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夫婦喧嘩にまつわる異文化理解

中国同士の夫婦のコミュニケーションはまずケンカ。
ケンカして、やりあって、ぶつかりあって、その中でお互いのことを知って、理解を深める。そういうコミュニケーションの形ね。
それに対して、日本人はまず我慢。
我慢して、我慢して、最後にどうしても我慢できないところだけケンカする。
どっちがいいとか悪いとかじゃなくて。順序がちがうだけ、コミュニケーションの形がちがうだけ。
ちがいを知って、お互いが快適に過ごせるように工夫が必要だと思うの。

お久しぶりです。ゆきのです。

中国旦那ヤンくんとの、終わりなき夫婦喧嘩で消耗しまくって、なにもかもが停滞しまくって、私の2021年の大半がごっそり走り去ってしまいました。

2年間の国際恋愛、そのうち1年はコロナの影響による遠距離恋愛。それでもなんとか入籍したのが今年の1月のこと。
その後の、めくるめく変化を耐え忍ぶだけでもう必死。具体的にはどんな変化があったのだろうか。

ふりかえってみると、私とヤンくん、ふたりだけの世界でぬくぬくのんびり暮らすのはとても快適だったんですよね。

でも、結婚という形になって、夫婦として周囲に認知されると、社会的なつながりがひろがっていって。彼の会社の同僚たちとの食事会とか、私の友達とか、そこでの会話のいちいちが、夫婦喧嘩のきっかけになって、いとも簡単に着火しました。

国際結婚なんて特別なものじゃない。
分かり合えないことや意見がぶつかるなんて、カップルや夫婦ならどこにでもよくあること。そう思ってたのに。

でもそれはちょっと違っていて。
ひとつ文化圏で暮らしてきた日本人同士の性格の不一致がボリュームをひねるつまみの「小」の部分だとしたら、全く違う社会生活をしてきたパートナーとの乖離は、つまみを大きくひねりすぎて頭が痛くなるほどの暴力的なノイズが発生、みたいな。
同じラインの上にあるけど、そのひずみは桁違いだったみたいです。

具体的なキーワードを挙げるなら、中国式のメンツ至上主義。

ここで私が想像するメンツとは、「自分が周りからどう見られているか」という世間体のこと。そのため、メンツを立てる。

具体的にはどうすればいいのかというと、「すごい!」という言葉を周りから引き出すような会話をする。ただ単純に自慢話をすればいい、というわけではなく、ちらりちらりとにおわせたり、何気なさをよそおってさらりと見せてみたり。

ぶっちゃけマジめんどくせえ。

その対極を地で行く私の言動が、この「すごい!」と言わせたいメンツ文化と相性最悪だということを、この国際結婚の数ヶ月でまざまざと思い知らされた。

愛するがゆえのいじりネタが私の大好物なのだ。

ヤンくんのとぼけた発言や、故郷に帰省した時のド田舎エピソードなどをおもしろおかしく話して笑ったその日の夜は、帰宅してから大説教でめいっぱいののしられる。

オレのことばっかり話さないで!!!

怒って泣いて落ちこんでいじけて、ネガティブ感情フルコンボで私を非難するヤンくん。うーん、ちょっとこれは難しいな、と思ったのが正直なところで。
というのも、私が話す内容は、私が日々せっせと集める大切な小ネタであると同時に、ヤンくんのプライバシーにも触れるものでもあるから。

さらに、「人生まるごとコンテンツ」が心情の私にしてみれば、自分事も他人事も単なるひとつのコンテンツにすぎないわけで。(でもこれはちょっと加速しすぎた考え方なので、だれかを不快にさせたりプライバシーを侵害するようなコンテンツ発信はやっぱりダメだと思う)

この議題を家族会議にかけて、お互いにグサグサと言葉のナイフでさしちがえて、何度もバチバチにやりあった結果、やっとたどり着いたひとつの答え。

旦那はいちいち気にしすぎで、嫁は全体的に気にしなさすぎる。

ひとつの物事を見つめる時の、目線の高さも立ち位置も、私たちはなにもかもが違っていたんだな、という当たり前の事実にやっと思い当たった。

「そんなの気にしなければいいじゃん」「どうでもいい人の言葉なんかスルーすればいいのに」と持ち前の鈍感力を発揮しまくる私に、「そうじゃない!」と真っ向から対立するヤンくん。

男のメンツを立ててほしかったんだよね。「ヤンくん、すごい」って思いたかったのはあなた自身だったんだよね。
忙しいことを言い訳に、めんどくさがってコミュニケーションを怠って、単純なおもしろエピソードで笑うことで逃げていたなって。

ズタズタにやり合った夫婦喧嘩のあとに残った言葉、「ごめんね」と「ありがとう」を何度も繰り返して、焼け野原にやっとひとつの草の根が芽生えました。

国際結婚、異文化理解、中国、メンツ、等々。
人と人の関係に、これらの特殊キーワードが影響しているのか。それとも、どこにいてもなにをしていても、夫婦にまつわる悩みなんて大した違いはないのか。

何度でもやらかす失敗と反省の先に、お互いを分かりあいたいという姿勢が残ってさえいれば、異文化理解はちょっとずつ進むんじゃないかと、終わりなき夫婦喧嘩に収束の光が見えてきた今ならそう思います。


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