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そのスイーツをあちらの席に。


残暑もそろそろ終わるのかという頃だった。同僚が仕事でピンチだと電話を掛けてくる。話を聞かねばと思い、久しぶりに好みのダイニングへ。
のれんをくぐると、席はほぼ満席。夜の賑わいをみせていた。1組のカウンター席だけ運良く空いていて通してもらった。それから少しのお料理をいただきながら同僚の話を聞いた。仕事って、時に予期せぬ事態に遭遇する。
どんなに真面目に誠意をもって向き合っていたって、不都合な事態が起こって事故のように難に遭うことがある。同僚の不慮の出来事話はとめどなく続いた。私は店自慢のサラダと一品料理に箸を進めながら聞いた。

そろそろ耳もお腹もいっぱいだという頃、店員がラストオーダーをとりにきた。私はもう少し食べたくて和物のスイーツをオーダーした。それでスイーツを待っていたら、ほかの店員が小さなプリンをひとつ差し出してきた。今日の売れ残りなのだろうか。「良かったらどうぞ」と。「スプーン2ついりますか? もしくはプリンもう1ついりますか?」というので、せっかくなので同僚の分ももらい、話しながら仲良く食べた。程よい甘さのフィリングとカラメルソースのコクがちょうどいい逸品。どうしたらこんなに美味しくできるのだろう。

ところで一つ疑問なことがあった。カウンターの隣の席にいた、若くてきれいな女性二人組には、このおこぼれプリンが提供されていない。残り物ならふつう、まんべんなく配られるはずだ。でも同僚は話が止まらないしフロアは心地よい雑踏感だし、なんだかあまり気にせず会話と食事を続けた。

会計時、〝プリンが最高においしかったですよ〟と店員に伝えると「このプリンはあちらのキッチンで手づくりしてるんですよ」と、フロアのオープンキッチンの方向を指す。で、ちょっと言いにくそうに「言うなと言われてるんですが、うちの実は常連の方がこちらに…」とプレゼントしてくれたのだと話した。でも差し示された手の先にある席は遠いし、この人だというのが誰だかわからない。少なくとも我々の席はドリンカーのスペースを介していた。その位置から私たちのことは見えにくい。不思議に思った。
けれども誰かが確実に私たちを見ていたのだ。あしながおじさんに遭遇したようなあったかい気持ちになった。知らない誰かがほかのお客さまに差し入れをするのとか、過去にお店という場所で働いていたことがあったから、私自身が運び役を担ったこともある。だからそういうことがあるというのはわかる。わからないのは、隣のきれいな女性ではなく、なぜかいい歳の私たち二人組にまわってきたことだ。

その場では店員に「いいお店にはいいお客さまがいるんですね」みたいな会話をして少し感謝を伝えたけど。同僚の悩み相談と、終電に間に合うためのタイムマネジメントが頭の中を走っていたから、プリンの提供者のことはあまり深く考えられなかった。
それから同僚を見送って、私も家路に着いた。今日は落ち着いた空間で話を聞けたし、良かったと思う。

ただ、家に帰って一人静かに考えてみると、やっぱりちょっと不思議で。私たちにプリンのサプライズをしてくれたのは一体誰だったんだろう。御礼を言っていない。でも、その人は店員さんに「言うな」といって提供してくれたのだから、場としてはそれで良かったんだ。

冷静に思うのは、同僚か私はのどちらかが、過去にお世話になった先輩や先生かもしれないということ。そうなると、対象はたぶん同僚じゃない。同僚は遠方に住んでいて拠点となる地域が異なる。同僚の人付き合いは明るくて、もし周りの人が彼女を見つけたなら、席までやってきて突然の再会に華を咲かせるシーンの方が正しい。だから、あしながおじさんだとしたら、たぶん私を目指している。そんなあったかい誰かなら、またあのお店に行って、今度は最近の近況報告をしたい。

ダイニングとか居酒屋とか、くつろぐ系の飲食店というと、料理がおいしいかとか、店員さんの対応がどうかとか、インテリアがきれいかとか、そういう分かりやすいテーマが表向きにはよく話される。でも顧客側の本当にいいお店の価値は、お店のフロアで動いているエモーションの中にあって、深いところで何を体感するかにあるんじゃないかと思う。

「そのスイーツをあちらの席に」
そう言ってくれたあしながおじさんとはどこかで細くつながっている。いつか会えたらきっと、そこにこたえが待っているのかもしれない。

Aoi314

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