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「私の死体を探してください。」   第31話

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 麻美がこときれてから僕は麻美の仕事部屋をぐるぐると歩き回った。麻美の死体をどうにかしないといけない。

 完全犯罪をめざす。妻殺しの汚名は僕が作家として生きていく未来にはない。

 頭に浮かんだのは山中湖の別荘だった。

 あそこなら、時間をかけてゆっくりと麻美を処理できる。

 一番近い隣家も数百メートルは離れているから、騒音や異臭がしても気づかれないだろう。

 地下室で麻美が豚を解体していたのを思い出した。

 斧でもチェンソーでも肉切り包丁でもミンサーでもフードプロセッサーでも、なんでも揃っている。

 寝室の自分のクローゼットの中から、一番大きなスーツケースを引っ張り出した。

 その近くにあったキャンプ道具一式の中から寝袋を取り出す。

 キャンプなんて行ったことは僕も麻美もなかった。麻美が深夜にネット通販で頼んだ商品だ。時々こういうわけの分からない買い物をする女だった。

「ごめんなさい。深夜に原稿書き上がって変なテンションになってしまったみたい」

 とよく僕に謝っていた。

 妙なものが多かった。でもよく考えたら、それはいつの間にか小説の中に登場していた。全部無駄なく資料にしていたんだろう。

 麻美のそういう貧乏くさいところをいつも池上沙織が褒めていた。

 寝袋を麻美の足下にかぶせて引き上げた。引き上げてから向きをかえれば良かったと後悔した。

 死に顔がこちらを向いているのは気まずかった。仕方がなく寝袋が入っていた袋を麻美の顔にかぶせた。

 早くしないといけない。死後硬直がはじまったら死体はコチコチになってスーツケースには入らなくなるだろう。それも、麻美が取材内容をぺらぺらしゃべっていた時に得た知識だ。

 僕は試行錯誤の末に麻美をスーツケースに入れた。骨が折れるとはこのことかと思いながら、スーツケースの形に合うように麻美の身体を畳んだ。
 エアコンで涼しいはずのリビングで僕は汗だくになりながら麻美の死体と悪戦苦闘していた。

 なぜだか麻美の言葉が思い浮かぶ。

「今は死体があれば、必ず犯人は捕まる時代だから、完全犯罪を登場人物に目指させるのも難しいの」

 死体を上手に隠せたら、なんとかなると僕は自分に言い聞かせた。

 どうにか麻美をスーツケースに詰め込むと僕はシャワーを浴びた。

 麻美を殺してしまったという恐怖が今になって湧いてくる。絶対に見つからないようにしないといけない。

 麻美と口論になったのは夕方だったのに、もう深夜になろうとしていた。時間が二倍速ですすんでいるように感じた。身体が重い。早く山中湖に行かなければ。

 麻美が豚を捌いた時、常温で肉がどれくらいで腐るのか実験していた。どれくらいだったか思い出せない。麻美のブログに書いてあったはずだ。後で確認しよう。どちらにせよ、今は真夏だ。急がなければいけない。

 プラドのトランクにスーツケースを入れた。 運転席に乗り込んでから、カーナビを操作し、ハンドルを握りしめる手が震えていることにようやく気づいた。

 一睡もせず、麻美の死体の処理をある程度終えて、地下室にある冷凍庫を空にするため入っていた氷をキッチンの冷蔵庫に移し替えて、一息つこうとウィスキーをあおりはじめた時インターフォンが鳴ったのには背筋が凍った。

 正直もう麻美を殺したことが誰かにバレたのではないかと思った。

 モニターを観て池上沙織だと分かったときには不安に思うべきか安心するべきか分からず混乱した。

「森林先生が自殺してしまう!」

 と言われた時には僕の混乱は最高潮だった。 

 麻美は自殺なんかしていないし、もう自殺できない。

 僕が殺したんだから。

 興奮状態の池上沙織のスマートフォンに表示された麻美のブログを読んで僕は自分に腹が立って仕方がなかった。

 自殺しようとしていた人間を殺すなんて、生産性がなさすぎる。ほっといても死んだんだ。いや、そもそも麻美を殺すつもりはなかったんだ。ぐるぐると考えたが、何度か読み終えて、この遺書は僕にとっては有利に働くと思えた。

 本人が自殺すると言っているのだから、行方不明の麻美を僕が殺したと思う人間もいないはずだ。

 そう考えると麻美が憐れに思えた。僕に殺されたのに自殺したと遺書を書き残している。麻美は僕に最大のアリバイをくれたのだ。

 大丈夫だ死体は見つからない。僕が完璧に管理し、少しずつ処理していけば見つかるはずがない。


 遺書というものは普通は一通で、もし二通あったとしても、その日のうちに公開されるものだという思い込みを、麻美は崩壊させた。母さん宛の遺書がブログにアップされた時、はらわたが煮えくりかえったが、それと同時に、僕への遺書があるとしたらどんなものだろうか、と想像するとろくなものではなさそうだった。

