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不倫について

 

 現状の社会規範に対して相対的な見方をする(別の社会規範も有り得るよね)、ということと、現状の社会規範は守るべき、という立場は、両立しますよね。私は基本、そういうスタンスです。

 

 だから、一夫一妻制なんてそもそも非合理的だ、と私は思っていますけど、それを私の立場で言えるかといえば難しいので、あえて公には言っていないだけです。

 

 私は、一人の個としては、現状の社会規範には従うべきだと思っているし(だから一人のパートナーを愛し続けることに同意しています)、だけどその社会規範だけが普遍的な社会規範ではないと思っています。

 

 渡部さんと佐々木さんは、夫婦がお互いに貞操を守るという契約の基に契りを結んだのであって、その契約に背いた渡部さんは責められるべきだと思うし、佐々木さんは被害者だと思います。けれど、そういう前提であえて言えば、そういう契約じゃなければよかったのでは?ということです。

 

 現状の社会規範では夫婦が互いに性的に自由に行動することを認めるような結婚は認められないでしょうし、公序良俗に反すると言われれば、そういう見方もできるとは思います。けれど、それはあくまで当人たちの問題であって、刑法上、不貞の罪なんてものがあるわけでもない(戦前には姦通罪というものがありました)。

 

 当人たちのうちどちらかが、それによって夫婦関係を破壊されたと感じれば、慰謝料を請求すればいいわけで、逆に言えば、夫婦の両人とも、そうした行為を問題視しなければ何ら問題は発生しないことになる。法律上の建付はあくまでそうなっています。

 

 初めからお互いがお互い以外の人と自由に性交渉できることを契約条項に盛り込んだ結婚というものは偽装結婚に当たるのではないか(婚姻関係の無効)、という議論も有り得ますけど、夫婦の形は人それぞれだよね、なんて言われたら、簡単に反論できるでしょうか?

 

 ツイッターを見ていたら、「不倫したら1回100万」みたいに、契約条項で「反則金」を決めている人もいて、ほんと、いろいろだなあ、と思います。

 

 何が言いたいかというと、現状の社会規範を認めた上で、でもそれとは違った規範も成り立ち得るよね、と思考することは、全然「悪」ではない、ということです。むろん、公人が安易にそのような立場を表明することは難しいとは思いますけど。でも、多様な価値観を認めるというのなら、夫婦の貞操なんて、(以下略)

 

 最近、性犯罪の厳罰化が議論されていますが、性犯罪は相手の身体に対する尊厳を奪う犯罪であるから、社会正義の名においてそれを裁かねばならない、というのは理にかなっています。一方で、不倫については、もっと曖昧な社会的同意が基礎になっている、ということについても、議論されるべきかな、とは思います。性犯罪を社会的正義の下で断罪するようには、不倫を断罪することは難しいのです(そもそも「不倫」の定義とは?)。


 もっとも、私はそういう立場であえて不倫を推奨しているわけではないということは、念のため、断っておきます。


 しかし例えば、性的マイノリティの一種として、「バイセクシャル」というのがあります。女性も男性も、どちらでもいけちゃう、っていう方ですね。実際、私の周囲にもいます(ちなみに既婚者です)。


 彼・彼女らにとってみれば、現状の婚姻制度というのは極めて窮屈なものに違いありません。自分の異性としか、しかもたった一人としか、生涯添とげることを許されないのですから。もっとも、彼・彼女には、結婚という制度を選ばない自由もあります。


 制度は所与のものですが、人が造り出しているものでもあります。制度は、常に創造されることで、維持されているのです。


 逆に言えば、制度を創造する人間の倫理感覚が変化すれば、制度の方が変わっていく可能性はあります。今、多くの先進国で制度化されている同性婚だって、人々の価値観が変わった結果、制度化されたものですね。


 で、あるならば。いつの日か、お互いがお互い以外の人とも自由に性交渉できることを盛り込んだ結婚制度なるものが、制度化されるかもしれないじゃないですか。それはもはや、現在的な意味での「結婚」とは相当違うものになっているかもしれませんが。


 そのような「可変性」のあるところが、人間社会の面白いところだと思うし、本質的な要素なのかな、と思います。アリストテレスは、人間は社会的(ポリス的な)な動物だと言いましたが、私はむしろ、人間は「倫理的な動物」なんじゃないかと思っています。


 どんなにテクノロジーが進化しても、社会を合理的に最適化することを拒み続けるのは、人間の「倫理」なのではないでしょうか。21世紀になってもう20年も経つのに、空に車も走っていなければ(ポルノグラフィティの曲の歌詞みたいです)、同性婚も、不倫も制度化されていない。私は、不倫を認めないことが倫理だとは言っていません。不倫を認めないのも、認めるのも、倫理なんじゃないか、と言っているのです。


 社会が不倫を認めるようになったとき、そこには別の倫理が生まれているのでしょう。そういう「距離感」を、私は持っていたい、ということです。(その上であえて言いますけど、佐々木さんはかわいそうだと思いました。)


 


 


 

 

 

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