ダスカロスの著書は奥が深い。
サッと読むだけでは意味をくみ取れないことが多いのは、ダスカロスの母語であるギリシャ語を英語にして、それをさらに日本語変換していることも要因のひとつかもしれない。言語と思考は切っても切れない関係にあるゆえ、日本語が母語のひとが「ダスカロスの教え」を学ぶのは、ギリシャ語を母語にしているひとより難しいと思う。
ギリシャ語は歴史の古い言語だ。
「ダスカロスの教え」の用語の特殊性や概念の捉えにくさ、じぶん自身の努力不足などもあり、文章は読めるのに意味がわからなくて読み飛ばしただけ?って感じの「真理の言葉」↓ であったが、、、(^^;
この本を「ダスカロスの教えに学ぶ」シリーズ の教本として選んだのは、正解だったのではなかろうか? 内容に集中し、じっくり時間をかけて考えることで理解が深まった。ダスカロスは「先生は “道” を示すだけ」……としばしばいう。“真理” は経験を通じて自ら学ぶ他ない。それを身を持って知るための「過去15年」だったように思える。
ともあれ、わたしの先生はキリストであり、ダスカロスであり、その他多くの クリスチャンの “道” を歩む方々であり、それらの先生が示してくれる “道” を、日本語で学べるのはほんとうに有難い(わたしは外国語の習得が不得手 ^^;)。ダスカロスの著書を日本に紹介し、翻訳してくださった皆さまへの感謝の念が尽きません。ありがとうございます。
では、「真理の言葉」第12章を読み解いてゆこう。
「生命」と「生命現象」の境界、「オンドピイシス」と「テオーシス」
ダスカロスは “生命” と “命・生命現象” という言葉に、それぞれ別の意味を持たせている。で、この区別がとても重要な観点であることに、今回はじめて気づいた。
“生命” と “命” の境界は、コーザル・ステート(7次元)とノエティック・ステート(6次元)の間にある……というわけで、これまでの「6次元は非分離(ワンネス)の次元」という認識を修正した。6次元は限りなく絶対無限の存在に近くても、完全に一体化してはいない……つまり、6次元は “生命” ではなく、“命”(生命現象) の次元と捉えるのが正解ということになる。
それを、シンボル・オブ・ライフ で示してみた。
「最上部の三角形」が “生命” 、「右の柱」が 自己意識 を持った “人間の命” 、「左の柱」が超意識を持った “大天使たちの命” を表している。
絶対生命である 聖なるモナド としての “光” が 人間のイデア を通過すると、始まりと終わりのある “命” として表現されるようになる。この変位を “オンドピイシス” という。
「ロゴス的」であり「聖霊的」である人間
聖なるモナド(センター2)のひとつの “生命の光” が右の道を降り、人間のイデアを通ることで「自己認識―魂」となる人間は “ロゴス的” なのだ。
私たちの 永遠のパーソナリティー としてのロゴス的 自己認識 は、「“生命現象” として存在するとも、存在しないともいえない」というダスカロスの解説に注目しよう。これが、“生命” と “命” の境界にある6次元(ノエティック・ステート)の特徴なのだ。
ーーー(2024/2/13追記&修正)ーーー
パナヨッタさんの「飛翔の翼」を読み、もっとも主要な上昇ルートとなるのは “中央の路” であること、そして「センター5→センター2」の上昇ルートはなく、神との一体化(テオーシス)には “中央の路” から進むことを理解し、掲載していた図を以下のように修正しました。
ーーー(追記&修正おわり)ーーー
“人間の命” は “ロゴス的な自己認識” を持つと同時に、“ 聖霊 的な 3つの体 ” も持っている。
“生命としての自己” と “生命現象として表現された自己” 、さらに “永遠のパーソナリティー としての自己” と “現在のパーソナリティー としての自己” の「違い」に意識の焦点を当てることで、真実の自己がみえてくる。分離の次元(3~5次元)における人間の “認識力” は、何かと何かを比較することで成り立っているのだ。
「現在のパーソナリティー」と「永遠のパーソナリティー」を同時に認識する
ダスカロスは、6次元から3次元の間にある さまざまなレベルの自己性 を1本のロープで例える。
この1本のロープは、真理の探求者のたどる “道” の象徴である。
ロープの一端には 現在のパーソナリティー として表現されている「3次元の自己」があり、反対の端には「6次元の自己」である 自己認識―魂 がある。そして、わたし達は 永遠のパーソナリティー をロープの一端ではなく、ロープ全体として認識しなくてはいけない。
自己認識を現在のパーソナリティーから永遠のパーソナリティーへと拡張してゆく際のポイントは、「ロープの一端」や「途中の一点」ではなく、「ロープの両端に同時に集中すること」だとダスカロスはいう。
“現在”(特定の時間-空間-場所)における経験のすべてが永遠のパーソナリティー(永遠の原子)に記録される……つまり、現在のパーソナリティーは過去の記憶(エレメンタル)の “投影” といえるが、その “現在”にも神に繋がる “永遠性” が含まれている。もっとも振動数が粗く密度の濃い次元においても、わたしたちの “命” は “生命” から切り離されてはいない……が、“現在” に対する “過去の記憶の投影” が 潜在意識的(第4段階の意識)である限り、永遠のパーソナリティーとしての “自己”意識(第6段階の意識)は目覚めない。
“意志の力”(マインドの意識的使用、理性)を発揮し、内省 と 瞑想 によって潜在意識の闇(人-悪魔)を照らし、現在のパーソナリティーと永遠のパーソナリティーの融合を促していきたい。