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『変身』、絶望、テロリスト | きのう、なに読んだ?

子どもの入試が一段落して、小説を読みたい気分になった。

子の入試にあたり、私が具体的に何かした訳ではないけれど、終わってみて、そちらにマインドと心を持っていかれていたことを実感する。小説を読みたい気分ということは、心にゆとりができたというサインだ。20歳代後半で大学院に行った頃から、ストレスがかかると音楽や小説などのクリエイティブな情報量の多いものを受け付けなくなった。ストレスが軽くなると、また摂取できるようになる。

それで、手もとにあった本を読んだ。

「ああ、こういうこと、あるわよねえ」と感じるところが結構ある読後感だった。朝、目覚めたら虫に変身していたなんていうことは、もちろん、あるわけない。でも、この奇抜なプロットを取り除くと、見たことのある心象風景があぶり出されてくる。

例えば、一家の大黒柱であった主人公は、虫に変身してしまったので働けなくなった。それまでの彼は、家族のためと必死に働いてきた。出張づくめで家族との時間はほとんど取れなかった。では、収入が途絶えた残りの家族4人が困窮したか、といえば、そんなことはない。生きがいを失っていた父親は働き始め、母も妹もそれぞれ収入の道を得る。さらに下宿人を取って、稼ぎを増やす。3人はどんどん生き生きとしてくる。相手のためと思ってやっていたことが、実は相手の可能性を殺し自立を奪ってしまっていたのだ。自立は、生きがいにつながる。

また、主人公が感じる疎外感も、覚えがある。主人公は、家族とは言葉が通じなくなり、食べ物の嗜好も、行動様式も異なるようになった。家族を怖がらせてはいけないと、部屋に引きこもり、孤独になる。この疎外感は、海外など異文化の中で生活を始めた時に感じるものとそっくりだ。

物語の終盤、主人公は、父にリンゴを投げつけられ、自分の姿を見た母は気絶する。ずっと食事を与え続けてくれていた妹が、とうとう、あの虫を兄だと思っていたことが間違いであったと叫ぶ。その夜、主人公は死ぬ。私たちは、周りとの関係性の中で生きている。誰かが自分に愛を向けてくれれば、自分はその人にとって生きていることになる。もうひとつ、自分が自分に愛を向けていれば、生きていける。それらが全てなくなった時、私たちは絶望し、私たちの存在は消える。

主人公の絶望を感じた時、私は、それと似た話を思い出した。

エジプト系移民の普通のお父さんが、テロリストになってしまうまでの実話だ。不幸な偶然で善意が仇になり、さらに事故にあって働けなくなったお父さん。絶望の淵にいたお父さんに、ある聖職者と仲間が寄り添った。それがテロリストになる道の始まりだった。こちらにあらすじと私の感想を書いている。良かったら、どうぞ。

今日は、以上です。ごきげんよう。



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