能性が出てきますが、僕は「失敗」を想定していないんです。そもそも上手くいくかどうかの問題ではなく、どう転んでも表現であり音楽であると思っています。たまに「もっと吹けばよかったのに」とか「躊躇していた」と言われることがありますけど、別に遠慮したことも躊躇したこともなくて、つねにやるべきことをやっているだけなんです。それはお客さんの単なる推測に過ぎず、表現に対する評価ではないですよね。ある意味もったい ない聴き方だと思います。出方を見計らったけれども出られなかった、ということは一度もありません。独奏をするときは結果がどうなるか予想できないという態度ではやっていないんですね。だから実験音楽とカテゴライズするのは違うのではないかと思っています。ざっくりとしたジャンル分けではそう呼ばれることになるのかもしれないですけど。

—— 即興演奏であっても、松丸さんの独奏は「何でもアリのデタラメ」や「その場で感じたことを感じたままに表現する」といった趣旨の演奏とは大きく異なり、演奏内容の方向性はかなり決められています。

松丸 そうですね。デタラメや直観に委ねた自由な表現とは全く違います。理性的なものと本能的なもののスペクトラムがあるとしたら、かなり理性的なものに寄った試みだと思います。もちろん音楽なので本能的な要素がないわけではないですけど、理性を働かせるという意味ではかなり意識して、音をどう形作るのかつねに考えながらやっていますね。ブレスのこともアーティキュレーションのことも90分間ずっと考えながら、かなり集中してやっています。

—— 実験的ではないという意味で、演奏内容は事前に決まっていると。

松丸 いや、事前に決めているというよりも、吹き始めた瞬間に決まるんです。ライヴの最初の段階でその先が見えて、終わり方も想定できてしまう。そういう感覚で演奏しています。まずは空間に馴染むことが大切なので、最初は馴染むような演奏をします。僕にとってもそうですし、お客さんにも空間に馴染んで欲しいんです。それで一度馴染んだら、色々なことができるようになる。そこから最後までずっと繋がったまま、形だけが変化するような感覚で演奏しています。

—— 独奏でやる内容をあらかじめ譜面に書こうと思ったことはありますか?

松丸 記譜を考えたことはないですね。譜面に書いた方が上手くいくものであれば、その場でやる必要がなくなってしまうので。というか、書いた方が上手くいくような種類の音楽であれば、ちゃんと時間をかけて作曲して、別の内容としてプレゼンしたいと思っています。独奏は「その時間に、その空間で」というのがコンセプトのコアにあるので、その時間の前に作ってしまったらコンセプトが崩壊してしまうんです。

「どれだけサックスという楽器にアクセスできるのか追求したい」

—— 「その時間に、その空間で」ということ以外に独奏シリーズで重視しているコンセプトはありますか?

松丸 それぞれの楽器に特有のできることとできないことがあると思うんですけど、自分がどれだけサックスという楽器にアクセスできるのかということは独奏シリーズで追求していきたいと思っています。サックス1本でやることに意味がある演奏に取り組みたいんです。例えばマルチフォニックを使用したり、12音階以外のマイクロトーンを取り入れたり。それとサックスは他の楽器と比べると、運指を視覚的に想像しにくい楽器なんですね。ピアノであれば頭の中で鍵盤を想像して弾くことのイメージを浮かべることができる。キーの配置を視覚的に想像しやすいと思うんです。ギターもフレットを想像したり、ドラムスもセットの配置を考えることができますが、サックスの場合は運指が見えないんですよ。たとえ見えたとしても情報としてあまり有用ではない。なので多くのサックス奏者は指の感覚を身体に馴染ませていて、音程も指の感覚で把握できるようになるんです。そうしたサックスに特有の楽器と身体の関係性を頼りにフレーズを作っています。

—— 管楽器ならではの奏法の一つに循環呼吸がありますが、松丸さんは使用しないですよね。そこには何か理由があるのでしょうか?

