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「彼女の手料理」 〜この支配からの卒業〜

手料理って
どうしてそんなにいいものとされているんだろう?

素朴な疑問は頭のすみっこにずっと居座って、こんな風にたまに頭の中を占拠する。

もはや呪いとよんでも過言ではない、手料理をはじめとする日本人女性の細やかな気遣いは家事全般に発揮されるにちがいないという幻想。

掃除、洗濯、料理。
好きな人にとって家事、それはそれは楽しいだろう。私も好きになれたらよかったのに、たまたまそうならなかっただけでこんなにも思い悩むことになるとは。

楽しくない人にとっての家事は苦行でしかない。なのになんで「女性だから」という性差だけで、家事や手料理を美味しく楽しくやらないといけないんだろう。

昔から、料理をはじめとする家事全般が下手で嫌いだ。センスがないというか、何度やってもうまくいかない、経験値が積み上がらない。やればやるほど自分が嫌いになる。

新鮮なお肉のスライスがパックされたものをスーパーで買ってきて、レンジで加熱調理して塩コショウかけて食べたら、その日の夜に寝込んだ。お分かりいただけるだろうか、私の料理センスのなさがいかほどか。

この簡単ステップで!
どうやったら!
自分で自分に毒を仕込むことができるんだ!

それでも、生きていれば得意・不得意があるのは当たり前のことだと言い聞かせてなんとか心を平穏を保とうとした。

私は誰かの役に立つために働いて、その対価としてお給料をもらうことが大好きだ。そして幸いなことに、こちらは順調に経験を積むたびに上手くなっていく(ような気がしている)。
「なんでもできる!」と、謎の自信と過信をメラメラ燃やして働いていた20代。いつか自由に空も飛べそうなほどに、エネルギーは無限に湧き上がってきた。

だけど、どれだけ経験を積んで会社の利益に貢献しても、飲み会で知り合った男性と意気投合して仕事あるあるトークで盛り上がっても、「でも家事はできないんだよね」で謎の自信はもろくも崩れ落ちる。

手料理を期待されるとゲンナリする。好きな人からリクエストされると絶望する。
美味しくないどころか、寝込むくらいの代物なんだってば。

具体例をあげて言葉を尽くして説明すればするほど、なぜか相手は意地になる。
君の作ったものならなんでも美味しいに決まってるよ、とろけるような笑顔でそんなことを言う人もいた。
いやちがう、そういう精神論じゃないんだって。

結局、準備にとりかかる。
材料を買い揃えて、レシピ本をよく読んで、時間も手間もお金もありったけ投下して手料理をふるまう。
お皿に盛り付ける前にこっそり確認すると、いっそ内心ガッツポーズをしたほどだった。予想を裏切らない安定の低クオリティ。どんなに手を尽くしても、私の料理は美味しくない。

完成した手料理を見ながらとろけるような笑顔だった人は、一口食べた途端に、小さな食卓をはさんで座った向こう側で顔面が凍りついている。だから言ったのに。
「お、おいしいよ」とためらいまくった表情で言われると、ますます悲しくなる。ちなみにわかりきっていたとしても、「まずい」と言われれば悲しみのどん底まで急降下する。

この美味しくないおかずとスープに費やしたお金と時間で、ちょっと贅沢な外食ができたのに。

愛する人が愛情を込めて作った料理なら美味しい、という幻想に縛られて実行した結果、まずい料理と気まずい空気が生まれただけ。

料理が得意だけど作るのが面倒だ、というなら作っても良い。
得意じゃないし嫌いなのに、なんで作らないといけないんだろう。
なんで彼女という存在になった瞬間から手料理を期待されるんだろう。

学生時代ならアルバイトで、会社で働くようになってからは月収に加えてボーナスまで稼いでいるのに。
得意なことをして生計を立てているのに
料理をはじめとする家事全般は不得意なまま、後ろからひたひたくっついてきて振り切ることができない。得意なことをやればやるほど、不得意が際立って離れない。

掃除、洗濯、料理。
どんなに外で働くのが好きでお金を稼いでも、「女性なのに」家庭内の仕事が下手なこと、好きじゃないことで圧倒的に無効化されてしまう。
よく働いてよく稼いで、家事を一切しない男性がいてもこんなに否定されないだろうに。

女性である前に私らしくありたいだけなのに、周りは私に女性らしいあり方をサラリと力強く押し付けてくる。
できることや得意なことをどれだけ伸ばしても、苦手なところや弱いところを改善しないとねとどこからともなく指令がくだって、やればやるほど消耗する毎日。

そんな支配からの卒業が、シンガポールや中国といったアジア諸国での生活でしめやかに執り行われた。

シンガポールをはじめとするアジア諸国では食事イコール外食。
地域差や個人差はあるとしても、手料理をふるまうとしたら、日本でのおせち料理にあたるくらいの年に数回の大型行事くらいだ。

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三食外食が基本で、なんなら部屋では料理禁止と大家から言い渡される。理由はキッチンが汚れるから。掃除は週に数回、メイドのおばちゃんがやってきてササッとすます。

料理も掃除も一切しなくていい生活があるなんて。
そしてそれが共通理解だなんて。

さらになんと。
子どもがいる夫婦は住み込みのメイドがいるのが当たり前。週6日の家事、赤ちゃんのお世話、犬の散歩まで幅広くやってくれるそうだ。
夫婦は共働きで、帰宅してからの夜の時間や週末は家族と過ごすための時間。

はじめての海外転職先だったシンガポール。はじめは驚くばかりで、じわじわと感動がおしよせてきた。
仕事が好きで家事が嫌いなら、稼いだお金で家事を外注していいんだ。

アジア諸国のうち、シンガポールは突出して女性の社会化とともに少子化が進んでいる国だ。
働く女性が多くて、優秀な人もたくさんいた。彼女たちは外でよく働いて、家に帰ったらよく休む。
ライフテージに主婦という選択肢はない。結婚して子供がいても、出産翌日に退院して、翌月にフルタイム勤務を再開する友人もいた。

家事をしないこともできないことも気にしない。たまに料理をしたら、ここぞとばかりに手料理の写真をSNSにアップしていた。年に2回ほどの手料理。その投稿に届くたくさんの「いいね!」の通知。それで達成感は十分みたいだった。

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栄養が偏った油分糖分たっぷりの外食を毎日三食。

健康面には悪影響かもしれないが、手料理をしなければというストレスから解放される精神面において極楽だ。

男性と交際しても、手料理をふるまう場面は出現しない。
SNSで見つけた評判のレストランに行って、おいしいねと笑ってバクバク食べて、楽しい時間を過ごす。これなら私にもできる。

日本を離れて暮らしてはじめて、女性への手料理信仰は日本特有のものだと気付かされた。違いを理解してはじめて、そこから解放された。

「みんなやってるんだからおまえもやれ」という乱暴な同調圧力が昔から苦手だった。
やりたい人だけやればいいのに。やりたくない私は放っておいてはくれないのか。
しぶしぶやっても上手くできるはずもなく、苦い体験に刺激され自己肯定感はますます下がっていく。ホントに辛かった。

そして現在。
好きな人が好きなことをやればいい。同時に、苦手なことやできないことはやらなくていい。
みんなちがってみんないい。
自分にとって居心地がいいと思える場所に移り住むことができてホントによかった。


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