 池上沙織は僕よりももっと焦っていた。もし、僕と池上沙織の関係が暴露されたら、僕よりも池上沙織の方がダメージが大きいからだ。

 どんな芸能人だって不倫をしたら、責められるのは男より女だ。

 次は一体何が公開されるだろうと思っていたら、今度は例の小説だった。

 麻美が毒殺魔かもしれないという疑惑は世間を騒然とさせた。

 そして、この小説の存在によって、麻美はかなり前から自殺することに決めていたのだと思った。

 麻美が毒殺魔だとしても、別に僕は驚かないが結局のところ、麻美は毒殺魔ではなかった。

 麻美のブログが僕にとって無害ではないことに気づかされたのは、佐々木絵美の父親の佐々木信夫が別荘に来た時だった。

 佐々木信夫は僕が麻美のブログにアクセスできるものだと信じていた。麻美は佐々木信夫のメールに話があるなら、ここに来るようにと、この別荘の住所をご丁寧に書き込んでいた。

 佐々木信夫は本気で僕を殺そうとしていた。 

 自分が娘に性的虐待をしていた事実を隠すために人殺しも辞さない佐々木信夫の身勝手さには身の毛もよだつが、池上沙織がかけてくれた電話のおかげであっけなく引き下がった。

 もしかしたら、麻美は佐々木信夫を使って僕を殺そうという計画を立てていたのではないだろうか。

 母さんの資産を溶かしたのも、自分から気をそらすためではなく、本当の目的は僕に援助できないようにするためだったのではないだろうか? そして、自分の資産のほとんど現金化して、寄付していたのも、僕に東京のマンションを売却させて、この別荘に閉じ込めるためだったのではないだろうか。

 でも、佐々木信夫は僕を殺せなかった。秘密が暴露されて佐々木信夫は自殺した。

 そして、僕は麻美のブログのIDとパスコードを入手できた。

 IDは佐々木信夫に送ったメールの、メールアドレスだったのだ。僕はそのことを佐々木信夫には教えなかった。パスコードは池上沙織がいつも入力していたもので間違いなかった。

 僕はログインすると、まだ公開されていないブログを確認した。池上沙織を退職に追い込んだブログだ。

 それが本当に最後のブログだった。

 そして、僕が余計なことをしたのは、池上沙織宛ての遺書の次に当然あると思っていたものがなかったからだ。

 麻美は僕に遺書を書いていなかった。

 たったの一行も。

 そのことにものすごくショックを受けて動揺してしまったのだと思う。

 だから、僕はしなくてもいい、自分宛の遺書を自分で書くという大失態を犯した。

 その大失態をよりによって池上沙織に看破された。表記の揺れなんて一度も考えてこなかった。麻美が僕を草葉の陰からせせら笑っているような気がする。

 色んなことを考えながら、どうにか池上沙織を地下室へ運んだ。麻美の時も大変だったけど、どうにかなるだろう。麻美の身体の一部は細かくして山中湖に捨てた。もう佐々木信夫も池上沙織も死んだのだから、ここに慌ててやってくる人間は一人もいないだろう。

 ゆっくり始末すればいい。

 遺体を地下室の部屋に入れると、僕はリビングの血まみれの絨毯から片付けることに決めて、リビングへ向かった。リビングはぐちゃぐちゃだった。僕が飲み食いで散らかしたものも散乱していた。ゴミをまとめてから、ローテーブルをどかして絨毯を引き剥がした。ふっと視界に何かが入ったような気がして、身体がビクリとしたパノラマサッシの方をみると富士山が見えた。

 富士山を見て、初めてぞうっと背筋が寒くなった。

――富士山に見張られているみたい――

 麻美がそう言ったのを嫌でも思い出す。

 ブログはもうない。ログインIDだったあのアドレスにも、もう時間指定のメールはなかった。

 でも、麻美は本当にもう何も残していないのだろうか?

 もう、本当に僕を殺しにきたり、僕が殺人犯だと言いに来る人間は一人もいないのだろうか? 僕は麻美のミントグリーンの手帳を毎日読んでいる。何か見落としていることは本当にないだろうか。

 せっかく、ここに来たのに、小説は一行も書けていないし、麻美が赤字をいっぱい入れた処女作は読み返す気力もない。 

 僕はもしかしたら、今も麻美に見張られているのではないだろうか。
 そう考えると、耳元で麻美が鼻で笑う声が聞こえてた。


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