松丸 あまり興味が湧かないというのはあります。僕がやる音楽に循環呼吸が必要だろうかと考えると、今のところは必要ではないなと。もしかしたら今後やることがあるかもしれないですけどね。管楽器の独奏だと循環呼吸は今や一つの言語としてスタイル化されていて、使いこなしている素晴らしいミュージシャンもたくさんいますけど、僕自身はその文脈で音楽をやりたいわけではないんです。サックスのソロ・インプロヴィゼーションの文脈に沿うのではなく、あくまでも自分なりのやり方でサックスでしかできないことを表現したいと思っています。

—— サックスのソロ・インプロヴィゼーションという点で、初めて聴いたときに衝撃を受けたミュージシャンはいますか?

松丸 正直に告白すると、特にないんです。そもそも僕、音楽の熱狂的なリスナー ですらないというか。もちろん音楽は好きですけど、まずもってサックスを吹くのが楽しくて音楽をやっています。パプアニューギニアにいた頃は渡辺貞夫さんのCDしか持っていなかったので、最初はそればっかり聴いていました。あとは流行りのポップス。当時僕がいた村には海賊盤でしか音楽が入ってこなかったんです。なので前の年に大ヒットした曲、例えばR&Bとかヒップホップの流行りの曲が海賊盤で回ってきて、USBに入れて友達とシェアして。高校を卒業するまではジャズもほとんど聴いたことがなくて、オーネット・コールマンの存在さえ知りませんでした。マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーン、チャーリー・パーカー、ルイ・アームストロングぐらいしか知らなかったんです。

—— 「始めにサックスありき」とでも言うべき音楽体験を経ているからこそ、フリー・インプロヴィゼーションにおけるサックス・ソロの系譜とは全く別の文脈から独奏シリーズに取り組んでいるとも言えそうです。

松丸 そうかもしれないです。 独奏シリーズに限らず、音楽を作るプロセスの段階で 他の音楽を参考にすることが最近はほとんどないんです。ラップを乗せるために上手くラップがハマりそうな曲を作ることはありますけど、何かの楽曲を参考にしたり、ヒップホップというスタイルをやりたくて作ることはなくて。SMTKの「Otoshi Ana」という曲は「トラップっぽくしよう」とは思いましたけど、それはトラップというスタイルをやりたかったわけではなくて、あくまでもSMTKのメンバーとゲストの荘子itさんのために曲を書く上でトラップっぽさが上手くハマるかなと。その感覚はカルテットでも同じで、誰かと一緒に音楽をやろうとしたときに「この人たちだったらこれを書いたら 上手く機能するな、予想以上のものを生み出してくれるな」と想定して作っているだけであって、何かの音楽をベースにしたり 再現しようとしたりしているわけではないんです。

オーネット・コールマンについて、または独奏からのフィードバック

—— 例えばSMTKの最初のEP『SMTK』にも収録されている「In the Wise Words of Drunk Koya」という楽曲がありますが、あそこではオーネット・コールマン的なアプローチが取り入れられていました。

松丸 たしかに、あの曲はオーネット・コールマンをあからさまに参考にしています。全く課題でもなんでもなかったのですが、バークリー時代に作った曲で、当時は半年間ぐらいオーネットを聴き続けて研究していたので、演奏家としても作曲家としても影響を受けましたね。彼はサックスを演奏するときの運指がかなり独特で、初めて聴いたときはすごく新鮮でした。普通だったらサックス奏者が選ばないような音の跳躍の仕方をするんですよ。おそらく彼に固有の言語で、作曲面にも通じているのだと思います。それにはたしかに衝撃を受けて、けれど真似するわけではなく、僕も自分にしかできないような音の作り方をしたいと思いました。

—— オーネットが提唱するハーモロディクス理論についてはいかがでしょうか?

