⑳【田崎甫 先生】宝生流能楽師をもっと身近に。
今回の五雲能で「高砂」を勤める田崎甫先生。
夜桜能の運営に携わる中で気づいたことや、能の英語版イヤホンガイドについてもお話をお伺いしました。
甫先生にとって「つなぐ」とは?
――甫先生が「受け継いできたもの」は何ですか。
私の場合、「受け継いできたもの」ではなくて「勝手に受け継ぐと決めたもの」なのですが、それは「夜桜能」です。毎年4月に靖国神社で私の芸父(田崎隆三)が催しておりまして、私も子どものころから携わってまいりました。
屋外で行う薪能の中では大きい規模に成長したと思います。今では3日間開催しており、宝生流の能が2日と梅若家の能が1日。3日間でだいたい3300人から4200人くらいのお客様が観に来られます。
毎年春になるとこの夜桜能が我が家の一大イベントです。一年を感じると言いますか。例えば年越しのときに一年を感じる方は多いかと思いますが、私の一年の基準はこの夜桜能になっています。
私はこの夜桜能の期間を「甫が一年で最も輝く三日間」と言っています(笑)。私の能の考え方や感じ方の根本にこの夜桜能があるんです。とても愛着がありますね。
――夜桜能ができた流れを教えてください。
田崎隆三が靖国神社の隣に住んでいまして、「こんなにいい舞台が外にあって、ここで能をやっていないのはもったいない。ぜひここで能をやりたいな。」と思った、というのがきっかけだと聞きました。
隆三が当時の宗家・英照先生にご相談しましたら、「一年の準備期間をおいてしっかりやるなら良いよ。」とお許しを頂いて始めたそうです。
最初の夜桜能は平成4年に開催され、一夜限りの公演でした。まだこのころの宝生流は能楽師が主催する薪能などの興行などはあまりやっていなかったと聞いております。この夜桜能が今までに2回、開催できないことがありまして、最初は3.11の震災ともう1回は去年のコロナのときですね。その2回がなければ2021年は第30回の記念にあたりました。
能楽界で初めてイヤホンガイドを導入したのがこの夜桜能だそうです。歌舞伎座ではイヤホンガイドをかなり早い時期から使っていて、そういうものを能にも取り入れてみたらどうかとフジテレビの方に言われたらしいんです。イヤホンガイドを導入した当初は全然売れず、ずっと赤字でしたが、最近になってようやく興行として成り立つようになってきました。
――初めて夜桜能に出演されたときのことを覚えていますか。
子どものときだったのであまり覚えていないんですが、夜桜能って楽屋に卵スープが置いてあるんですよ(笑)。その卵スープの印象が強いですね。
夜桜能は時期的に気温が低く身体が冷えるので、ホッカイロと卵スープがあるのはありがたいです。
20回記念のときには、三日間とも獅子をやりました。華やかな会でしたね。
――外で行う公演は音響などが大変だと伺ったことがありますが。
どうしてもスピーカーが必要になりますね。客席に設置するため、スピーカーに近い席は音が大きく、反対に離れると音が小さくなるというのは仕方のないことかと思います。ライブなどと一緒ですよね。夜桜能では、なるべく自然の音や光に近づけるような工夫をしています。
薪能というのは「能そのものを観る」ということでもありますが、私は「能がある景色を観る」ことでもあるかと思います。夜桜能の場合は、桜の中で能というものがある景色。きっとこの景色だけは古来より変わらないものだと思うんです。役者の背格好も昔と変わっていますし、装束も新しくなっていたり、古来の風景とは違う部分もあります。でもそこに周りの原風景みたいなものをあわせると、古の本来の形になるのかなと推測するような気分になり、より楽しいですよね。
面をかけると視野は狭くなりますが、その中から桜が散っているのを見ると、自然と声が遠くに出るように思います。お客様に向かって謡うものでもありますが、それよりも、もう少し遠くの何かに向かって、能というのは謡っていたような気がします。夜桜能では、それを肌で感じられますね。
――夜桜能の今後の展開をどうお考えでしょうか。
私は夜桜能を「お前に受け継いでもらう。」と言われたわけでもないですし、勝手に私が受け継ぐ予定にしています。絶対にこれだけは守り抜くという覚悟があります。
自分がこれだと思ったものは必ず守る。ただ守るだけだとどうしても停滞していきます。現状維持をするためには、これは私の信条でもあるのですが、常に微弱に抵抗していないといけない。”若干の抵抗”というのが宝生流らしいと思っています。大きく派手に面白く変えるのではなくて、今やっていることを少し変えていく。「少しこれをやってもいいかな?」というような”ちょっと”を毎年重ねていくんです。例えば卵スープをオニオンスープにするとか(笑)。そうすると、気づかないうちになんとなくちょっとずつ良くなるようになるかと。
大きく変えないといけないための期間は隆三と叔母が作り上げてくれましたので、ここからはそれを丁寧に守って、少しずつ変えていくという方法で良いかなと思っています。
――具体的にやってみたいと考えていることはおありですか。
今は英語化を進めているんです。以前、外国の大学から問い合わせがありまして、アメリカの学生が日本を研究旅行するときに夜桜能を観賞させたいというものでした。そのとき行っていた英語話者向けの施策は簡単な英語のチラシだけでして、それだけを頼りに2時間ちょっとのあいだ能を観るのは厳しいですよね。
そこで、英語版イヤホンガイドを導入しまして、能楽師の武田伊左さんにリアルタイムで英語で解説していただいています。外国のお客様に英語による助けがある状態で能を観ていただきたいというのと同時に、これは日本の方向けでもあるんです。日本人で英語を学んでいる方が聞いて、英語だとどのような表現になるんだろうという楽しみ方もあると思うんですよね。
