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治そうより、慣れよう~双極性障害~星野華の場合 その②/2

<前回記事を少しだけ振り返り>

私が持つポンコツな歴史の一つ
“双極性障害”として過ごした時間で
残念ながら症状を繰り返した
”再発”のタイミングについて
私の実体験をもとに
考察を深めてみた

・・・とかって
小難しく言ってみるのを
クセにしたがるお年頃(。-`ω-)

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治そうより、慣れよう~双極性障害~
星野華の場合 その②/1

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くどいけど
双極性障害(躁うつ病)
繰り返す再発する
カラクリの可能性として
とても大切なことなので
声を大にして叫ぶことから始めたい。

太陽光からの影響
人間から受ける影響

<明るい/暗い>

字面では全く同じ現象なのに
なぜ、どうして
違った解釈が生まれるのか。

それは、それだけ人間は
単純構造でできていない
ということだ。

自分の快/不快状態
感知するセンサーは
奇跡のパーツによって構成されており
どこを探しても
同じものはない、絶対に

似ている、が存在するから
カンチガイを生み出す。
それはまるで
縁日の綿菓子のようだ。



全く同じ形、構造をしてる綿菓子
きっと存在しない。

皮(がわ)として使われる
パッケージの袋の色や
描かれているキャラクターが違うから
なんとなく、みんな、だいたい
綿菓子
と認識され、存在できるだけで

どれ一つとして
同じ形、構造などない
複雑怪奇な綿菓子(カンチガイ)
ほぼほぼ同じモノとして
どんどんと量産されていくことになる。

すると
圧倒的大多数普通の中で
秘かに存在している
唯一無二の存在が持つ
個性の意味がゆっくりと歪んでいき

人間が持つ独特の影響力
<明るい/暗い>
「何だか気味が悪いなぁ」
意味を持って際立ち始める。
(昨今は太陽光からも感じちゃうけど)

そして、着地点として
みんな(圧倒的大多数)と違うから
という大義名分のもと
圧倒的大多数の中の
異物として
姿を隠してないと
よろしくないのではないか?
疑問を自動的に生み出し始める。

奇跡のはずの唯一無二
気味の悪い異物
のレッテルで覆い隠され
世間の渦に埋もれていく。



埋もれたままでは
深く呼吸できなくて、少ししんどいから
とにかく浮上したくて
とりあえずもがいて
フルパワーを発揮して
再びみんなになろうとする。

既にみんなに馴染んでいる
にもかかわらず
フルパワーを出していることに
誰かの気なんか
ドンドン無視されながら
自他ともに馴染んでいくから

「そう言えば!」
昔々味わった快感の一つ
ふりかけキャンペーン
うっかり思い出してしまい
懲りずに地雷を踏むことになる。

これが
双極性障害(躁うつ病)
繰り返す、再発する
カラクリだと私は疑いたくなる。
(疑問を持たない方はスルーされてください)



この綿菓子が出来上がるシステムは
自らの意志で割り箸を持った手を
マシーンから引っ込める動作をしない限り
停止されることはない。

それは
頼まれてもいないのに
瓶詰めのふりかけ
他人のお茶碗の白米にふりまく
自分の手の持っていき場に似ている
と経験上強く思う。

丁寧に、丁寧に観察していくと
双極性障害再発に限らず
大抵のお悩みごと、お困りごと
難しいこと、どうしようもないこと

生まれる源として
たどり着ける場所は
【自分】以外のどこにもないのでは
としか、思うことが
できなくなっていった。

私は、人間を半世紀やって来て
ひょっとしたら
「実は迷惑なんだけどな・・」
と内心思っている人のお茶碗の白米に
ガンガンふりかけを
ふりかけていた
かと思うと
今、やっと【自分】
ゾッとできるようになった。

これって別に
自分に厳し過ぎる、とか
ストイックに生きている、とかでも
何でもなくて
ごくごくありふれた
どこにでもある事実レベルの
お話じゃかな
と思うからお話する。



心、精神、感情の状態が
躁=過剰に興奮している、UP
している時
他人
わざわざヤメテクレ信号を
発しない
だって、自分は
困っても不快でもないから。

自動的にふりかけられていた
ふりかけ
プッツリ止まって

やっと初めて
【自分】の変化
何なら存在そのものに
気が付いてもらえる
と言っても過言ではないほど

人間は、ほぼほぼ自分のことに
集中していて
自分のことだけを見つめている
時間が長いと思う。
他人のことなど
気にするヒマはどこにもない。

だって
双極性障害再発した【自分】
【自分】のことばかり見てるよね?
それが何よりの証明になってるよね?

だいたい自分

大抵のお悩みごと、お困りごと
難しいこと、どうしようもないこと
って
『だいたい
そんなものなのだろう』

納得できるまでには
少し時間がかかるか
ずっと分からないまま時間だけが
過ぎていくのかには
個人差があると想像できる。

バッチリと身についてしまっている
習慣とかクセを
自分から抜き出すのって
難しい、というよりもむしろ、恐い
のほうが
表現の優先順位が高い気がする。

その、恐いに立ち向かうのには
それまで
見たことも聞いたこともないことに
触れる勇気を必要とされるから。

自分にとって
イイことであっても
都合の悪いことであっても
勇気が必要とされるレベルことって
誰にとってもやっぱり
不快状態の何物でもない。

自分の歩幅とか
自分のペースを探りながら、で良い。

“双極性障害”治そう
と思うことは大切だけど
治さなくては!と
【自分】に注目するパワーを落として
慣れていこう
に置き換えてみるだけで
随分と自分に伸しかかる重荷から
解放されると思う。



今、うっかり
「やってみようかな」思った方に
この気持ちを贈りたい。

置き換えることさえも
勇気を必要とすることだと
私は全身全心
共感する感覚
現在進行形のアイエヌジー状態。

だから
確実に孤独ではない
ということを、お伝えしながら
ポンコツな歴史のお話を
終わりにする。


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星野 華..:*☆☽​

星野華ホームページ:https://hoshino-hana.com/

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