松丸 ハーモロディクス理論に関しては、僕がバークリーにいた頃にレッスンを受けていたジョー・ロヴァーノやジョージ・ガゾーンがオーネットをリスペクトしていて、直接交流もあったので、その二人から話を聞くことがありました。ものすごくざっくりと説明すると、色々なものが混在して、同時に存在して並行して鳴って、その中で生まれてくる音がある、みたいな話ですよね。そういう意味では今に活きているところはあります。即興の現場でも単なるコール&レスポンスではなくて、まさにそうした意味で成り立つようなセッションが多々あるので。大友良英さん、芳垣安洋さんとトリオでセッションさせていただいたときも、三人が並行してアイデアを出し合いつつ、その中で絡み合ったり解れたり、別のものに発展していったり、全員が同じ方向に合わさったと思ったら拡散したり。とはいえ、オーネットのハーモロディクス理論を意識して演奏しているというわけではないです。

—— 複数人でのセッションの現場における経験は独奏シリーズにフィードバックすることもあるのでしょうか?

松丸 どちらかというと逆です。独奏で得たものを他の現場で試してみることが多いです。例えば独奏のときに出てきたフレーズを覚えていて、浦上想起さんのシングル「甘美な逃亡」やDos Monosのアルバム『Dos Siki 2nd Season』収録の「A Spring Monkey Song」で使ったりしています。SMTKの新作『SIREN PROPAGANDA』の一曲目「Headhunters」のメインリフはまさに独奏で得た音列と吹き方です。反対に他の現場でやったことが独奏にフィードバックすることはあんまりないですね。もちろん無意識のうちに影響を受けていることはあるとは思いますが、やっぱり独奏はあくまでもそのときその場で自分一人で作っている音楽なんです。

—— そう考えると独奏シリーズにはプラクティス的な側面もあると。

松丸 そうですね。ただ、通常の練習とは全然違います。単純に独奏のときにやった内容をたまたま覚えていて、それを使えるなと思った場面で再利用するという感じです。なので新しいフレーズを見つけるために独奏シリーズをやっているわけではありません。もしかしたら他の場面で使えるようなフレーズが何も出てこないこともあるかもしれないですし、たとえ出てきたとしても覚えていないかもしれないですけど、そこにはあまり重きを置いていないです。

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「普段は人間が別の目的のために利用している空間で演奏したい」

—— 独奏シリーズはサイトスペシフィックであることが一つの特徴なので、先ほど松丸さんが仰っていたように、野外では野外ならではの音を聴くことができそうです。路上や洞窟のような特異な音環境でのライヴも聴いてみたいです。

松丸 はい、やりたいと思っています。野外だと音が完全にドライになりますし、環境音もすごく入ってくる。路上でも建物と建物の間だと独特の反響が生じたり、色々と面白いことはできそうです。環境音で思い出したんですが、実は独奏シリーズでは一番最初だけ空間から情報を得ることがあるんですね。さっきの「まずは空間に馴染む」という話にも繋がるんですけど、例えば会場でずっと鳴っている冷蔵庫の機械音を聴いて、その倍音からサックスの演奏を始めたり。「この空間に入りましたよ」ということをそれとなく示す意味合いがあります。野外でやる場合も最初に耳に入ってきた音をきっかけにして演奏し始めるかもしれないです。

—— 特にやりたい場所というのはありますか?

松丸 洞窟は反響音が面白そうですよね。特定の洞窟について詳しいわけではないので、具体的にどことはわからないですが……面白い空間でコンセプト的に絡めることができる場所であればやりたいと思っています。今はバーのようなところが多いんですが、それは小さい空間で反響音が面白いからなんですね。あとは例えば、高い吹き抜けがあるオフィスのロビーとかだと面白いかもしれないです。普段は即興演奏のライヴをやらなそうなスペースでやってみたいですね。どうすれば実現できるか分からないというか、自分だけの力では無理なので……ブッキングお待ちしてます!

—— ライヴハウスやコンサートホールのような音楽のために作られた空間よりも、そうではない場所で面白い空間を探していきたいという思いはありますか?

松丸 あります。一見すると音楽とは関係なさそうな空間がいいですね。普段は人間が別の目的のために利用している空間で、面白いところがあればぜひやってみたいです。もちろん洞窟や廃墟のように人けのない場所でも面白ければやってみたいです。お客さんが来ることが難しい場所であれば、映像として残すのはありかもしれません。ただ、そうすると録音の仕方をかなりこだわらないと成立しないかもしれないですが。

アーカイヴ化について、またはリスナーからのリアクション

—— 独奏シリーズは空間ありきの試みですが、アーカイヴ化についてはどのように考えていますか?

