私が戻る


手塚治虫の漫画 「火の鳥」に登場するムーピーという生物は
形はスライムのような不定形で
知性はあり 性別もあり
人間とテレパシーのような方法で会話ができ 恋愛もできた
私は
私も 世界中の人も みな
ムーピーのようであればいいのにと 思っていた
それは確か小学生の頃のこと
社会的な性の役割について 考え 悩んでいた頃のこと


私にとっての(他の人もそうかもしれないが)思春期の思考は
今から分析すると大変複雑で
前提条件の異なる幾つもの論理 倫理を一手に束ねて
同時に解決しようともがいていたのだった
それは 絶対的に無茶で無謀なことなのだけど
その時は 文字通り夢中な状態だった

私は本当に(他の人もそうであろうけど)
幼い頃から 男女の社会的役割の違いを 不思議に思っていた
それは 
どうして空が青いのか といった子供が持つ素朴な疑問と同じようなものだった
やがてそれ
そういうことは そういうものだから 質問するものではない
といった社会的圧力を感じるようになったり また自身も素直に
そうした社会性を学ぼうとした

けれども複雑だ
私は自身の生物学的性と 社会が呼称する性とに
完全な違和感を感じないまでも
全ては合致できないと感じていた
しかし たとえば恋愛をするようになると
私は他の同性に比べ その社会的な性の役割具合に於いて
劣っているように思えた
私もまた 私自身を押し通すことができなかった
なぜなら私の性的欲求は 社会的には 全くその性を示していたから

私はそうした優劣から逃れようとしたり 迎合したりした
ある時は異性に対して
社会的な性的役割を率先して担ったり
またある時は 他者の性的振る舞い 性的見た目
について非難したりもした
友人らからは「それは異性に対して失礼だ」と
何度も叱責されたが
思えば 異性というより他者に対して失礼であったと
今は猛省している

私は私でいることに
私以外による他の承認は必要なかったのではないのか
と思える
しかし大人は 私が私を認めることを許さず
私を社会的な存在にしたのか
いや
私もまた 喜んでそれを学んでいたのだった

私はもう一度 時々でも
私 という言葉を手離してもよいだろうと思っている
その時 世界は主客を失い
言葉にできない 特異な何かに戻るはずだ

 

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