第1話 28歳フリーターがシンガポールで転職するまでの話
はじめに
こんにちは、ゆきのです。
私は26歳で通信制大学を卒業、フリーターになり、28歳で海外転職を決意。初めて行ったシンガポールで面接を受け続け、内定とビザをゲット。
そのまま3年半ほど住んで、また転職して日本に帰国。そして今は中国の深セン市に住んでいます。
「未経験で海外で働くなんて、絶対ムリ」
「日本で正社員になれないフリーターが、どうやって海外で内定もらうの」
海外で働く!と周りに宣言した時、こんな風に否定され、めちゃくちゃ笑われました。
実際にシンガポールで就職エージェントに登録して、面接をいくつもアレンジしてもらって落ちまくってました。1ヶ月ちょっとで10社以上の不採用通知。辛かったなあ。
毎晩泣いて、日本の家族や友達にLINEしまくってました。それでもどうしても、あきらめて帰国することだけは選びたくなかった。
それからも必死に面接を受け続けて、最終的に内定と就労ビザを手に入れました。
そのあたりのことはブログに詳しく書いたので、よかったら見てみてください。
https://hoshinoyuki.com/?p=104
今回のnoteは、海外転職の準備編として、なんで28歳のフリーターがいきなり海外転職を決意したのか。その経緯ときっかけについて。
あの頃の私と同じように「普通に働いて、それなりの生活。でもなんかしんどい」と感じている人がいたら、将来の選択肢としての海外転職をぜひ考えてみてください。応援します!
このままここで働き続けるとやばい、と感じた
28歳の私はフリーターで、1年ごとに職場が変わってた。だって1年つづけたら飽きるんだもの。
フリーター最後の年は小さな会社で1年更新の事務職をしていて、いわゆる典型的な日本スタイルの社内環境。
「この帳簿、手書きからエクセル入力で自動計算に変えませんか?」
効率化のための提案をしたら却下され、提案のたびに親ほど年の離れた先輩に嫌味を言われ、うっかり言い返し、まとめ役の優しい上司はいつもハラハラしていた。
ケンカしたいわけじゃない、効率よくたくさん仕事がしたい、誰かの役に立ちたいだけなのに。
言いたいことややりたいことは「勝手なことしないで」と一蹴され、職場での人間関係は悪化する一方。
と同時に、うまくやれない自分が嫌だったし、周りの人をイライラさせることにも申し訳なさを感じていた。
しかしその職場は安定性だけはとにかくよかった。何年か働き続けると正社員になれる。給料は安いけど、土日祝日に加えてまとまった休暇も取れる。
「こんなにいい条件はいまどきめったにない、正社員になるまでがんばれ」家族も友達も、何度も私に言い聞かせた。
そうか。仕事ってそういうもんなんだ。私も私に言い聞かせた。
でもなんか、全然ワクワクしないよね。先輩たち見てると、正社員になってもやってること一緒だし。べつの私が口を挟んだ。
そうなんだよな。そこだよな。
その頃気にしていたのはキャリア。このままここにいたら、正社員にはなれる。しかし単純作業、勤続10年以上の先輩も同じ単純作業で平社員。さらに先輩と一緒にいる限り、したっぱ役が続く。いわゆる下積み期間というやつだ。発言権を得るまでに3年はかかるだろう。
つ、つまらない…。ひとつもワクワクしない。だめだ、このままじゃヤバい。
もうすぐ30代、挑戦するなら20代の今しかない。それでも28歳はだいぶ遅い気がするけど。
人生の全てを賭けて一発逆転を狙って、レベルアップするなにかをしなきゃ。
でもなにしたらいいんだろう。
ぐるぐるとそんなことを考えながら、つまらない仕事と生活を往復していた。
地元ボランティアに応募してみた
「通訳ボランティア募集! シンガポールの若者に地元案内」
だらだら過ごしていたある日、日課のネットサーフィンで見つけたボランティアの募集情報。地元の役場による国際交流プログラムで、シンガポールの青年団5名が我が田舎町にやってくるとか。英語の能力は不問。
よしこれだ!
問い合わせ先のメールアドレスに、必要事項を記入してすぐ送った。数日後にボランティア採用の返信があった。
おおお。よしがんばろう。
ネットサーフィンの日課のほかにも、本を読んだり、たまに英語の勉強(TOEIC対策本やNHK英会話テキスト)をしていた。そこにシンガポール人を英語で案内するという短期目標でバチリとスイッチが入る。
当時の私の英語力は、はじめて受けたTOEICが600点程度。学生時代の貧乏バックパッカーでイギリス、アメリカ、南米ボリビアや香港をひとりで歩きまわって身につけた、いわばサバイバル英語。
それを土台に、毎日だらだらしていても、なんとなく独学を続けていた。何かの役に立ったらいいなと思っていたけど、いきなり通訳に。ボランティアだけど。
国際交流を推進したい学生向けのボランティアだったんだろう、平日の開催だった。ちょうど忙しくない時期だったので、優しい上司に通訳ボランティアに採用されたので行きたいです、と正直に伝えたらすぐに休みをくれた。
「はあ、ボランティア? 仕事休んで? ボランティアねえ」
もれなく先輩からあからさまな嫌味をいただいた。だから言いたくなかったのに、なんで休むのとしつこく聞かれて答えると案の定こんなリアクション。
そして迎えた当日。5人のシンガポール人青年交流団と10人くらいの通訳ボランティア、ほとんど大学生。社会人は私と役場の担当者と、シンガポール人5人。5人とも30歳前後で、私と同年代だった。
貸し切りバスに乗って、田舎町のひなびた観光名所をみんなで回った。
「これおいしい! なんて言う食べ物?」「あの山はすごくきれいね。有名なの?」「日本語おしえて! 話したい!」
やまない質問にていねいに答えたくて、翻訳アプリや検索エンジンとサバイバル英語をフル稼働での会話。自分の故郷に興味をもってくれることが嬉しくて、英語でなんて説明したら伝わるんだろうかと考えることにワクワクした。
英語の授業は高校が最後で、大学では日本文学専攻。一人旅や独学で身につけためちゃくちゃな英語が、通じる。そしてシンガポール人の言ってることが分かる。すごい、すごい、私ちゃんと英語でコミュニケーションできてる。
「ねえ、私の英語、通じてる?」
「何言ってんの? ばっちりじゃん! cancan!」
勇気を出して聞いたら即答された。そうか、ばっちりなのか。
「じゃあさ、私がシンガポールに行ったら仕事できるかな?」
「Caaaaan!」
そうか、canなのか。行ったことないけど、シンガポールに行けば仕事が見つかるかもしれない。
ちなみにこのcaaan とか cancan とかは、シングリッシュと呼ばれるシンガポール英語の特徴。いいよ、いいね、大丈夫、うんわかった、などとにかく返事をするならcanなのだ。
というわけで、後から考えたらこのcanには「できる」という意味は全然なかったんだけど、そんなことを知らない私は「あなたにならできるよ」だとすっかり信じてしまった。
シンガポールか。行ったことないけどなんかよさそう。シンガポール人に英語通じたし。
よし、2年だけ行って帰ってこよう。そしたら「海外経験あり」っていう有利なカードを手に入れて、日本でステップアップできるかもしれない。下積みもすっとばすことができるかもしれない。
これからの人生や仕事を有利に進められるようになるために、いけそうだからいってみよう。
こうしてこの出会いから5ヶ月後、会社を辞めてLCCの片道航空券でシンガポールのチャンギ空港へと飛んだ。
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