そのために私たちは武田伊左さんにお願いしています。というのも、解説者が事前に調べてきた能の解説を話すのではなく、能楽師が能の解説をするのがベストであるとすると、彼女が適任だと思いました。英語版のイヤホンガイドは今後も形を改善していきながら進めていきたいです。
英語版イヤホンガイドを導入した第1回には機材トラブルがありました。機材のシステム上、舞台が見えない場所に設置されたテントの中で、モニターで舞台進行を見ながらリアルタイムで解説を話すのですが、舞台上の映像がテント内のモニターに流れなかったんですよ。伊左さんは舞台から聞こえる音だけで、今はどの場面で、舞台上で誰がどの動きをしているかを把握して英語版でガイドしていました。これは能楽師にしかできないことです。能楽師が話す英語であり、能楽師が話す英語のガイドであり。夜桜能ではそれを一つの売りにしていきたいと思います。
――甫先生の子方時代はどのような感じでしたか。
私が子方のころは「鞍馬天狗」の薪能などで、たくさん子どもが呼ばれていました。私と同い年に今井基(※第6回インタビュー掲載)、すぐ下の後輩に辰巳和磨、木谷哲也(※第4回)がいます。子方がかなり多かった世代ですね。
子方はだいたい一人で出る役の方が多いです。一人で地方に行くこともありましたが、当時は複数人の子方が出演する舞台もあって、地方でもみんなで集まったり。子どもが多かったから子方が出る曲を選んで、たくさん出してくれていたのかなと今になって思います。
――内弟子時代について教えてください。
私は小学3年生のときに叔父(田崎隆三)の家で住み込みの修行を始めましたので、他人の家に住むことはあまり抵抗はありませんでした。内弟子になったばかりの時は自宅ではない場所での他人との共同生活が大変そうですが、私は一切苦ではなかったですね。
私が内弟子に入ったのが3.11の年でしたので、春に内弟子に入って秋くらいまで、ほとんど公演がありませんでした。水道橋に住まわせては頂いていましたが、何も仕事がなくて。ひたすら何もない毎日。私たちは役者でありますから、舞台がないとぴりっとしないところがありますね。後になってみて、この期間は極めて特殊だったというのがようやく分かりました。
――今回の五雲能で「高砂」を勤められますが、このお役をいただいてどういう印象をお持ちになりましたか。
「高砂」に決まって嬉しかったですね。いつか自分の自演会の第1回目は「高砂」をやろうとずっと思っていました。「高砂」という曲自体は五雲能でなかなか出ないんじゃないかな。「高砂」はやっぱり格式のあるものといいますか、どちらかというと月浪能で出るような位の曲だと思いますし、脇能物だと若手は「養老」「弓八幡」「志賀」が多いかと思いますので、「高砂」を勤めさせていただけるのはすごく嬉しかったです。
――注目して観ていただきたいところを教えてください。
前半には派手な型はないですし、形式ばったものが多いので、やっぱり後半ですかね。後の神様の出立に注目してもらえたらと思います。
神様がさーっと幕から出てきて、客席で寝ていた人もふっと起きる。例えるなら、車に乗っているときにちょっと窓を開けると、冷たい風がすっと入ってきてふと目が覚めるような感じ。そういうふっと爽やかで鋭い風が吹くようなものが「高砂」の後なのではないかなと思います。
――甫先生から見た1月五雲能の「巴」と「野守」はどのような能ですか。
ポピュラーな曲が並んでいますよね。能の中にはあまりやらない曲もありますが、「高砂」「巴」「野守」は非常に能らしい演目だなと思います。つまり、3曲ともバランスが取れているなと。
「高砂」は清らかに颯爽と風が突き抜けていくような神の舞。「巴」は巴御前の女修羅で、女でありながら力強い長刀さばき。「野守」は鏡を使って荒ぶる鬼神の激しい舞。視覚的にも見ごたえがあると思います。
――最後にお客様にメッセージをお願いします。
昨年は一昨年に引き続き世の中というものが不安定で、難しい状況が続いていましたが、徐々にみんなが明るい方向に行こうという姿勢が生まれてきたかなと思います。1月の五雲能の3番はその明るい方向に進んで行くのに良い演目になっています。1年を能で始めるのにふさわしい3番だと思いますので、ぜひ3つとも観ていただきたいですね。
日時:12月19日(日)、インタビュー場所:宝生能楽堂ロビー、撮影場所:宝生能楽堂ロビー、2022年1月五雲能に向けて。
※狂言の演目が「舟ふな」に変更になりました。
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田崎甫 Tazaki Hajime
シテ方宝生流能楽師
昭和63(1988)年、神奈川県生まれ。
田崎隆三(シテ方宝生流)の芸嗣子。1993年入門。19代宗家宝生英照、20代宗家宝生和英に師事。初舞台「鞍馬天狗」花見(1994年)。初シテ「金札」(2011年)。
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――おまけ話
甫先生:後輩とのエピソードですごく覚えていることがあるんですが、私が東京藝術大学の2年生のときに、後輩の木谷哲也から「甫さん、最近、笑い方変えました?」って言われて。
私は今年33歳になりましたが、彼に聞かれた瞬間から、13年間くらいずっと自分の笑い方を探しています(笑)。後輩に言われたことでとても強烈に覚えていますね。今でもすごく楽しいときに、一瞬、どういうふうに笑ってるんだろうと冷静に考えちゃいます。
――広報スタッフより読者の皆様へ
皆様のお陰をもちまして、今回のインタビュー記事で第20回目を迎えました。
いつもお読みいただきありがとうございます。
心より感謝申し上げます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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