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母とのこと

母とのこと

実家に帰省していたときのこと
両親と3人で天草の西海岸までドライブして
海に沈む夕陽を見にいったことがあった。
うちの母は慎重、安心を好み
変化や冒険を嫌うところがあって
うちの父が林道や細道を 選んで
走ったりしようとすると 猛烈に嫌がる。
そんなかんだで元来、氣ままで 冒険好きな
父にとって 度が過ぎるとストレスに
なっているように見えて
どうしたものかとも 思っていたのだけど
父は父で 子どもみたいなところがあって
ほっとくと 危なっかしいということも
この年になって 今さらながら わかってきて
これはこれでバランスがとれているのかも
しれないなと思ってきている。

木々の間から 溢れ漂う 風や匂いを 愛する僕は
道すがら 車の窓を出来れば 開け放したかった。
そして母は、それを嫌がった。

その日は 6月だったし窓を開け放したからと
いって寒いということはない。
理由を尋ねても 明確な理由はない。
嫌だから嫌なのだ。

森の心地よい空氣を とりいれたら氣持ちいいし
当時、体調を崩していた 父の健康のためにも
めぐりが良くなるだろうし嬉しいなと
素直な氣持ちだけ伝えて 残念ではあるけれど
その場では あきらめることにした。

それから途中で 世界文化遺産にもなった
崎津天主堂のある 隠れキリシタンで有名な
小さな漁港の街 崎津の集落を通ったので
ちょっと寄り道しようかと父と話をしたら
またまた母が猛烈に嫌がった。
理由は 目的地への到着が遅くなるから。

しかし暦バカ、日の出 日の入好きの自分だって
夕陽時間に 遅れたいわけがない。
十二分に日没時刻に間に合うよう
予め時間に ゆとりをもって出発している。
寄り道せずに このまま真っ直ぐにいけば
むしろ時間を もてあますくらいなのだ。

それでも母は かつて 厳しく弾圧された
隠れキリシタンの先祖の血の記憶からか
あるいは 過去世の記憶からなのかと思うほど
わずかな時間の滞在と休憩も 猛烈に嫌がって
自分ひとり車で待つというので
5分だけ街を散策させてもらうことになった。
やや早足氣味で通りを歩き 海沿いまで行き
それから崎津の天主堂に ちょっとだけ立ち寄り
教会の外から 短い祈りを捧げた。
それでもう 約束の5分。
かけ足で母の待つ車に戻った。

ごめんごめん待たせてと戻る僕に母は云った。

ちょっとだけ窓開けて よかよ。

5分間の待ってくれている間に 母なりに
思うことがあったのだろうか。
それから 両親と ぼくら3人を乗せた車は
ふたたび 海に沈む夕陽をみるために
再び走りはじめた。
ちょっとだけ窓をあけて。

心の中に 爽やかな風が吹き抜けた。

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