松丸 空間もそうですし、時間を共有するということもコンセプトのコアにあるので、アーカイヴ化すると別物になってしまうんですよね。そこは悩みどころでもあります。なので映像として残す場合は作品として作るのではなく、あくまでも参考程度の映像資料になるのかなと。90分間丸ごとアーカイヴ化するのではなく、シーンごとにまとめたダイジェスト版のようにすると思います。

—— 例えばサックス1本でしかできない音楽の一つとして、多重録音を駆使したアルバムというのもありますが。

松丸 そういった方向性のアルバムはいずれは作ろうと思っています。ただ、独奏シリーズとは別ですね。録音するのであれば録音することに意味のある作品を作りたいんです。独奏の場合は、生演奏の空間と時間をお客さんと共有することでしかできないことをやりたいので。時間という側面もコンセプト的には非常に重要なんです。一度会場で客席に座ったら、基本的にはパフォーマンスが終わるまでそこに居続けなければならないじゃないですか。その場にいる複数の人たちと一緒に同じ音を聴いて90分間過ごすという経験は、実生活ではなかなかできないですよね。

—— そうですね。特に90分となると、聴くことに加えて色々と考える時間も生まれるので、必然的に聴取体験が豊かになっていくのではないかとも思います。

松丸 そうなったら嬉しいです。やっぱり90分もあると意識が色々なところに向かうと思うんです。音を聴きながらある種のトランス状態に陥るというか。演奏の中でフレーズを繰り返しつつ、微妙にリズムや音程をズラしていくので、聴いている側からしたら「ちょっと前のフレーズってなんだっけ」とか「どうやってここまで辿り着いたのだろう」みたいなところに意識が向かうこともあるのではないかと。意識が音に持っていかれるような感覚が生まれると思います。

—— お客さんの反応としては、他のプロジェクトと比べて、独奏シリーズはどういったリアクションが多いでしょうか?

松丸 楽曲を演奏しているわけではないので、抽象的に音楽を受け取ってくれるような印象はあります。「カッコいい」とか「感動した」とか、そういう感覚とは完全にベクトルが違うものとして捉えていただけることが多いです。それと、音楽の性質上お客さんの人数は少ないですけど、そのぶん来た方々には真剣に聴いていただけるので、とてもやりがいを感じています。その人たちのために演奏しているという実感が湧いてきて、これからも続けたいなというモチベーションになりますね。

松丸契 Kei Matsumaru
サックス奏者。1995年千葉生まれ、パプアニューギニア出身。ほぼ独学で楽器を習得し、2014年にバークリー音楽大学へ全額奨学金で入学、2018年に同大学を首席で卒業。同年日本へ帰国、以来東京近辺を中心に様々なアーティストと共演を重ねる。2020年にバンドSMTK(石若駿・マーティホロベック・細井徳太郎・松丸契)で『SMTK』『SUPER MAGIC TOKYO KARMA』、自身名義による1stアルバム『Nothing Unspoken Under the Sun』を発表。2021年にSMTK『SIREN PROPAGANDA』、m°fe『不_?黎°pyro明//乱 (l°fe / de°th)』(高橋佑成・落合康介・松丸契)をリリース。2020年より90分の即興演奏を通して空間と時間と楽器と身体の関係性を探る「独奏」を活動の一環として開始。バンドメンバー以外での近頃の共演者(敬称略):大友良英 (Small Stone Quintet, ONJQ)、芳垣安洋、Dos Monos、浦上想起、山本達久、石橋英子、ジム・オルーク、須川崇志 (Banksia Trio)、スガダイロー (new little one)、etc.
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■公演情報
2022年2月1日 (火)
渋谷公園通りクラシックス
19:00開場 / 19:30開演 / 21:00終演予定
予約/当日共に3000円
出演:松丸契

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