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森とつながるブラームス

ブラームスはドイツの三大Bとも称される(バッハ、ベートーヴェン、ブラームス)偉大な作曲家のひとりです。

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多くのバイオリニストにとって、特別な存在として位置づけられるブラームスですが、かくいうわたしも、恥ずかしながら10代のころ、恋心のようなものを抱いていた時期がありました。

4月10日のリサイタルプログラムに組み込んでいる、バイオリンソナタ第1番「雨の歌」は、1873年に作られた同名の歌曲のメロディーを第3楽章に引用したことから、この題名で呼ばれるようになりました。

【詩人グロートによる詩】

雨の歌

降れ、雨よ降れ
砂が雨で泡立つ、あの子供の頃の思い出をもう一度

裸足で雨に打たれながら草の雨粒をかき集める
なんて幸せなんだろう

もう一度あの優しい雨音に耳を澄ませたい
美しい自然の不思議に心をつつまれながら
(訳:大井駿)

曲が作られた背景や歴史を調べつくしたあとで、レイキやシータの手法を用いてリーディングしてみると、そのときの情感が、生々しいほどの体感となって捉え直すことができ、大変大きな学びとなります。

先日のコラムに載せたように

ロマン派時代の作曲家の多くは、ハートチャクラを開く役割を担っているように感じます。

限定された宗教から生まれたクラシック音楽が、それぞれの内なる神と繋がり出した、時代の変換期のようにも思えるのです。

クラシック音楽は100〜200年ほど、未来の意識を先取りしているとも言われますから、今まさに現代のわたしのこころに、実感として響くのかもしれません。

ブラームスを演奏すると、あたたかな太古の森で、バリトン歌手のように慈愛に満ちた精霊が、祝福の歌を轟かせている情景が目に浮かびます。

わたしたちは彼の音楽を通じて木の精霊と繋がり、木で出来たバイオリンが喜び打ち震える波動を感じて、奏者の心までもが、思いがけず震える。

時空を超えた愛の連鎖を、この手に受け取るからこそ、ブラームスはいつまでも特別な存在として、心の大切な場所に残るのではないか、と想像します。

すべての音は、曇りない、ひとつの音に帰結する

そして音楽とは、様々な色彩がそこへ至るまでの旅路を表現することであるように思います。

「わたし」というフィルターを通して、愛という終着点に帰結する。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

【追記】明日と明後日は蔵に籠もって、もろもろ気になっている研究と練習に没頭するため、コラムはお休みとさせて頂きます(>人<) 文章を書くときと、音を奏でるときでは、使われる脳の場所が全く異なるので、混乱してしまうのです。不器用ですみません〜。ついでに何曲か録音してきます!

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