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音楽演劇「冠婚葬祭」その後-婚にまつわる話-

出演をした音楽演劇「冠婚葬祭」が終わり、なんと10日ほど経った。
その間に自分は山梨に籠り、自分が住む部屋を整え、葡萄の収穫をし、次のプロジェクトに向けた助成金の申請などを行っていた。
振り返りなどを、自分が主催する公演以外で行ったことはほとんどないのだが、今回はちょっとやってみよう。

旅の終わり

僕の役柄は旅人であった。

旅人が、とある場に迷い込む。そこは町の人々が集まる場、小劇場。

エリア51 音楽演劇「冠婚葬祭」チラシ内

文字通り、僕は迷い込んでしまった。すみだパークシアター倉に迷い込んだ僕は、その現状に困惑をし、とにかく作品を楽しむことに集中した。ともに作品を見た観客仲間は皆温かく、迷った僕は恥ずかしさを隠すように、なんとかこの人たちと仲良くなろうと必死にあれやこれやの策を講じたが、ある意味杞憂だったかもしれない。塩分チャージで縁を結んでみたり。いやはや。

という導入から始まる僕の物語。
冠婚葬祭というタイトルでお届けされるのは僕の外の物語。僕は観客と同化する。観客と同じように作品を観る。
僕の身体はいつ観客席にいるのか、いつ舞台にいるのかわからなくなる。といいな。
芝居を見ている時の心象スケッチを立体化したような人でありたいと、メタ的には思っていた。いつでもそうありたい。虚実一体の存在。

「冠」「婚」は観客席から写真を撮り続けた

僕が話をし始めると、もはや星自身の話なのか、役の話なのか、僕のことを知っている人たちからするとよくわからなくなるそうだ。

旅のあと、使う言葉や語彙が無意識に変わってしまうことがある。何かしらの影響を受けて、自然に発せられるものなのかもしれない。演劇もそこは同じであってほしい。台本の言葉に影響を受けた演じる人は、その人に影響を受けてみたらいい。それは決して「役に成る」わけではない。感覚や、感情、言語をメタ的に捉えて、けれども、それを自分自身であると、信じることだ。僕はまだまだかもしれない。いつか、本当に、そこにいるその人が発している言葉として、役とか取っ払って見てもらえるように、なりたい。

旅の終わり。
演劇の終わりもまた、一つの旅の終わり。
けれども、その時得た言葉や風景は、今もまだ自分のものである。

書いてこなかった「婚」

大学生時代に一番長く働いていたのはブライダル関係の裏方会社だ。主に披露宴の演出を担当していた。テーブルライトが遠隔で音楽に合わせて光ったり、室内花火をあげたり、スモークを焚いたり、キャンドルサービスの代わりに卓上花火をあげたり、etc… 最後にはバイトリーダーみたいなこともしていた。
だが、まあやればやるほど、結婚とは縁遠くなるのを感じる。

だから一番実感が湧かなかった。
婚とはなんだろうか。夫婦別姓、パートナーシップ。
大学の授業でドイツではパートナー関係であえて婚姻関係を結ばないことを選択する人たちがいることを知った時、結婚が答えではないということを理解した。

年を重ねると周りの結婚報告を聞くことが増える。
ただ僕の場合は、わりと遅めに知る。幼馴染たちの結婚も親から聞いたり、中学の時の友人たちの結婚式にも、同じ部活にいたはずなのに呼ばれなかったり。呼ばれていた結婚式を体調不良で欠席したり。

だから、素直に結婚を祝ったことが少ないのかもしれない。

一度、西会津に移住した知人が結婚式をするから盆踊りの振り付けをしてほしいと頼まれたことがある。快く引き受けたが、僕は結局歌い、そして舞った。それはやったあとひどく後悔した。ほんと誰のためのパフォーマンスなんだろう。その2人のための舞にはなってなかったし、そもそもソロで踊ることは要望されていなかったから、あれは自己満だったなと、今でも後悔している。

婚、稽古の時は僕が舞台上に行く仕様になっていたのだが、現場に入ってから大きく変わった。演出の見事な判断だった。

旅人は孤独である。
ゆえに、ああいうハレの場を遠くから見つめることが、とても大切だったんだと、気づくことができたのは、あの婚の英断の演出だったのかもしれない。と、いまでは思う。

すっと立つ、歩ちゃん

虚実一体の存在

今回の冠婚葬祭で得たものは、自分自身の虚実一体の存在感は、虚に重きを置いた実在なんだというもの。明らかな嘘ではあるのだけれども、確かにそこに存在してしまった異質を、人は嘘とは認識できない。メタ的に捉えれば、それは嘘だとわかるが、嘘を嘘と認識してしまうことへの葛藤が演劇だと生じてしまう。それは僕自身が嘘を嘘とわかりながらも、その嘘である僕自身は本当であるという、明らかな事実を観客との掛け合いから認識させてしまっていることが所以なのだろう。
本当はもっと「実」で生きて、「虚」をあとから体験してもらいたいのだが、僕はなかなかそれができない。
観客の中に本当に僕が迷い込んだ人だと思い、心配してくれたという人がいたと聞いて、もうちょっとこれを全員に伝播させたいと思うのだが、どうやらそうもいかない。僕自身が虚を前提にしている以上、実が先立つことはなかなかなさそうだ。まずはそこからかもしれない。

音楽演劇「冠婚葬祭」の旅

ひとまず終わった。
期待されるのは音楽演劇「冠婚葬祭」の再演だ。
もし再演されるなら、また呼んでほしい。ただ、僕じゃない誰かが、旅人をやってくれたら、きっとまた違う見え方にもなるし、新しい形が生まれるのだろうから、そっちもまた期待したい。

とにもかくにも、旅は一旦終わり。
次の旅がもしあるならば、そのときはウチからでもソトからでも応援しよう。

本当にありがとうございました。

おわり

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