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第15話 多文化多民族国家と異文化オンチ

※未経験からシンガポール現地採用として働く実体験エッセイの連載14話です。

シンガポールで働き始めてから、私の世界はどんどん広がった。広がった、なんてカワイイモノじゃなくて、両手をガボンとつっこまれて、ぐいーんと枠をひっぱって伸ばされたような。

それがいきなりすぎて豪快すぎて、痛いって、もうちょっと優しくしてよ、と誰かに向かって言いたくなることもあったけど、変化と刺激という点においてはビシバシ享受することができた。その強すぎる刺激のおかげで、だいたいの感覚は麻痺して「まあいっか」と小さなこだわりを捨てておおらかに受け入れたり受け流すスキルを身につけた。
細かく分類したり、いちいち判断するには、未知のモノが多すぎて「ワケわからん」と思考停止に陥った、というのが正直なところだけど。

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具体的に挙げるなら多文化多民族国家で生活すること、働くことの楽しさとしんどさ。
シンガポールは移民で構成された国で、古今東西さまざまなルーツを持つ人々が混在して、共存している。
私の職場は店長、部長、ベテラン社員までほぼ全員中華系シンガポール人で、ランチタイムのおしゃべりは全部中国語だった。そこにマレー系シンガポール人のムハンマド、フィリピン人のソフィア、日本人の私がいて、クリスマスや大型連休には臨時アルバイトとしてインド系シンガポール人のジェシカがたまに来ていた(たまに来なかった)。

大多数が中華系シンガポール人と言っても、これまた複雑だった。例えば名前。ミンミン(明明)と呼ばれる笑顔いっぱいの元気な女の子は、英語と中国語の方言である福建語を流暢に話すが、福建省に家族や親戚はおらず、「私の家族は全員シンガポール人だよ!」と胸を張って言っていた。

そのミンミンの友人・ヴィンセントも中華系シンガポール人だけど漢字の名前はない。そして旧正月にはお隣のマレーシアまで車を2時間ぶっとばして親戚の家を何十軒も挨拶して回っていた。聞いた話から察するに、マレーシアの親戚とは中国語方言で会話をしている様子だ。
中華系シンガポール人で、親戚はマレーシア在住。日本生まれ日本育ちの日本人には想像もつかない、いくつもの文化の融合。

かと思えば、マレー系シンガポール人のムハンマドに「マレーシアに帰省したりするの?」と休憩時間に何気なく聞いたら、「僕シンガポール人だし」とちょっとムッとされてしまった。マレーシアは単なるルーツであって、アイデンティティはシンガポールらしい。むむ、難しい。


この文化や人種について、方向オンチならぬ異文化オンチの日本人なりに考察してみた。なんてことはない、わからないなりに毎日ずっと考えていたら、ある日パチンと気がついたのだ。

国単位で考えるから複雑に見えるのであって、地域別だと考えれば、これって日本でもよく起きているんじゃないか? と。

例えば私は鹿児島生まれ鹿児島育ちだが、父は福岡の人だ。鹿児島と福岡の距離は、調べてみたらシンガポールからマレーシアの世界遺産都市マラッカよりも遠かった。

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なるほど、マレーシアに親戚がいるシンガポール人は、福岡にルーツを持つ鹿児島人と距離的にはそんなに変わらないのかもしれない。

この仮説は我ながら面白かった。九州出身の人間と関西出身の人間が、東京で出会って結婚して子どもが生まれて定住すれば、子どもは東京生まれ東京育ちになる。子どものルーツは九州と関西にそれぞれあるが、九州弁も関西弁もしゃべらないかもしれない。しかし親はそれぞれの方言を、帰省の際や地元に電話をかけたら必ず話す。
ああ、なんかこういうことかも、と異文化オンチに感覚が芽生えてきた瞬間だった。

日本はひとつの民族人種でひとつの言語だとはいえ、文化はそれぞれ異なっていてしかもゆずらない。
「ラーメンください」と食堂で言えばとんこつが、「水割りください」と居酒屋で言えば芋焼酎が出てくる我が町の文化は、よその地域では通じない。日本において日本語は共通だけど、日本文化はバラエティ豊かで面白い。

沖縄から北海道までの距離はおよそ3,000キロで、シンガポールからインドまでの距離に相当するらしい。
インドからシンガポールに移住したら移民になるけど、札幌から那覇に移住しても日本人のままで、だけど文化の違いはきっと残るだろう。そうか、こういうことかもしれない。
異文化体験は日本でもあった。私が気づかなかっただけで。

ここまで考察(てか妄想)がもくもくと膨らんで、パチンと音がして思い出したのは小学校教師の友人の話だった。
彼女は海外ボランティア派遣員として活躍してから小学校教師になって、そのときは1年生のクラス担任をしていた。6歳からの国際理解教育。
そこで彼女が児童に説明していたのは「国際理解の第一歩は隣の人を知ることから始まる」だそうだ。

隣の人と自分の人はそれぞれ異なるルールで生活している。家に帰ってからやること、食事やお風呂のルール、布団の敷き方まで、全く同じ人はひとりもいない。
自分と他人はそれぞれの「家」という文化の最小単位で生活している。だからまずは隣の人を知ること、自分とは違うということに気づくことから始めてみましょう、というのが小学校1年生の国際理解教育だそうで。いやすごい。ホントこれだ。

シンガポールにやってくる何年も前にちらっと一度聞いただけだったけど、今ならその言葉の意味がよくわかる。
隣の人のルーツも文化も趣味嗜好も全然ちがう。自分と違うことを否定も非難も統合もすることもなく、みんなちがってみんないい、と「違い=個性」がありまくりのまま一緒に暮らす。

多文化多民族国家。よくわからないし自分とっては異次元みたいなトピックだなあとぼんやり感じていた異文化オンチは、ピントを絞ってよく見てみたら、なんだ日本に住んでてもよくあったじゃん、と肌感覚でやっと理解した。

これで私も国際感覚豊かなグローバル人材に一歩近づいたのかもれない、フフフ。なんて思ったのが甘かった。

「彼は来月ラマダーンの断食があるから。シフト調整するわよ!」

マネージャーにいきなりそう言われて、朝7時から夜7時まで食事はおろか水も飲まない断食をするムスリムのムハンマドの食事時間と休憩時間を確保するために、全員の勤務時間が大幅に変更になった。さらにラマダーン期間中のムスリムたちはイライラしたりゲンナリしたり、とにかくしんどそうで、そのしんどさで仕事の効率がガックリ落ちる。
その分の仕事量を誰がカバーするのかという激しいやりとりも発生して、異文化理解にはまだまだほど遠いやーと悟ったのはもう少し先の話。


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