私がゆるせる私

チャップリンによる1947年の映画『殺人狂時代』(原題:Monsieur Verdoux)
の中で
チャップリン自身が扮する殺人者ヴェルドウの口から語られるのは こんな言葉たち
「戦争はすべてビジネスであり 大量殺人は国家が奨励しているのです 私などはアマチュアです」
「1人殺せば犯罪者になり 100万人殺せば英雄になります
数が行為を神聖化させます」
……
初めて観た10代の頃に この言葉たちは
もう馴染みのあるものに思えた
世界(私が見るところの世界)の矛盾について 考えていた年頃だった
.
その矛盾は 年月を経ても繰り返し繰り返し 眼前にあらわれては消えていく  それでも
少しずつでも  
それらは解きほぐれていっているのだと 私は信じている
新しい価値観や 新しい考え方や
新しい科学や
そして古くからの倫理の美しさなどによって
.
1人の行いは1人の責任で為される ということは
人間の自由を意味する  と言えるのなら
インターネットは
かつては名もなき兵士たちの殺し合いを 名もなき市民の悲劇を
名のある事物として世界に刻んでいく
それが良いことかどうか 分からないけれど
もはや数による神聖化はできないであろう
その時 私は どうありたいか
誰かの もしくは抽象的な存在(国家のような)による責任で 私にとって好ましくない行いをすることを
私は許せるだろうか
(ともかくも 私はチャップリンの映画が好きだ)


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