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自分の行動や結果と、自分の価値の切り離し

私は、昔から「他の人より勉強ができる自分=価値がある」と思い込んでいた。そうでいないと自分の存在価値がわからなかった。
結果が出ないと無価値だ、だから努力や何かを必死にやることに強迫観念があったり、苦しくなったりする一つの要因なのだろうか。

現在、試験前の期間で、「覚えては忘れの繰り返し」、「スケジュールが思い通りに進まないもどかしさ」などで行き詰っていた。

以前YouTubeのはなおさんの動画で「生物教」とういうはなおさんなりの概念のお話を聞いて、楽になった。勉強というものは本来生物がしなくていいものだけど、私達の生活を豊かにするためにやっているということだ。とのこと。

自分の価値と勉強をがっちり結び付けて苦しんでいた私の考えをぶっ壊すような衝撃的かつ安心を与えてくれた。

暗記だけが勉強なのか、実際自分自身に疑問をもっていた。
試験に必要な最低限のものは暗記して、そのあとは理解していく勉強方法が私に合っているのでは?という説を今書いてて思ったため、実験してみようと思う。

例えば、子どもの発達について勉強している時は、姉のことを思い出してやってみようかなと思ったり、ドキュメンタリーをみて「私は何で勉強しているのか」についてわからないなりにも考えてみたり、、、

うさぎとかめなら、私はかめになりたい。今の私はうさぎだ。スタートから思いっきり走って、疲れるから休んで、、、別にその生き方でも全然OKだが、自分自身が疲労してきたため、変えてみる。
なんなら折衷案でもいいからなあ。なんでもありだ。

【私自身が、私の生きやすい、かろやかな生活を心から願っております。】

さてと、自分の人生に戻ろうか。

転ばないようにするよりも、
転んでも、転んでも、転んでも、何度も笑って起き上がれるような

そんな人生を目指して、今の愛すべき自分の人生を謳歌していこうと思う。

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