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元先生の私が子育てで「しない」と決めてる3つのこと

7年前、長男の育休中は、子どもにあれもこれもしたい、しなければならない、が山のようにあった。

だけど今は子育てにおいて「これはしない」と決めていることの方がはるかに多い。

そんな中でも今日は3つの「しない」をここで話してみたい。


わたしが「しない」と決めたもの

結論から言うと、私がしないと決めているものは次の3つ。

「子どもが周りの人から褒められても否定しない」
「子どもに期待しない」
「感情を決めつけない」

理由をひとつずつ書いてみる。

「子どもが周りの人から褒められても否定しない」

このことだけは、私が子どもを産む前からずっと心に刻んでいたことである。

私がここにこだわるのには理由がある。


幼い頃。
私の両親、特に母親は、私のことを本当によく褒めてくれていた。

だが、私が外で褒められようもんなら態度が一変した。

「いやいや全然そんなことないんですよ。家では弟をいつもいじめていて…」

と。

子ども心に「え~!!家ではあんなに褒めてくれるのになんでなん????」と思っていた。

(子どもというのは聞いていないふりをして、親が他者に自分のことを何と伝えるのかを耳をそばだてて聞いているものである。)

大人になった今考えれば、直接言ってくれていた言葉こそが、私に本当に伝えたかったことだっただろうとわかる。

弟にいじわるをすることもある私であろうと、愛して、認めてくれていたことは間違いない。

しかし、子どもというのは直接言われる言葉より、間接的に聞く言葉の方がはるかに影響は大きい。

それは私もそうで、私はいつのまにか自分は母に認められていないのだと常々思っていた。

そんなことがあったので、私は他人から息子や娘たちが褒められたときは、必ず「ありがとうございます。」と受け取るようにしている。


ちなみにこれは最初、私にとってかなりハードルが高いことだった。

なぜなら私自身が「本心から相手を褒める」ということをしてきていないからである。

その場を取り繕うように相手を褒めるということばかりしてきたので、素直に「ありがとう」と受け取る相手を無意識に見下していたのである。


・・・

もしかしたら褒めてくれた時、相手は本心でそう思っていないかもしれない。

でも今は、別にそれはそれでいい。

褒めてくれた人に「謙遜ができる人ね。」と思われるよりも

わが子を傷つけない方が何百倍も大切だからである。


子どもに期待しない

なぜ期待を手放すべきなのか。

いくつか理由があるが、

その中でも

「ありのままの自分、本当になりたい自分になることを大きく邪魔するから」

という理由は大きいと思う。

親が過剰な期待をすることで、子どもに対して、親が望む「行動」や「成果」を押し付けることにつながる。

子どもはいつだって親に愛され、認められたいと感じている。親から認められたくて、親の期待を感じ取って行動する。

これにより、ありのままの自分でいられることを邪魔してしまうのだ。



だけどもね。

ここまでが正論。


親子関係の中でいつだって「100期待しない」を目指しましょう!!

というのは実際問題、結構むずかしいと思う。

親の期待に応えて「いい子」で生きてきたママにとっては
ことさら難しいと思う。

私もまだ完璧にできているわけではない。

もし期待してしまった自分を見つけたら
「おもわず期待しちゃったね。信じようね」と優しく自分に声をかけるようにしている。

期待じゃなくて、信頼を選択できるように。


感情を決めつけない


親が子どもの感情を先取りして決めつけると、

・子どもの自己認識(自分がどう感じているかや、どう考えているかをよくわかるということ)
・感情の発達に悪影響を与える可能性がある。

なので、感情は決めつけないようにしている。


私は幼い頃、母から思いっきり叱られ、怒鳴られ、べそをかいている時に

「泣くのは悔しいからでしょ!全然悪いと思っていないでしょ!!」

とよく言われていた。

もちろん正直なところ、心のどこかに「私は悪くないもん!」と思っていた自分もいただろう。

母にはそんな私の反省しているふりが、オミトオシだったのかもしれない。


だけど、内心かなり腹が立っていたことも覚えている。
「わたし、ほんとに悪いことしたっておもってるのにお母さん、ぜんぜんわかってくれない!!!」と。


また、これだけが理由ではないが、

私は幼い頃から自分が本当は何をどう思っているのかわからず、
長いこと感情迷子だった。

そうなると、やたら決断に時間がかかったり、人間関係がうまくいかなかったり、あと、やたら心が疲れるし謎の不安が大きくなる。

「あれ、今わたし悲しいんだっけ?」

なんていちいち自分に聞かないといけないし、聞いても答えが見つからないことがある。


こんな人いるの?と思われるかもしれないが、

割とこの感情の決めつけが起こっているケースを頻繁に目にする。

直接的な感情の決めつけは行っていなくても、間接的に子どもの感情を否定してしまっていることも多い。

例えば、
子どもがやたら何かを心配しているのを見て「そんなに大したことじゃないでしょ」と伝える。

長い間泣きじゃくる子どもに対して「大丈夫!もう泣かないの!」と伝える。

何かをされた子どもに対して(まだ子どもは何も言ってないのに)「いやだったよね!」と伝える。

…こういうことは日常でもよくあると思う。

確かに「常識的に」「一般的に」言うと、そうなのかもしれないが
当の本人がどう感じているか、というのはその本人にしか分からないのである。

なので、感情は決めつけていないか
いつも自分のことばを点検するように気を付けている。


まとめ

子育てをやっているとつい、「あれもこれもして『あげたい』」と思ってしまう。

だけど、実は「しない」こと、に大きな意味があるのではないかと最近は思う。

あなたがやらないと決めている「しないこと」には何があるのか?

他の人にもぜひ聞いてみたい。



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